象徴的な楕円の穴の抽象表現で、彫刻家の富福知徳(とよふく とものり)氏。
40年間、イタリア・ミラノに在住し、海外での高い評価を受けています。
本記事では、富福知徳氏の経歴、作品、展覧会などをご紹介します。
富福知徳のプロフィール、経歴
<引用元:https://www.nishinippon.co.jp/>
生年:1925年
没年:2019年5月 (享年94歳)
出身地:福岡県久留米市
学歴:国学院大学国文科 中退
略歴
1925(大正14)年 福岡県久留米市に生まれる。
1946(昭和21)年 木彫家富永朝堂に師事。
1950(昭和25)年 第14回新制作協会展に《男のトルソ》が 初入選。
1956(昭和31)年 第20回新制作協会展で《黄駻》が 新制作協会賞を受賞。
1957(昭和32)年 新制作協会会員となる。
1959(昭和34)年 《漂流 ’58》で第2回高村光太郎賞受賞
1960(昭和35)年 第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ展に出品。
ミラノに移住。
1965(昭和40)年 第32回ヴェネツィア・ビエンナーレ、第8回 サンパウロ・ビエンナーレに出品。
モンツァ・デッサン賞展で1等賞。
1967(昭和42)年 パドヴァ国際彫刻コンペティションで2等賞
1969(昭和44)年 第1回現代国際彫刻展に《風Ⅰ》を出品
1974(昭和49)年 ミラノと東京で個展。
1978(昭和53)年 北九州市立美術館で 「豊福知徳展」 開催。
1984(昭和59)年 「近・現代日本の彫刻」(山口県立美術館)に出品。
1985(昭和60)年 「現代彫刻の歩み~木の造形~」(神奈川県民ギャラリー) に出品。
<出典:http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/>
豊福氏は大学を中退後。21歳のとき、彫刻家の富永朝堂に師事し、木工彫刻を学びます。
35歳のとき、ベネチア・ビエンナーレ展出品を機に、ミラノに移住。
作品は具象から抽象形態に変化していき、楕円形の穴を開けた象徴的な彫刻が海外で高い評価を得ています。
1978年日本芸術大賞、1993年紫綬褒章、2001年勲四等旭日小綬章を受賞。
豊福知徳の代表作品
Reflection of Wave
<引用元:http://japonesquegallery.com/>
無題
<引用元:http://www.aipht.artosaka.jp/>
Standing Statue
<引用元:https://mizoe-gallery.com/>
The Work
<引用元:https://mizoe-gallery.com/>
<引用元:http://www.troom202.com/>
富福知徳の展覧会、ギャラリー
2019年の富福知徳氏の展覧会の予定はありませんが、福岡市にギャラリーがあります。
豊福知徳ギャラリー
<引用元:https://gramha.net/>
場所:〒814-0001 福岡県福岡市早良区百道浜4丁目1−1
電話:92−407−6600
https://www.toyofukutomonori.com/
豊福知徳の楕円の穴
豊福氏の作品の多くは、銅板もしくはマホガニーに大きな楕円がいつも開けられています。
これは「虚実空間の探求」であると言われ、実像と虚像の間になにがあるのかを生涯に渡って試作していまそた。
豊福氏はこの楕円の穴を機会は使わず、ほとんど手で彫っていたところは、日本の仏像彫刻に類似するような思いがあったのではと推測できます。
穴を空けることによって、うしろの景色が見えてきます。これは、目に見える実像というものが、100%本質ではなく、そのものには全てが含まれると考えられないでしょうか?
実像に空間を作ることによって、視野と思考を広げ、その物体のみが実在しているのではなく、その物体に、この世界のすべてがあると表現しているように感じられます。
「実像」と「虚像」のコンビネーションは私達の人生の多々存在しており、いわば、この世には全てがあり、そして無でもあると宇宙の理を思索させるような作品です。
また、多数の楕円の穴がある豊福氏の彫刻は、室内では作品の影の部分が幻想的で美しく幽玄の世界に誘い込まれ、屋外ではのぞき見をしているようなユーモラスな心地にもさせてくれ、哲学的な嗜好がなくとも、私達を十分に楽しませてくれます。