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モネの最初の妻カミーユの作品について。無念の愛を夫は受け取ったのか。|芸術家の恋人たち

印象派の絵というと、クロード・モネの『睡蓮』がまっさきに思い浮かぶのではないでしょうか。

自宅の庭の池に咲く美しい睡蓮を大キャンバスに描いたモネは、裕福な画家という印象がありますが、実際に彼が生活できるような経済状態になったのは、40歳を過ぎてからのことです。

モネは、86歳で亡くなるまで、2回結婚しています。最初の妻カミーユは二人の子供とともに、モネと極貧ともいえる生活を送っていました。カミーユは若くして亡くなります。そして、その当時、モネには公認の愛人がいました。

献身的に尽くしたというカミーユとモネの夫婦の関係を、作品を通して辛口で見ていきましょう。

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カミーユ・ドンシュー  Camille Doncieux ( 1847 – 1879)

「Camille Doncieux」の画像検索結果引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Camille_Doncieux

カミーユ・レオニー・ドンシューは、1847年1月15日にフランスのリヨンの一部であるラ・ギヨティエールの町で生まれました。彼女の父チャールズ・クロード・ドンシューは商人でした。1857年に妹のジュヌヴィエーヴ・フランソワが生まれて数年後に、家族はパリの北西部の一部であるバティニョールに移りました。当時バティニョールはアーティストが多く集まっていたところです。

モネとの結婚生活

10代の頃、カミーユはモデルとして働き始めました。この時代、女性が絵や彫刻のモデルを生業とするのは、生活苦の娼婦や踊り子で愛人候補だったのです。

彼女は1865年に7歳年上のモネと出会い、モデルになり、愛人になりました。このとき、モネはカミーユの肖像画を描き、サロン・ド・パリで初入選し、批評家の絶賛を受けます。

「Camille in the Green Dress」の画像検索結果

「緑のドレスを着る女性」 1866  モネは『ピクニック』を1865年から描いていたのですが、サロンに出品するのに間に合わないので、代わりにカミーユの肖像画を急いで描いたたそうです。 引用元:https://www.walmart.com/ip/

しかし、その後は落選が続き、父親と叔母に生活費をまた、援助してもらっていました。彼らは、カミーユが下層階級であるため関係を認めず、モネへの支援を打ち切ります。

カミーユが長男と妊娠したとき、モネはすでに借金取りから逃げ回る生活だったのです。ですから、どうしても叔母からの援助がほしく、彼女と別れたふりをして、彼女を無一文でパリに残し、叔母の家にしばらく滞在していました。

1867年、長男ジャンを出産し、パリの物価ではくらせないので、田舎のベネクールやルアーブルを親子三人で転々とします。

1870年に二人は正式に結婚しましたが、モネの一族は、結婚式には不参加で、証人はギュスターヴ・クールベでした。

モネがカミーユと息子ジャンをモデルにして描いた絵は数多くありますが、カミーユはマネやルノワールなどの他の画家のモデルもして生計を賄っていました。

マネの作品『庭のモネ一家』 1874 引用元:https://ameblo.jp/seuratsan/

実はこのころからカミーユは病気を患っていて(病名は結核、子宮がん、骨盤がんなどはっきりしていない)、長時間同じポーズをとるモデルの仕事はかなり重労働であったことが推測されます。

1878年、次男ミシャルを出産しますが、翌年32歳の若さでパリでカミーユはなくなりました。

陰気な「ラ・ジャポネーズ」

1876  引用元:https://ameblo.jp/seuratsan/

カミーユが金髪のかつらを被り、武者の姿が刺繍された真っ赤な着物を着て、日本舞踊的なポーズをとっています。背景の壁にはたくさんの日本柄のうちわが貼り付けてあり、床はあゴザのような質感が感じられます。しかし、手にもつ扇子は、フランスの国旗と同じ赤・白・青で、不気味な微笑みを浮かべてこちらを見ています。

1860年代から1870年代にかけて、日本の芸術や文化への関心がヨーロッパでは高まっている時期で、これが「ジャポニズム」。モネも日本文化に影響を受けた芸術家でした。この絵には批判もあったのですが、モネ自身の東洋と西洋の文化の融合表現ともされています。

この頃、カミーユはすでに病気であったので、着物の赤色との対比の青白い顔は実際の顔色であったのでしょう。見開いた目に狂気を感じるのは、病身で長時間、どっしりと重い着物を羽織わされている苦痛からの快感のようにも見えます。このモネの中での東洋文化との融合といわれる絵は、モデルのカミーユの自然体からくる功績も大きいのではないかと思われます。

「散歩 日傘をさす女性」の現実世界

1875  引用元:https://ameblo.jp/seuratsan/

カミーユとジャンが描かれた草原での風景は、誰もが知るモネの代表作の一つです。ウジューヌ=ルイ・ブータンの勧めで、野外で描くことを始めたモネですが、光彩と風の動きを見事に捉えています。様々な光の効果を惜しみなく表現し、鑑賞者は感動的な自然美の中に入り込みます。

白いドレスの向こうに広がる光り輝く雲と、遠くを見つめる幼い息子は、未来の希望を物語っているようです。しかし、カミーユ自身は陰影が強く、ベールの下から見える顔の表情は、少し恨めしそうです。この頃には、モネには愛人の噂があるアリスがいて(のちにモネの妻となる)、彼女の心情はおだやかではなかっでしょう。自然の成す一瞬の美の心地よさを感じられるこの一枚に、カミーユの現実が現れているのも皮肉な気がします。

「死の床のカミーユ」の無念

「死の床んカミーユ」の画像検索結果1879  引用元:https://tetsuwanco.exblog.jp/23686581/

死の床についたカミーユを描いたもので、暗色の鈍い光彩と荒々しいタッチが、迫りくる死を否応なく想起させます。

「私は無意識的に死によって変化してゆくカミーユの顔色を観察しているのに気がついた。彼女との永遠の別れがすぐそこに迫っているので、カミーユの最後の姿を捉え頭に記憶しようとしたのは自然だったのだろう。しかし私は、深く愛した彼女を記憶しようとする前に、彼女の変化する顔の色彩に強く反応していたのだ」とモネは友人の政治家クレマンソー語っています。

胸に花束を抱いたような色彩は、モネの悲しみと愛情を表現したようにも見えます。しかし、これは彼がいっているように、純粋に妻を失う夫であるまえに、画家としての利己が勝ったと解釈されます。このときは完全に、再婚相手になるアリスに情愛を感じていたのですから、カミーユに対しての曖昧な感情のごまかしのように感じます。

右下のモネのサインにハート型ついているようにが見えますが、これが故意で愛情表現として描いたのであれならば、陳腐でしょう。男の完全なる独りよがりの妻への愛が見える、幼い精神性を感じ得ずに入られません。

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カミーユは無念の死をとげたのか

「読書をする女」1874  引用元:https://art.hix05.com/Monet

カミーユが病をおしてモデルの仕事をしていたにもかかわらず、夫モネは子持ちの人妻アリスと恋愛関係になり周知の事実となりました。しかしモネはカミーユをぞんざいに扱っていたわけではなく、絵が売れれば彼女の治療費に当てていました。カミーユは絵のモデルをしていたわけですから、収入があれば自分の医療費として使うのは当然のことですが、そのために生活苦から抜け出せなかったのは負い目があったでしょう。

アリスの夫が破産したため、カミーユが亡くなる一年前から、モネ、カミーユ、アリス、その子どもたちと一緒に暮らし始めます。(アリスについては別記事で詳細を述べる)この妻妾同居のような奇妙な生活で、カミーユは何を考えていたでしょうか。

アリスはその後モネと結婚するとはいえ、病床の彼女の面倒を見て、子どもたちも育て、カミーユのお葬式も出しています。まるで中世の王妃をたてる公認の愛妾のようで、彼女を迫害していたわけではありません。しかし、自尊心はズタズタであったでしょう。夫の家族に虐げられても、彼の才能を信じ切って極貧生活を厭わず支えてきたのに、自分より優れた愛人に夫を奪われたのですから。カミーユは夫でもなく愛人でもなく、自身の病気を呪ったことでしょう。病気にならなかったなら、確実にモネとの違った未来を過ごせたはずだったからです。この無念さを夫モネが理解していたかどうかといえば、残念ながら可能性は低かったと思えます。彼はすでに心の拠り所があったのですから、カミーユが存在しなくなることは悲しんでも、彼女の心の奥底の闇をみることはできなかったでしょう。

参考:

http://www.intermonet.com/exhibit/bremen/biography.htmp

http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/monet_son.html https://en.wikipedia.org/wiki/Camille_Doncieux https://www.metmuseum.org/toah/hd/cmon/hd_cmon.htm

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