45歳の若さで逝去した現代美術家、佐藤雅晴(さとう はさはる)氏。
現実の風景や人物を丹念にトレースしてアニメーションに変え、写実でありなから、その異質感を生み出した作品が海外でも知られています。
本記事では、佐藤雅晴氏のプロフィール、経歴、結婚した妻や代表作品や展覧会を紹介します。
佐藤氏にとっての「トレース」や、亡くなる直前までのSNSでの感慨深いコメントと共に見ていきましょう。
佐藤雅晴のプロフィール
氏名:佐藤雅晴 (さとう まさはる)
生年:1973年10月
没年:2019年 3月9日 享年45歳
出身地:大分県臼杵市
学歴:大分県芸ジュル文化タンク大学附属緑丘高校 卒
東京藝術大学美術学部油絵学科 卒
東京芸術大学大学院修士課程終了
国立デュッセンドルフクンストアカデミー 研究生として在籍
佐藤雅晴の経歴
佐藤氏は、中学の頃から美術の勉強を始め、高校では美術に特化した教育を受け、一浪して芸大に入学し、その後大学院へ。しかし、この間に古典から近代の美術にかんしては興味を失ってしまい、現代美術の分野に入り込んでいきました。
ドイツのデュッセルドルフ クンストアカデミーに聴講生として留学。その期間は2年間しかなく、現地の日本食レストランに就職してドイツで学びを得ようとしますが、過酷な勤務時間のせいもあって、次第に美術への興味は失せてきたそうです。
けれどそんな生活環境の中で、「トレース」という行為は佐藤氏の何かを作りたいという欲求を満たしていきます。事物、事象の再現が「なぞる」でありながら佐藤氏の「トレース」は「自分の中に取り込む」という意味を持ち始めます。
受賞歴
2009 | 「第12回岡本太郎現代芸術賞」特別賞受賞 |
2011 | 「第15回文化庁メディア芸術祭」審査委員会推薦(アート部門) |
闘病生活
2010年日本帰国の年に癌を患い、治療や手術を受け、入退院を繰り返す、闘病生活が始まりました。制作活動が困難な状態になってきても、余命宣告を受けても、作品を生み出していきました。
佐藤雅晴と結婚した妻
佐藤氏は同じ現代美術家の大額美穂子氏と、2002年3月9日に結婚しました。この3月9日は奇しくも17年前に結婚式を上げた日だそうです。
氏名:大垣美穂子 (おおがき みほこ)
生年:1773年
出身地:富山県射水市
学歴:愛知県立芸術大学美術学部油絵学科 卒
国立デュッセンドルフクンストアカデミー立体専攻 修了
大垣氏は、2013年にくも膜下出血で倒れたことがあり、現在でも検査に通院しています。自身の病気と夫・佐藤氏の闘病生活を支えながら、創り出す作品のテーマは「生きることとはなにか」。
2006年から個展、グループ展などを多数開催しています。
茨城県取手市でハナちゃんという猫と老朽化が進み取り壊しが予定された自宅で、3人で暮らしていました。
佐藤雅晴の代表作品
死神先生
日々の生活の中で、親しみのある光景や瞬間を、原寸大の絵としてトレースした作品です。
死神先生からの余命宣告は罠です。彼が言ったタイムリミットを信じて、ただ死に向かって時を過ごすのは自殺行為です。3ヶ月という時間をどう過ごすかは、ぼくの自由です。誰の目も気にせずに、家と共に消えていく存在を、絵にしたいと思います。引用元:kennakahashi.net
東京尾行
佐藤氏は「トレースとは尾行である」という考えのもとに、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて変化している東京を描いた作品。
HANDS
自分の行動、または他者との関係を結ぶために用いる手の行為をトレースしてアニメーション化した作品。
佐藤雅治の展示会
DOMANI・明日2020
傷ついた風景の向こうに
傷ついた風景をまなざす、傷ついた身体
佐藤雅晴《福島尾行》
“時間をかけて場所に馴染んでいくことで見えてくるものがあるので、もっと取材する時間が必要なんです。”音の出ないピアノが奏でる月の光https://t.co/pTKsla4PcX#domani2020 pic.twitter.com/MAoiRW5ma8
— Berlaarstraat (@Berlaarstraat1) January 11, 2020
会期:2020年1月11日~2月16日
会場:国立新美術館 企画展示室2E
住所:東京都港区六本木7-22-2
電話番号:03-5777-8600
開館時間:10:00〜18:00(金土〜20:00)
佐藤雅晴氏の未完成遺作となった「福島尾行」が、上映。震災後、癌との闘病生活を続けながら、福島を何度も訪れて制作した作品。映像の一部をアニメーション化してあり、現実と非現実の境界線を考察してみるのもよいでしょう。
極限状態で生まれてきた作品
2016年に原美術館で若手作家の個展として「東京尾行」が開かれた時には、佐藤雅晴氏はすでに闘病生活の中にいました。
『東京尾行』の制作中にぼくの場合は向こうから「無茶」がやってきました。それは完治していたと思っていた癌が再発し、すぐにでも手術をしなければいけないという告知でした。その後、手術は無事に成功し転移もなかったのですが、上アゴをすべて摘出したせいで入院中は痛みと熱でベッドから動けない状態になりました。そんな苦しむ姿にたいして妻が病室のテーブルにガーベラの花を添えてくれました。 引用元:www.art-it.asia
普段は見逃してしまう光景に気づかせてくれたのが、病気という極限状態であったと語っています。日常のありふれた出来事をトレースしていくことで、自分の無意識を引き出し、膨大な時間をかけて作品を制作していく中で、佐藤氏は、生きていくことの計り知れない時間の重さを感じ取っていたのではないでしょうか。現実と非現実の間を彷徨う写実的な作品の中に、ほんの少しの違和感を感じとることが、私達にとって何を意味するのか。
それは、思考と感情の抜け落ちたピースを埋めてくれる、何かが現れるような感覚が呼び起こるのではないでしょうか。
妻の大垣氏は佐藤氏の訃報を伝えると共に、「夫の作品はまだこの世に存在します。今後もさまざまなアートプロジェクトでこの世を彩ってくれると思います。」と語っていました。