彫刻

リチャード・セラの彫刻・経歴は?ミニマリズムの迫力と大衆からの拒否!

アメリカの彫刻家・ビデオアーティストのリチャード・セラ

抽象表現主義後の著名なアメリカ人芸術家として活躍し、ミニマリズムの作品は公共の場で、畏敬の念さえ感じられるのではないでしょうか。

ここでは、リチャード・セラの生い立ちや経歴、彫刻作品や問題になったスキャンダルを紹介します。シンプルな美しいフォルムの彼の作品は、現代のあるべき姿を表現しているかのようですが、大衆に素直に受け入れられるのは難しいようです。

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リチャード・セラのプロフィール  学歴・受賞歴

Richard Serra | Gagosian引用元:https://gagosian.com/artists/richard-serra/

生年月日:1938年11月2日

出身地:米国サンフランシスコ

学歴:カリフォルニア大学バークレー校で英文学、イェール芸術学校のMFA絵画プログラム

主な受賞歴

  • 1975年 スカウヒーガンメダル賞
  • 1981年 ゴスラーカイザーリング賞
  • 1991年 ヴィルヘルムレームブルック彫刻賞
  • 1994年 第6回高松宮殿下記念世界文化賞 彫刻部門
  • 2008年 フランスの芸術文化勲章
  • 2014年 ニューヨークの建築連盟から大統領のメダルを授与
  • 2015年 ニューヨークでの式典でフランスの最高賞であるレジオンドヌール勲章を授与
  • 2010年にアストゥリアス皇太子賞芸術部門受賞

リチャード・セラの概要

  • 大規模な抽象的な 鋼の 彫刻で最もよく知られているアメリカの彫刻家.。ミニマリストであるセラは、比喩や象徴として芸術を避け、代わりに、重量、重力、空間、プロセス、時間の現象学的経験としての彫刻のアイデアを提案しました。その純粋なスケールと物質性を通して崇高な感覚、一種の瞑想的で普遍的な性質を体験できる空間呼び起こします。
  • ミュージシャン、ダンサー、ビデオグラファーと共作し、アーティストが様々な分野を探求し、新しい種類のアートとの重複した懸念を共有することで、アメリカンアートの時代の一部を担いました。現代産業の壮大な断片としてアートを捉えています。
  • セラの彫刻の構想とその意図された場所との暗黙の関係に対する懸念は、市立公園、企業広場、記念碑などの公共空間における芸術の役割と統治に関する国際的な議論となりました。芸術作品が、特定のコミュニティの間で必ずしも普遍的に歓迎されているとは限らないとしらしまたこともあります。アートは現代社会に「参加する」もの、つまり、美術館スペースに限定されたものではなく、日常生活への物理的な挿入であるべきであることを示唆しています。
  • 大規模なスチールパネルと溶接は、一部のフェミニストによって、抽象表現主義のいわゆる男性的なテーマと芸術的プロセスの「最後のあえぎ」として解釈されてきました。

リチャード・セラの生い立ちと若年期

リチャード・セラは、ロシアのユダヤ人の母親とスペイン人の父親をもつ3兄弟の次男です。彼はサンフランシスコの田舎で家族と一緒に暮らしていましたので、美術は言うまでもなく、外の世界についてほとんど知りませんでした。

そかし、彼が最初に創造性に目覚めたのは、父親が配管工として働いていた造船所で時間を過ごしたときです。それは、サンフランシスコの海洋造船所で石油タンカーを見たたことで、彼の想像力と発明の感覚の成長を助け、芸術的可能性を認識するために必要な自信を与えてくれたとセラは信じています。

セラは、1961年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で英文学の学士号を取得しました。製鉄所で働きながら大学に通っていたのですが、これは後に鋼の彫刻家となる暗示のような気もします。イェール大学で修士号を取得したあと、同時代のブライス・マーデン、チャック・クローズと絵画の訓練を受けました。1964年から65年にかけて、パリで学び、モダニストの巨匠や彫刻の歴史に興味を示さなかったセラが唯一ブランクーシを認め、スタジオの再建のために貢献しました。

コンスタンティン・ブランクーシ

ルーマニア出身(1987−1957)。パリを拠点に長らく活躍し、20世紀の抽象彫刻を代表する彫刻家。ミニマルアートの先駆的作品も創作。単純なユニットの反復により構成された『無限柱』シリーズや、対象物の本質を捉えるために単純な形態に切り詰めていった『空間の中の鳥』などを制作。マルセル・デュシャンやマン・レイとも親交があり、イサム・ノグチはブランクーシの助手であった。
 
ブランクーシの「接吻」 : 一語一絵
接吻 1910  引用元:https://ichigoichie.exblog.jp/239557216/

セラは翌年イタリアに旅行し、そこで彼はランダムな色で一連のグリッドを描き始めました。その後、彼は生きた動物や、檻の中のぬいぐるみを使って作品を作り始めました。1966年にローマのガレリアラサリータで行われた最初の個展に生きた動物を取り入れたので、大騒動となり、会場は地元の警察によって即座に閉鎖されました。

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成熟期

CityVisions - Malcolm Lubliner Photography1969年ロスの美術館の建設現場にて  引用元:https://cityvisions.com/news.htm

1966年に米国に戻ると、セラはニューヨークに定住し、そこで最初の彫刻をゴムで作り始めました。これは、ジャクソン・ポロックの絵画、「壁画」に触発されたと言われています。1968年から1970年にかけて、セラはスプラッシュシリーズに取り組みました。スプラッシュシリーズは、すぐに批評家や美術史家によってプロセスアートとして分類されるようになりました。

 

セラが1969年に始めた次のプロップシリーズは、アーティストが今日最もよく知られている巨大な金属作品の先駆けと見なされています。バランス、重量、重力の探求は、彼が子供の頃に海面に浮かぶ石油タンカーの思い出が始まりでもあります。

セラはまた、多くのビデオアートを1960年代後半には早くも取り入れています。

1970年、セラは友人であり彫刻家のロバート・スミッソンの環境活動であるスパイラル・ジェッティを支援しました。この作品はスパイラルと楕円で表現し、作品の周りを歩き回り、身体的および視覚を通してそれを体験することにより、鑑賞者を彼の環境に参加させるものでした。

スキャンダルと大衆からの拒否

Tilted Arc  傾いた弧

引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Tilted_Arc#/media/File:Tilted_arc_en.jpg

1981年に、マンハッタンのフォーリーフェデラルプラザ 連邦ビル前広場に展示された、パブリックアートの インスタレーション。
 セラの支持者は重要な作品として特徴づけ、空間を変革し、彫刻の概念を進歩させたみなしましたが、批評家はその醜さの認識に焦点を当て、周りの風景を台無しにしていると見なし、労働者たちは通行の邪魔になると苦情を述べました。
激しい公開討論の後、この彫刻は1989年に連邦裁判の判決として撤去され、その後公開されたことはありません。
 

Equal-Parallel/Guernica-Bengasi

 How could a museum lose an 83,000-pound Richard Serra sculpture? 引用元:https://fadmagazine.com/2018/02/27/museum-lose-83000-pound-richard-serra-sculpture/

2006年、マドリードのソフィア王妃芸術センターは、1986年のセラの作品が消滅したことを明らかにしました。

この作品は1986年から1990年の4年間に同センターの美術館の特別室に展示され、展示会終了後、貯蔵施設に移されました。セラが再び展示することを決定するまで、そこで保管されることになっていました。

しかし、作品がそこにないと発見したのは2005年のことでした。現在でもその所在は不明なままです。

セアは新しいバージョンを2007年に完成し、2008年の初めに再設置しました。

Sculpture No. 3

1971年、セラの「彫刻No.3」が、ミネソタ州ミネアポリスのウォーカーアートセンターに設置されました。この巨大な彫刻(2枚の5トンの鋼板からなる)の設置中に、作業員が下敷きになり亡くなりました。被害にあった家族はセラと作品の制作設置を請け負った会社を訴えましたが、セラは無罪となりました。

1989年10月、レオ・カステリ・ギャラリーで16トンのセラの彫刻を解体しているときに作業員が方足を失う事故もありました。

Vectors

2002年、アメリカの企業家ブロード氏の遺贈により、Vectorsというタイトルのインスタレーションがカリフォルニア工科大学に建設される提案がでました。この80トンもある作品は、大学の数少ない緑地の1つをジグザグに横切る4枚の鋼板であったため、学生と教授たちから大きな反対を受けました。 この作品は「傲慢である」とされ、設置されることはありませんでした。

参考:
https://hyperallergic.com/11146/8-deadly-works-of-art/ https://artcritical.com/2016/09/27/constant-witness-richard-serra-conversation-erik-la-prade/ https://www.britannica.com/biography/Richard-Serra

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