印象派の巨匠 クロード・モネは、2度結婚しています。
初めの結婚はモデルのカミーユ。モネの貧困時代を支えた彼女が病気で亡くなると、元パトロンの妻、アリスと結婚します。
ここでは、2度目の妻 アリスとモネの生活、子供達、作品をみていきましょう。モネは私生活ではどんな男性だったのでしょうか?
モネの2番めの妻 アリス・オシュデ
モネとアリス 1902 引用元:https://www.telegraph.co.uk/comment/letters/
アリスは1844年、ベルギーで生まれます。(モネより4歳下)
パリで百貨店を経営していた実業家であり美術コレクターのアーネスト・オルシェと結婚して、モネと知り合います。
アーネストは印象派の後援者としても知られ、モネの他、ドガ、ピサロ、シスレーの作品を購入し、良いパトロンでした。
アリスの家系は南フランスの城を所有するなど大変裕福でした。彼女は機知と知性に富んでおり、意志が強かったといいます。声が大きく、しかし、繊細でかわいらしい印象を持っていました。
アリス・オシュデの肖像 1881 引用元:https://commons.wikimedia.org/
モネとアリスのダブル不倫の恋仲は周知の暗黙の了解になっていましたが、モネの妻カミーユの病状を進行させたとも言われます。
モネ、カミーユ、アリスの同居生活
1877年アーネストが経営悪化のため破産。家族ぐるみでつきあっていたモネ一家は、パリのオデュシェ家で同居します。しかし、モネとアリスの関係に我慢できなくなったアーネストは、家庭を放棄してベルギーに逃げてしまいます。そしてモネは妻カミーユ、自分の息子二人、アリス、アリスの子供6人という大家族を養っていかなくてはなりませんでした。
妻妾とその子どもたちの同居は劣悪のように思えますが、アリスは病床のカミーユの面倒をよくみて、子どもたちを平等に世話したそうです。1879年にカミーユがなくなると、モネは頻繁に長期旅行にでかけます。この間、アリスは8人の子供を育てていたのですから、かなり苦労したことでしょう。
モネは毎日のようにアリスで手紙を送っていましたから、二人の愛はしっかりと続いていたに違いありません。モネが旅行から戻ってきたあとは、アリスがマネージャーとなり多くの画商に彼の絵を売っていきます。もともと社交界とは繋がりがあり、才女であった彼女の手腕はなかなかのものだったようです。
モネとのシヴェルニー生活
1883年 終の棲家になるシヴェルニーの豪邸にモネとアリス、子どもたちは移ります。
1891年にアーネスト・ホシェデが亡くなり、ふたりは、1892年に結婚しました。結婚時に、アリスは最初の妻のカミーユに対するモネの愛情に嫉妬していて、写真、手紙、記念品を含むカミーユのすべてのものを破棄するよう要求したようです。カミーユが亡くなって、すぐに結婚しなかったのは、モネが先妻を忘れられなかったからのようです。
アリスと結婚すると、モネの放浪旅行は本質的に終わりました。モネはジヴェルニーの家を取り巻く川、野原、田舎の風景を描くのを楽しみました。やっとアリスにも平穏な生活がやってきたわけです。
もともと裕福な家に生まれ、教養もあり、経済的に豊かなアーネストと結婚し、上流階級のような暮らしをしていたアリスは、モネに恋してしまったことで大きく人生が変わりました。モネと恋仲になっていなければ、アーネストは破産したとき、子どもたちと実家に帰ることもできたのです。
アリスは彼女の人脈を利用してモネの絵を画商と交渉していったことは、彼が生存中に成功した一つの理由でもありましょう。芸術家は才能があってもビジネス力がなければ、作品は世に出ません。これは、ゴッホとピカソを比べれてもよくわかります。モネの成功はアリスの妻としての成功でもありました。
ふたりは1911年にアリスが亡くなるまで、ジヴェルニーの家に一緒に住んでいました。モネは、その後、1926年に亡くなっています。
Alice Hoschede au Jardin, 1881 引用元:https://www.art-antiques-design.com/american/
1897年、カミーユの息子ジャンとアリスの娘ブランシュは結婚しています。
妹のスザンヌを描くブランシェ 引用元:https://www.art-antiques-design.com/american/
ジャンは化学者で、ブランシェは画家で、モネから訓練を受け、似たような絵を描いていました。
積みわら 1891 引用元:http://www.whataboutart.org/blog/2015/8/3/
アリスが亡くなったあとは、シヴェルニーの戻りモネの世話や邸宅の庭を整備して、モネの最後を看取りました。
芸術家の妻はどんなタイプがいいのだろう
モネの最初の妻カミーユは、モネと一緒に苦労を共にし、病身でありながら多数のモデルをしました。生計のために、他の画家のモデルもしてモネの制作を助けました。そして、献身的に尽くしている夫は数々の浮気をし、本命の愛人まで作ってしまいます。成功する前に病気でなくなり、日の目を見ないでこの世を去ったのです。これは、エゴン・シーレと恋人ヴァリーの関係に類似しているといってもいいでしょう。それなら、尽くしすぎる妻は捨てられるような運命なのでしょうか。
しかし、2番めの妻アリスもとてもモネに献身的です。違いはモネの作品のマネジメントができたことです。ダリの妻ガラのように、夫の芸術を売り込む術をアリスは知っていました。
二人の女性はモネの成功を心から信じていて、生活苦は厭わなかったし、夫の浮気も我慢して、子どもたちも育てました。ただ、カミーユには夫の絵を売り込むコネがなかっただけです。
芸術家の妻というものは、夫の成功を妄信し、生活苦や浮気を乗り越える強靭な忍耐力、そして作品を売り込む営業力が揃わなければ、妻としての本当の幸せをつかめないのではないか、考えさせられます。
参考:
https://en.wikipedia.org/wiki/Blanche_Hosched%C3%A9_Monet https://en.wikipedia.org/wiki/Alice_Hosched%C3%A9 http://www.aboutfamousartists.com/index.php/2014/07/monets-second-wife-alice-hoschede/