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マックス・エルンストの妻と恋人たちの作品(2)ペギーとドロテア|芸術家の恋人たち

50歳までに2回の結婚と離婚、その間に複数の恋人がいたマックス・エルンストですが、彼の恋愛と結婚は続きます。

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この(2)の記事では、3番めの妻ペギーとエルンストを看取った4番目の妻ドロテアを見ていきます。

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ペギー・グッゲンハイム 結婚期間 1941−1946

Guggenheim Max Ernst | HelenHighly引用元:http://helenhighly.com/tag/guggenheim-max-ernst/

エルンストは美術家、コレクターのペギー・グッゲンハイムと1941年に結婚しています。

ペギーは1898年生まれ、エルンストより7歳若く、裕福なアメリカの家庭で育ちました。叔父はグッゲンハイム美術館を設立したひとりです。

当時ペギーはシュルレアリストの作品を多く購入していたので、その縁でエルンストとも知り合っています。彼女にとってエルンストとの結婚は2度めであり、生涯セックスと芸術中毒であったので、エルンストとの結婚はごく当たり前だったようです。

エルンストも、すでにナチから2度も拘束されていましたから、ペギーとアメリカに渡るのが得策でした。

ですから、大戦後にはすぐに離婚し、18世紀の宮殿に定住ヴェネツィアに移住。

そこで彼女は自分のアートコレクションの一部をニューヨークのグッゲンハイム美術館に寄付しました。現代絵画の傑作が数多く含まれており、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ロバート・マザーウェル、ハンス・ホフマンなどがいます。

この結婚は、完全にお互いの損得勘定でしたことであり、夫婦としての愛は存在しなかったかのように思えます。戦争中でしたから、自分の命と芸術を守るための賢い選択だったと言えます。

ペギーも美術史には欠かせない人物なので、映画にもなっています。

ドロテア・タニング 結婚期間 1946−1976

エルンストはアメリカ人のシュルレアリズムの画家 ドロテア・タニングとペギーと離婚した年に結婚しています。ドロテアはエルンストの4人目の妻であり、最後の妻です。

Dorothea Tanning - Wikipedia引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/

ドロテアはエルンストより19歳年下の1910年生まれ。アメリカのイリノイ州で生まれ、ニューヨークで芸術活動を始めます。夢想的絵画を描く具象シュルレアリストから、しだいに抽象的な方向へ移行し、晩年は詩人として活躍しました。

エルンストとは1942年の美術界のパーティで知り合いました。当時の妻ペギーのギャラリーでドロテアの作品が展示してあり、無限に扉が続く『誕生日』を大変気に入ったそうです。それで、ドロテアのアトリエに足繁く通うようになり、そのまま同棲。そしてアリゾナ州セドナへ恋の逃避行をします。その頃のセドナは(今もそうですが)先鋭の芸術家たちの集まりで、海外から来たアーティストたちとも親交を深めました。

1946年、エルンストがペギーとの離婚が成立すると、すぐにドロテアと結婚。エルンスト55歳、ドロテア36際のときです。結婚式はハリウッドで、マン・レイとジュリエット・ブラウンと合同結婚式という豪華なものでした。

 

International Woman's Day intro: Dorothea Tanning — The Delicate Rébellion右下からエルンスト、ドロテア、マン・レイ、ジュリエット  引用元: https://www.thedelicaterebellion.com/reads/dorotheatanning

この結婚はエルンストが亡くなるまでの30年間続きます。

1976年にエルンストが死去するまでふたりはフランス プロヴァンスに住んでいました。その後、ドロテアはニューヨークに戻り、1980年代も独自のスタジオアートの制作を続けました。その後1990年代と2000年代は主に執筆と詩の活動をし、2012年 101歳のマンハッタンの自宅で亡くなりました。

Dorothea Tanning- A Woman For Whom Max Ernst Left His Wife -  DailyArtMagazine.com - Art History Storiesドロテア・タニング作 青い船のマックス  引用元:https://www.dailyartmagazine.com/

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マックス・エルンストの結婚とは

エルンストはなぜ4回も結婚したのでしょうか。妻や恋人たちはすべて美術関係者でしたから、やはり自分の芸術を進化させるためだったように思えます。

殆どが離婚した後、すぐに結婚していますが、その必要性は何だったのでしょうか?ペギーとの結婚は、アメリカ亡命のために即座に結婚しなくてはならなかったのはわかります。(そもそも偽装結婚だったのかもしれませんね)

結婚しなくても、恋人の関係を保ち続ければいいのに、人生で常に「妻」という法的に結ばれている女性を求めたのは、エルンストが孤独だったからかもしれません。

自分と共にし、理解してくれる人間が存在することの証明が欲しかったのではないでしょうか。ピカソも多くの愛人がいましたが、彼女たちはいつも美術関係者とは限りませんでした。ピカソがただ興味を持って付き合ったに過ぎません。しかし、エルンストの場合は、女性が単なる芸術上のファム・ファタルではなく、自分の人間的な生活と人生の一部であったと感じます。

けれども、エルンストの恋人た妻たちにとって、彼はキャリア工場のための踏み台のような存在であったとと感じてしまうのは、私だけでしょうか。

参考:

https://en.wikipedia.org/wiki/Dorothea_Tanning http://helenhighly.com/tag/guggenheim-max-ernst/ https://www.dailyartmagazine.com/dorothea-tanning-a-woman-for-whom-max-ernst-left-his-wife/

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