アート

高田賢三のパートナー、グザビエ・ド・カステラのプロフィール!KENZOとの出会いは?エピソードは?死因は?

80〜90年代にかけて「KENZO」ブランドで一世を風靡した高田賢三氏。

「爆風フライデー」にも出演してましたね。

「高田賢三 爆風フライデー」の画像検索結果

高田賢三氏は御年79歳ですが、栄光、挫折、破産など、怒涛の人生を送られたようです。

その波乱万丈な人生を支えたのは、高田氏の男性パートナー、恋人グザビエ・ド・カステラ氏でした。

今回はこの高田賢三の大切な恋人、グザビエ・ド・カステラの経歴、プロフィール、高田氏との出会いのきっかけ、死因を調べてみました。

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グザビエ・ド・カステラのプロフィール

<高田とカステラ>

 

カステラ氏は、ルイ14世から伯爵の称号をもらったというフランス貴族の出身です。

名前に貴族の称号である「」が入ってますね。

貴族といってもフランス革命で、貴族制は廃止されましたから、現在の貴族の末裔は様々で、庶民の暮らしをしている人も結構います。

しかし、カステラ氏は経済的に大変裕福でした。カステラ氏の先祖は、きっとフランス革命のときに、無事に北欧あたりに逃れて、ビジネスの才もあったのでしょう。

グザビエ・ド・カステラ氏は、富裕層であっただけでなく、建築を学んでいました。ヨーロッパの古城についてはかなり深い知識がありました。

そして、日本建築や文化、思想についても理解と知識が深く、桂離宮や龍安寺また京都の禅寺の庭園についても、高田氏と語り合う事ができました。

カステラ氏は公私ともに高田氏のパートナーで、「KENZO」のブランド立ち上げから資金面も含めて援助したのです。

また、パリのバスティーユに25億円とも言われる日本建築を模した豪邸を建て、89年から20年間過ごしました。

高田賢三の豪邸まるで、外国にある観光地の日本庭園のようです。

19世紀に始まったジャポニズムを、フランス人は今でも愛好している人が多いようで、カステラ氏も、その1人だったのでしょう。

高田賢三とクサビエ・ド・カステラの出会いは?

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パリのデザイナー、カール・ラガーフェルドのパートナーだった男性が2人を引き合わせたのが最初の出会いでした。

画家・パブロ・ピカソの末娘でパロマ・ピカソの誕生日の夕食会です。

パロマ・ピカソは現在ティファニーの仕事をしてますね。

「パロマ ピカソ」の画像検索結果

このパロマは、ピカソを唯一ふった女性として名高い、フランソワーズ・ジローの娘です!

高田氏は、この誕生日会で、ラガーフェルドらがいるデザイナーたちと一緒の席に座ったのですが、目の前にカステラ氏がいたんですね。

高田氏は、カステラ氏を「なんてハンサムなんだろう、、」とうっとり見つめ、ハリウッドスターのクリント・イーストウッドかと思ったほどでした。

カステラ氏は、はにかむ時、必ず口ひげを触るくせが有り、印象的だったそうです。それに日本文化にも精通しているし、2人はどんどん惹かれ合っていったそうです。

きっと初対面で、ビビッとくるものがあったんですね。運命的な出会いです。

高田賢三とのエピソード

ある日、カステラ氏が「ケンゾー、僕はどうしても見たいものがあるんだ」と言って、高田氏をベルサイユ宮殿に連れ出しました。

「ベルサイユ宮殿」の画像検索結果ベルサイユ宮殿はパリから離れているので、2人でちょっとしたドライブ旅行です。

宮殿はお城と庭園が素晴らしくマッチしていて、花壇の花が美しく咲き乱れていました。

夕方になって、日が沈みかけた頃、カステラ氏が言います。「ケンゾー、今だよ!こっちを見て!」

高田氏が西側の宮殿側に、振り返ると巨大な夕日が輝いていました。もう一方では鏡のホールが日光の光線を浴びて輝いていました。すべてが緋色の染まった世界にいたのです。

高田氏は、この宮殿が、自然と完全に調和されるように緻密に造られたいたことに感動し、呆然としてしました。

そんな高田氏を見て、カステラ氏が優しくにっこり笑いながら「ね?!わかったでしょ!」と言ったのです。

ロマンチックですね〜。自分の素晴らしいと思っていることを共有できるなんて、なんて素敵なのでしょう。二人の間の深い愛を感じます。

グザビエ・ド・カステラの死因

カステラ氏は1990年半ばに亡くなっています。

死因はエイズでした。

今は医学の発達で、エイズにかかっても治療法はあるのですが、当時は死を意味する病気で、カステラ氏も随分と苦しんだことでしょう。

高田氏はカステラ氏の死後、2年間はすっかり落ち込み、デザイナー活動もできない生活を送っていたようです。

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まとめ

グザビエ・ド・カステラ氏は、裕福な貴族で建築と日本文化に非常に深い知識のある方でした。

そして、高田賢三氏のかけがえのない公私共のパートーナーであったのですね。

カステラ氏は、もう亡くなってしまいましたが、今でも高田賢三の心の中に生き続けていることでしょう。

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