ポール・アイズピリ。日本でも人気の高い戦後のパリ画壇の画家です。
色彩豊かに日常の生活を映し出す絵は、誰もが好感をもち、美術館で鑑賞するというよりも、自宅の居間や寝室にさりげなく飾ってみたくなる作品です。
ポール・アイズピリ 生い立ち
アイズピリは1919年5月14日にフランスのパリで生まれました。母親はイタリア人で父親はバスク人。
この年は6月にヴェルサイユ条約が調印され、パリは芸術家、作家、ミュージシャン、ダンサー、そして世界中から文化的哲学の抑圧を逃れた政治難民で溢れかえっていました。この芸術コミュニティにかかわりのあったアイズビリの父親は彫刻家になりたかったようです。しかし、家族を養うために、骨董品のディーラーとして働いていました。
アイズピリは幼少期から美術に興味があったので、始めは家具や寄木細工のデザインを学び、17歳の時にパリの美術学校に入学し本格的に絵画を習得していきます。
19歳ですでに公共団体から依頼を受けるほどの腕前に上達しています。この時期はモンパルナスのヴォージラール通りに住んでいて、マルク・シャガール、ハイム・スーティン、ジュール・パスシン、藤田嗣治、アルベルト・ジャコメッティなどが隣人でした。当時最も活気のある芸術コミュニティで暮らしていたのです。そしてモンパルナスのキキ(アリス・プラン)が主宰するパーティに頻繁に出入りしていました。
しかし、ファシズムがヨーロッパ中に広がるにつれて、戦争の脅威が避けられないようになり、芸術活動を停止し、兵士となり戦争に参加します。(ドイツ軍の捕虜になり脱走して戻ったという説もある)
ポール・アイズピリ 1940年代
アイズピリは1942年にパリに戻り、初の展覧会を開催します。
この頃は、ベルナール・ビュフェ、アンドレ・ミノー、ミシェル・トンプソン、ポール・レベイロールなどと活動し、人間と自然の重要性を再活性化することをテーマにしていました。彼らは、自然と人類への愛を表現するために、戦争の終わりにパリに戻った画家の叫びと評され「ジューンペインチュール」(若い絵画)と呼ばれました。
ポール・アイズピリ 1950年代
1950年代に入り、アイズピリの絵画は注目を集めていきます。サロン・ド・ラ・ジューヌ・ペインチュールでナショナル賞を受賞、ヴェネツィア・ビエンナーレでも受賞しました。これらの賞は、彼の評判の高め、パリの代表アーティストとして地位を築きます。
この年代はピエロや曲芸師などの具象画をいくも作成しています。ピエロの表情は、戦争という恐ろしい出来事によってもたらされた、人々の深い悲しみを映し出していると言われています。
1958年、ヴェネツィアに旅行し、この頃から明るく魅惑的な色と光を取り入れていきます。穏やかな気候の中、地中海の降り注ぐ陽の影響か、画面は徐々にカラフルになり、時には表現主義的な画風に変わります。
経済的にも余裕のできたアイズピリは、陶芸とリトグラフも始めます。リトグラフでも高い人気を得て、シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」などの本の挿絵も作成しています。
ポール・アイズピリ 1960年代以降
40歳を過ぎてもアイズピリは新しい創作方法を模索し続け、装飾的な二次元的構成を取り入れています。
ニューヨーク、東京、ジュネーブ、アヴィニヨンなど各国で個展を開催。
彼の作品の受容は1950年代から1960年代にかけて国際的に拡大しました。
日本市場で非常に高い人気を得て、広島県にあるなかた美術館が1969年に設立され、200点以上のアイズピリの作品を所蔵しています。
ユトリロの偽鑑定をしたことで知られているポール・ペトリデスですが、アイズピリの作品を最初に日本市場に紹介したのは、ペトリデスだったようです
ポール・アイズピリ 作品
ポール・アイズピリ なかた美術館
パリの馨り
2023年3月4日(土)~8月27日(日)
〒722-0012 広島県尾道市潮見町6−11
ポール・アイズピリとベルナール・ビュッフェ
アイズピリの履歴を見ていると、ベルナール・ビュッフェが思い浮かびます。
同じ国で同じ時代を生き、20歳前後で天才画家の名を欲しい儘にし、戦後の不安や悲しみを太い輪郭線で暗い色調の絵に表現していました。二人とも日本で人気の高い画家です。
しかし、ビュッフェの画風は生涯あまり変わらずにいましたが、アイズピリは中期以降は、華やかな色彩を多く用いるようになり、アイズピリと言えば、バカンスで来た南欧のような明るく軽やかな作品を思い出す人が多いでしょう。
アイズピリの作品はビュッフェのような切れ味は感じさせなくても、身近な題材がシンプルに構成されていて、親しみを感じます。どちらの絵が好感をもてるかと問われれば、迷わずアイズピリを選ぶのではないでしょうか?
その魅力は日常のありふれたものが、少しだけ、もしくはかなり良くなって再び目の前に現れたような、優しさと嬉しさを運んでくるような感覚が漂っているせいかもしれません。これもおよそ一世紀を生きたアイズピリならではと感じます。