ポップ・アート運動に大きな影響を与え、80歳を過ぎても新しいスタイルを生み出しているイギリスの巨匠 デイヴィッド・ホックニー(David Hockney)。
同性愛者であることを長年隠していた同じポップ・アートの先駆者 アンディ・ウォーホールと違って、ホックニー氏は、10代の頃から公表しています。社会で同性愛者が抑圧され、見過ごされている地域で公然と同性愛者であり続けそのスタイルを芸術で表現をしてきました。
ホックニー氏は恋多き男性で、多数のパートナーと生活をともにし、時には大きなスキャンダルにも発展しました。ホックニー氏の主だった恋人を肖像画とともに紹介します。
彼の恋人たちは、ホックニー氏にとって、どのような存在だったのかをみていきましょう。
ピーター・シュレジンジャー Peter Schlesiger
引用元:https://www.pinterest.pt/
1966年、ホックニー氏が28歳、ピーターが19歳の時、カリフォルニア大学のサマースクールで出会い2人はすぐに恋に落ち、ロンドンに移り一緒に住み始めました。
ピーターはホックニー氏のミューズであり、ピーターをモデルにして多くの絵を描いていきました。いちばん有名なのは、『芸術家の肖像画ープールと2人の人物ー』です。(2018年約102億円で落札)
引用元:https://bijutsutecho.com/
二人は至福のロマンスを楽しみましたが、70年代前半には、関係はすでに底辺に落ちていました。彼らの別れが決定的になり、当時としてはかなりセンセーショナルな映画『A Bigger Splash(1974)』が公開されています。別れた原因は年齢差であるともいう説もありますが、定かではありません。
ピーターは現在、ニューヨークを拠点とし、彫刻、絵画、写真の現代美術アーティストとして活動しています。
引用元:https://artsmeme.com/
随分と面変わりしたように見えますが、1948年生まれですので、もう71歳です。
シュレシンジャーの現在のパートナーはスウェーデンの写真家エリック・ボウマンです。
引用元:https://www.patrickmcmullan.com/
ピーターとエリックは1969年に出会っており、ピーターがホックニー氏と別れた後、すぐに一緒にニューヨークに移っています。エリックはピーターより2歳年下で、思考も合い、40年以上の長いパートナーの関係です。
ジョン・フィッツハーバート John Fitzherbert
ジョン・フィッツハーバード 1990 引用元:https://arthive.com/davidhockney/
1990年にロンドンでの昼食会で2人は出会いました。シェフであるジョンは、ホックニー氏に手紙を書き、ロサンゼルスで料理人として彼のチームに加わることができるかと尋ねたそうです。
2人はホックニー氏が母親のために買ったヨークシャーの家に犬と一緒に住んでいましたが、2009年に関係は終わりました。別れた後もジョンは引き続き家の管理をしていました。
ドミニク・エリオット Dominic Elliott
引用元:https://metro.co.uk/
ドミニク・エリオット 2008 引用元:https://www.huffingtonpost.co.uk/
2013年、ホックニー氏のヨークシャーの家で、23歳のドミニク・エリオットが死亡しました。死因は薬物乱用後、漂白剤を飲んだためです。
ドミニクはジョンの恋人で、ホックニー氏のアシスタントでもありました。ジョンはこの事件で、薬物を隠蔽していたとして逮捕されています。
この件にホックニー氏は関与していなかったのですが、前年に脳卒中を起こしていたかれにとって大打撃であり、4ヶ月もの間制作は何もできず鬱の状態でした。
この家は売却しましたが、ホックニー氏は、ジョンとは今でも友人であると言っています。
ジャン=ピエール・ゴンサルベス・デ・リマ Jean-Pierre Gonçalves de Lima
引用元:https://drewaltizer.com/event/ジャン=ピエール・ゴンサルベス・デ・リマ 1999
17年以上のパートナーであるフランス人の写真家でホックニー氏のチーフアシスタントであるジャン=ピエール・ゴンサルベス・デ・リマとは、17年以上のパートナーシップが続いています。
現在一緒にロサンゼルスに住み、ホックニー氏の制作風景などの写真は、全てジャン=ピエールが担当しています。
ホックニーは恋人たちを愛したのか
ホックニー氏は、「人生最愛の人とは誰か?」の問いに「家族」と答えています。この家族というのは、ホックニー氏の亡くなった両親と兄弟家族のことで、恋人は含まれているのでしょうか?
ブラッドフォードで両親と 1962 引用元:</phttps://gerryco23.wordpress.com/
ホックニー氏の家庭は労働者階級だったので、幼い頃の彼は、新聞、雑誌、種類の余白部分に絵をかいていました。しかし、両親 ケネスとローラは、ホックニー氏の同性愛嗜好を10代の頃から否定することなく支持していました。この時代には珍しい自由な考えをもった人道主義者で「他人の言ってることは気にするな」と励ましてきました。また、4人の兄姉も同様で、弟が芸術追求のために家の中を絵の具だらけにしても好意的でした。成長しても家族との絆は深く、海外に移っても交流は続き、姉のマーガレットがホックニー氏のiPadを紹介したのは、よく知られていることです。
このような愛情を、ホックニー氏は恋人たちに注いでいたのでしょうか。
彼はどの恋人の肖像画も描いていますし、それぞれの恋人は、彼のなんらかの仕事を補佐するアシスタントでした。ホックニー氏の芸術制作の上でのミューズであったことは確かですが、真の愛情があったかというと疑問に感じます。
彼の作品と人生をみていくと、多くの恋人をもった芸術家と同じ、例えばピカソのように、恋人を愛するのは自分の芸術を完成するための手段ではないのかとも考えてしまいます。(余談:ホックニー氏は歴史上の人物で一番好きなのはピカソと答えています)
ホックニー氏と付き合った男性が不幸だとは言いませんが、偉大なる芸術家の影に、真実の愛を得られない恋人がいるというのは、世の常なのかもしれません。
参考:
GQ おかげさまで上々です
Hockney: picture, family, friends and lovers
LiveRumpUp
MailOnline
CRISTIE’S
The Guardian
artnetnews
Wikipedia
Peter Schlesiger