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フランク・ロイド・ライトの妻や子供、家族について。不倫、スキャンダル、惨劇も!|芸術家の恋人たち

ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(1867−1959)。

日本にも帝国ホテルや自由学園明日館などの建築作品を残しています。

アメリカの住宅建築の新しい様式を生み出し、世界遺産建築もいくつも創りあげましたが、私生活のスキャンダルで不遇の時代も何度かありました。

ここでは、フランク・ロイド・ライトの家族をみていきます。結婚した3人の妻、子供、恋人やスキャンダルはどんなものだったのでしょう。

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 最初の妻 キャサリン (キティ)

引用元:https://www.pinterest.com/pin/397020523380110331/?nic_v2=1a2ZCmQLJ

キャサリン「キティ」(トービン)ライト(1871–1959)。

ソーシャルワーカーであり、社交界の名士でもありました。1889年6月に結婚、1922年11月に離婚しています。

4歳年下のキティはライトの最初の妻でした。キティと呼ばれる彼女とライトは、シカゴで建築事務所の製図技師として働いていたときに出会いました。2年後の1889年6月1日に結婚しました。この時キャサリンの母には大反対をされたそうです。

ライトは1893年にシカゴ郊外のオークパークに自分の事務所を構えました。それかアドラーアンドサリバン社を去り、建築界での大きな功績を残していきます。

二人の間には6人の子供がいます。しかし、ライトは結婚して4年で運命の女性と出会い、妻と愛人の両方が必要であったそうです。また、キティは14年間彼に離婚を許可することを拒否していました。彼らの結婚は最終的に1923年11月13日に終わりを告げました。

けれど、キティがライトと同じ年に亡くなっているのは、切れない深い縁を感じますね。

ライトの恋人 ママー(メイマー)・ボースウイック スキャンダルと惨劇

The Massacre at Frank Lloyd Wright's “Love Cottage” - HISTORY引用元;https://www.history.com/news/the-massacre-at-frank-lloyd-wrights-love-cottage

ママー・ボースウィック (1869年6月19日– 1914年8月15日)翻訳者。

1903年、ライトがオークパークに住んでいる時、隣人のエドウィン・チーニーのために家を設計していました。( 現在はエドウィンH.チェイニーハウスとして知られています) ライトは、彼の妻 ママーに夢中になります。

彼女はフェミニストの先駆者であり、ライトは彼女の知性を平等と見なしていました。彼らの関係は隠し立てすることしなかったので、町の話題になり非難を浴びていました。

1909年、ライト42歳、ママー40歳のとき、配偶者と子供たちを置き去りにし、ヨーロッパにほぼ1年間滞在しました。この間、エドウィン・チーニーはママーに離婚を許可しましたが、キティはまだ夫に離婚を拒否していました。

ふたりは1910年10月に米国に戻った後、ウィスコンシン州スプリンググリーンにふたりで住む住居とスタジオを建てます。

Looking at Taliesin from Hill Crown.jpg引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Taliesin_(studio)

マスコミから「愛のコテージ」と「愛の城」呼ばれたタリアセン

ここでも地域住民の大きな不評をかって、ふたりを町から追い出そうとする運動までおきていました。ライトの仕事もこの時期はかなり少なくなっています。キリスト教の教えが絶対的な力を持っていたこの土地では、不倫という不道徳な生活が許されなかったのでしょう。

ライトとママーにとっては充実した日々を送っていたのですが、3年後の夏、1914年8月に惨劇が襲いかかります。精神を病んでいた使用人が放火し、タリアセンにいた7人を○害。その人たちのなかに、ママーと前夫との子供二人もいました。

この事件がなければ、ライトは生涯ママーと暮らしていたに違いありません。

ライトは悲しみの中でタリアセンを復活させようとしましたが、その多くは火事で破壊されていましたので、再建までに9年の月日が必要でした。

2番めの妻  マアド・ミリアム・ライト

Miriam Maud Wright (Hicks) (1869 - 1930) - Genealogy引用元;https://www.geni.com/people/Miriam-Wright/6000000009217705236

ライトが失望の中、2歳年下のミリアムが哀悼の手紙を送ったことで、ふたりは付き合い始めます。

キティも、やっと離婚に応じ、1923年に結婚。しかし、ミリアムはモルヒネ中毒者だったので、翌年には離婚しています。

悲しみの中にいる時、自分のほしい言葉をかけてくれる異性には、ついフラッと寄り添ってしまうものですよね。

ライトの3番めの妻 オルギバンナ・ライト

Image may contain Human Person Furniture Tie Accessories Accessory Table Suit Clothing Coat Overcoat and Apparel 引用元:https://www.architecturaldigest.com/story/frank-lloyd-wright-facts

神秘主義者グルジェフの弟子で彼らの提唱する神聖舞踏のダンサー、作家、作曲家(1898年12月27日– 1985年3月1日)。

オルギバンナは、セルビア/モンテネグロの公爵であり英雄のマルコ・ミルヤノフの孫娘です。

1924年にシカゴで行われたバレエ公演でふたりは出会い、お互い一目惚れだったそうです。しかし、お互い既婚者であったため、結婚するまでには4年の月日が必要でした。

オルギバンナの独自の創造的な精神は、落水荘やグッゲンハイム美術館など機知の富むらいとの建築を生み出すことになります。

30歳近く若い彼女との結婚生活は、ライトが亡くなるまで続き、公私ともにお互いに大きな影響を与えながら暮らしました。

結局のところ、オルギバンナがライトのファム・ファタルであり、良き妻であり、ビジネスパートナーというすべてを兼ね備えた女性だったようです。

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フランク・ロイド・ライトの子どもたち

キティとの子どもたち

  • ロイド・ライト(1890-1978)として知られるフランク・ロイド・ライト・ジュニア。ロサンゼルスで著名な建築家。ロイド・ライトの息子であるエリック・ロイド・ライトは現在、カリフォルニア州マリブの建築家であり、住宅を専門としていますが、市民や商業用の建物も設計しています。
  • ジョン・ライト(1892-1972)は、1918年にリンカーンログ(子供のおもちゃ)を発明し、サンディエゴ地域で建築を幅広く実践しました。ジョンの娘、エリザベス(1922-2013)は、コロラド州コロラドスプリングズの建築家でした。
  • キャサリン・ライト・バクスター(1894-1979)は主婦であり、オスカーを受賞した女優アン・バクスターの母親。
  • デビッド・サミュエル・ライト(1895-1997)は、ライトがデビッド&グラディスライトハウスを設計した建築の代表者・
  • フランシス・ライト(1898-1959)は芸術批評家。
  • ロバート・ライト(1903-1986)弁護士。

オルギバンナとの子供たちは

  • スヴェトラーナ・ピーターズ(1917-1946、オルギバンナの養女)ミュージシャンでした。
  • イオバンナ・ライト(1925-2015)は、アーティスト兼ミュージシャンでした。

Frank Lloyd Wrightライト、イオバンナ、オルギバンナ  引用元:http://www.steinerag.com/flw/Books/c1496.htm

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