落語界の重鎮 林家木久扇(はやしや きくおう、1937−)さんと息子の二代目木久蔵(きくぞう、1975−)さん。
2007年に落語界初の親子同時襲名を成し、話題になりました。父親 木久扇さんは新作落語を得意とし、息子 木久蔵さんは古典落語が主流という、親子の芸風が逆な感じがしますが、おふたりとも明るいキャラクターは同じです。
ここでは、林家木久扇、木久蔵さんの家族について紹介します。結婚した妻や子供、孫、そして両親はどんな人だったのでしょうか?
林家木久翁の両親 父親、母親と子供時代
木久扇さんは1937年(昭和12年)10月19日に、東京市日本橋区(現・東京都中央区)で、雑貨卸売業を営んでいた裕福な両親のもとに、長男として生まれます。本名は豊田洋。
しかし、東京大空襲が全焼し、廃業。10歳の頃、両親が離婚し、母側に引き取られました。小学校の頃から新聞配達をして家計を支え、高校卒業後は、森永乳業に就職。漫画家を志し漫画家清水崑さんのところへに入門。そして清水さんに落語家への道を勧められ、桂三木助門下に入門します。三木助師匠が亡くなったあと、林家正蔵門下に移籍し、林家木久蔵となります。
木久扇さんは、戦中、戦後と貧乏をしたので、「金はあるに越したことはない」という考えを持ちます。「現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している」とも批判していて、伝統芸能に従事していますが、ビジネス意識の高い人です。海外にもラーメン店を持っているとこなども、「稼ぐ情熱」があるのがわかります。
父親との思い出は一緒にミルクホールに行ったことだそうです。日本橋の雑貨問屋を営んでいたので、毎日家が忙しく夕飯は殆どが外食だったといいます。しかし、戦争で築き上げたものをすべて失ってしまった父親は、気力をすっかり失い、立ち直ることはなかったという悲しい最後になってしまいました。
両親が離婚したあと、母親と西荻窪に移り、当時は自然豊かな場所だったので、雑木林の中でチャンバラごっこをしたり、川でザリガニをとっていたそうです。しかし、小4のときから働かなくてならなかった生活は大変苦しく、高校の学費も払えなかった時期もありました。女でひとつで育ててくれた母親には、非常に感謝していて、彼女が亡くなるまでずっとまめに、お世話をしていました。
林家木久扇の妻
1967年 30歳のとき、本牧亭席亭の妹 武津子(むつこ)さんと結婚。(本牧亭ほんもくていは、東京都台東区上野にあった講談専門の寄席で2011年9月24日閉場しています)
自分の結婚式の日と、他人の結婚式の司会の営業をダブル・ブッキングしてしまったとか。そして、どちらをキャンセルしたかというと、自分の結婚式には、新郎席に柳家小きん(後の6代目柳家つば女)が代理人として座らせたそうです。芸人の鏡というか、芸人ならではの対処の仕方です。
芸人の「おかみさん」でもあり、主婦でもあった武津子さんは、堅実な性格だそうです。いつも木久扇さんを立てて、木久扇さんが家にいるときはぜいたくな食事を用意してます。オールドファッションスタイルの夫婦で、食事のときには最初に箸を付けるのは家長の木久扇さん。風呂も一番始めに入るという夫をたてる妻のようです。
林家木久蔵の妻
2代目林家木久蔵さんは、木久扇さんの長男として、1975年に東京都三鷹市で生まれます。本名は豊田 宏寿(とよた ひろとし)。1995年、父親でもある初代林家木久蔵に入門。
2006年 31歳のときに、浅野由希恵さんと結婚。由希恵さんはGUCCIの販売員としていて、その店に木久蔵さんが訪れ一目惚れをしたそうです。
林家木久扇の孫、木久蔵の子供
木久蔵さんが結婚した2006年の11月に長女 久美子ちゃんが誕生しています。2008年には長男の寿太郎君が生まれています。
引用元:https://natalie.mu/owarai/news/192161
寿太郎君は、林家コタとして8歳で落語家デビュー。親子3代で高座に上がっています。
木久扇デレデレ♪孫の林家コタ、8歳で落語家デビュー「ちょっと緊張した」 https://t.co/ndAxAHgkXj#落語 #林家木久扇 #林家木久蔵 #林家コタ
— サンスポコム (@SANSPOCOM) October 24, 2016
コタ君も林家木久蔵さんの底抜けに明るい芸風を受け継いで、将来、私たちを楽しませてくれることを期待しています。