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阿川佐和子の家族について。祖父は実業家、父は作家、夫は教授の華麗なる一族。

エッセイストでありテレビでタレント、司会者として活躍する阿川佐和子さん。

テレビ番組『サワコの朝』では、ゲストへの気取らないフレンドリーな対応と質問で、土曜の朝の時間帯でも、10年近く続く人気長寿番組となっています。

ここでは、阿川佐和子さんの華麗なる家族を紹介します。祖父母、父母、兄弟、結婚した夫などをエピソードを交えてみていきましょう。

阿川さんは親しみやすい気さくな性格ですが、華麗なる一族と言えそうです。

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阿川佐和子の祖父 阿川甲一(あがわ こういち)の経歴・学歴

Agawa Kouichi1.JPG引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

生年:1870年11月

没年:1948年6月 享年78歳

出身地:山口県美祢市伊佐町

学歴:関西法律大学(関西大学)、和佛法律学校(法政大学)卒業

職業:実業家 満洲阿川組社長、長春倉庫運輸株式会社社長、長春日本人商工会議所会頭などを務めた。

20歳になって弁護士を目指し、家督を甥に譲って大学に入学。卒業後は東京通信社の社員となって、ロシア ウラジオストックに滞在します。

1894年、シベリアで鉄道建設工事を請負ったり、ハバロフスクで食料雑貨毛皮販売ゲーツマン商会の会計事務を取扱ったりしていました。

その後、満州へ入ってハルビンに移住し、写真店を開業。1900年東清鉄道のロシア人技師長と契約し、松花江に架る鉄橋の礎石建設工事を請負います。

「松花江に架かる鉄橋」の画像検索結果引用元:https://www.gakushuin.ac.jp/univ/

この松花江鉄橋は、長さ1050.87m、幅7.2m、橋上部のアーチ部分は一九ある。上真中の写真手前に見える石造の建物は警備兵詰所。橋桁の石垣は、甲一氏が長崎から呼び寄せた日本人石工20名によって施工されました。「将来、日本のものになるのだから頑丈につくった」というエピソードが残っています。

1901年、大阪に戻りますが、1904年には日露戦争が勃発。文官通訳官として満州の戦線へ出で、戦後は、長春に土木建築請負業阿川組を設立しました。

1920年、満州での事業を支配人にまかせて引退するし、広島に転居します。

子供は、満州で知り合った髪結いをしていたシツとの間に庶子として幸寿さん。(のちにひきとられ嫡子たちと一緒に育つ)
妻キミとの間に、佐和子のさんの父 弘之さん、静栄さん、公子さん(5歳で夭折)の4人でした。

阿川佐和子の祖母 キミ (1879−1955)

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

祖母キミは大阪出身で生家は刀剣・骨董の没落商家であったそうです。キミは18歳の時一度結婚しますが、夫がひどい酒乱だったためすぐ別れて下宿屋兼業の旅館へ女中奉公をしていました。その旅館が甲一氏と出会ったのです。

しかし、娘の静栄さんが生まれるまでは籍を入れることがなく、大阪にいる「内縁の妻」の状態でした。

甲一氏がリタイアして広島に一緒に住みましたが、ずっと「大阪の女」で大阪弁がぬけることはなかったそうです。

また、弘之氏が、自分の癇癪持ちで短気な性癖は、個性でなく、母の遺伝子をそっくり受け継いでいるだけのことではないか、とも言っているので、気象の激しい女性だったことが伺われます。

阿川佐和子の父 阿川弘之 (1920−2015)

「阿川弘之」の画像検索結果引用元:https://books.bunshun.jp/

出生地:広島県広島市

学歴:東京帝国大学国文科

職業:小説家、評論家

佐和子さんの父 弘之氏は、中国語ができたため、対中国の諜報作業を担当し、戦後は中風の父親と白内障の母とともに、原子爆弾投下により焼け野原になってしまった故郷でひっそりと暮らしていました。

その後、志賀直哉に支持し、主要作品は戦記や記録文学で『山本五十六』や『米内光政』など。数々の賞を受賞し、日本芸術院会員。1999年に文化勲章受章。

鉄道マニアであったのですが、「新幹線が世界の三バカの仲間入りにならないように願いたい」と発言して新幹線の建設批判と取られてしまったこともあります。

作家仲間は、遠藤周作、吉行淳之介、開高健と親しく、ユーモアに富んだ交友関係でありましたが、最後まで大江健三郎とはソリが合わなかったようです。

阿川佐和子の母 光子

光子さんの父親は建築家の増田清(ますだ きよし)氏で、大阪を拠点とし、戦前に活躍しました。

弘之氏は亭主関白で、感情の先立つことが多く、男尊女卑でわがままで、妻や子供には絶対服従を求めたそうですが、そんな夫によく尽くし、幸せな結婚生活だったと語っているので、佐和子さんを驚かせました。この寛容さは、光子さんの父親の血を引いたものだと思われます。光子さんの父親、加川百助は「仏の百助さん」と周りの人たちから言われていたほど、許容力の大きな穏やかな人だったそうです。

阿川佐和子の兄弟姉妹

佐和子さんには兄(尚之)と二人の弟(知之、淳之)がいます。末っ子の敦之さんは、佐和子さんとは20歳近く年が離れています。

兄 阿川尚之(あがわ なおゆき)

「阿川尚之」の画像検索結果引用元:https://sfcclip.net/

1951年生まれ。法学者、エッセイスト。ニューヨーク州及びコロンビア特別区弁護士。同志社大学法学部特別客員教授、慶應義塾大学名誉教授。

慶応大学を中退し、米国ジョージタウン大学のロースクールを卒業。ニューヨーク州、バージニア州、コロンビア特別区の弁護士資格を持つ「アメリカ通」で、親米的な発言が多いです。

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阿川佐和子の夫と子供

阿川佐和子さんは、2017年5月、63歳で熟年結婚をされています。

夫は、6歳年上の慶應義塾大学の元教授。名前は非公開です。阿川佐和子さんは、28歳のときにパーティで顔見知りになったそうです。付き合いが始まったのは、ご主人が元妻と離婚してからだそうです。

佐和子さんは初婚ですから、二人の間に子供はいませんが、ご主人と元妻の間に4人のこどもがいます。

しかし、一生独身かと思っていた佐和子さんが、60歳過ぎてからの結婚は、衝撃的でした。佐和子さんは理想の夫を探すため、30回以上お見合いをしたというのですから、ご主人はやっと見つけた「白馬の王子様」と言ったところでしょうか。佐和子さんが年齢を感じさせない美しさを保っていけるのも、わかるような気がします。末永くお幸せに。

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