俳優で声優の大塚周夫(おおつか ちかお)さん。
2015年にお亡くなりになりましたが、 周夫さんの息子 大塚明夫さんはアニメ、ゲームでも人気声優で、親子共演も度々合ったので、声優という印象のほうが強いのではないでしょうか。
ここでは、大塚周夫さんのプロフィール、俳優・声優の経歴や出演作品、家族を見ていきましょう。
大塚周夫のプロフィール 学歴・賞歴
引用元:http://jin115.com/archives/52063121.html
生年:1929年7月5日
没年:2015年1月15日 享年85歳
出身地:東京都世田谷区
学歴:日本中学校(現日本学園中学校・高校)
受賞歴:東京アニメアワード2014「アニメ功労部門」
大塚周夫の子供時代 デビューするまで
周夫さんは、父親と兄が彫刻家(伯父も彫塑家の渡辺長男、朝倉文夫)という芸術一家に生まれ、始めは美術学校に行く予定だったようです。
朝倉 文夫(あさくら ふみお)、1883年(明治16年)1964年(昭和39年)
「東洋のロダン」と呼ばれた。舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。代表作に大隈重信像、太田道灌像などがあ
る。太田道灌像 引用元:http://at-art.jp/japan/tokyo/chiyoda/yurakucho/
生まれつき体が弱かったので、母親のススメで4歳から新宿区にあるダンス教室に通ってたことから、ダンス、芝居の道を選ぶことになります。戦後は、ダンサーとして、キャンプや赤坂などのグランドキャバレーで踊っていました。
しかし、練習のやり過ぎで両脚が膝関節炎になり、医者から「結核菌が入ると一生曲がらなくなるからダンスはやめた方が良い」と助言されたため俳優への転向。劇団東芸に入団します。
俳優時代
テレビ放送や民放のラジオもなく仕事がなかった頃は、大八車を引いて小学校をまわり、『桃太郎』や『浦島太郎』などの芝居だけしかなかったこともあったそうです。
36歳のときに、演出家・俳優の早野寿郎さんから誘われて俳優小劇場に入団しました。テレビ放送が開始されると、運動神経の良さを活かして、スタントを交えたアクション映画の悪役の仕事に就きます。殴られて吹っ飛ぶアクションが上手だったので、俳優丹波哲郎さん本人から、出演を依頼されることもありました。
この頃、アメリカの俳優 リチャード・ウィドマークに惹かれ、彼の芝居を徹底研究し、吹き替え放送で声優役をもらっています。
リチャード・ウィドマーク(Richard Widmark)1914−2008
個性派俳優でアメリカで長きに渡って愛された俳優。「死の接吻」で映画デビューし、西部劇にも多数出演。ヒーロー役と退治したときの演技に多くの人が魅了されました。代表作に「ノックは無用」「刑事マディガン」「ジャイアン」などがあります。
引用:http://cinepara.iinaa.net/Richard_Widmark.html
1963年の『襲われた幌馬車』テレビ放映から、日本語吹き替えは大塚周夫さんがほぼ専属で担当していました。大塚さんが担当していないのは『六番目の男』だけだとか。
1971年に芸能座に移籍し、舞台やテレビドラマに出演していましたがたが、63歳のときに体力が低下していると感じて舞台を引退し、声優業に専念するためにも、青二プロダクションに移籍します。
大塚周夫の声優での活躍
吹き替えではリチャード・ウィドマークの他に、チャールズ・ブロンソン、ジャック・パランス、ピーター・セラーズなどを多く担当しました。テレビ洋画劇場のマカロニ・ウェスタンの吹替役者として大きな貢献あり、特に『続・夕陽のガンマン』では高い評価を受けています。
アニメでは『ルパン三世 』の石川五エ門、『美味しんぼ』の海原雄山、『ピーターパンの冒険』のフック船長、『ソニックシリーズ』、『名探偵ホームズ』のモリアーティ教授、『機動戦士ガンダム0083』のエイパー・シナプス艦長などがあります。代表作はなんといっても『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)・(第2作)』のねずみ男 でしょう。
大塚さん自身もねずみ男のキャラはたいそう気に入っていたそうです。でも、息子の明夫さんは子供の頃に「小ねずみ男」と学校でいわれていたとか。
重厚な役、インテリな役、おとぼけ役、悪役など幅広い演技ができた声優界のレジェントです。息子の明夫さんも、周夫さんの俳優として一番大事な血を分けてもらったことに感謝していることを、度々語っています。