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升田鉄三医師の経歴や家族は?礼文島の診療所での活動について。

日本の最北端の島、礼文島で医師として島民の医療に携わる升田鉄三(ますだ てつぞう)医師。

診療所での診察の他に、病気や障害を持った人たちのために訪問診療を35年以上も行っています。

升田鉄三医師の

  • 升田鉄三医師のプロフィール 経歴・学歴
  • 升田鉄三医師の家族 両親・兄弟・妻
  • 礼文町の診療所
  • 診療所で治療できない場合は?
  • 礼文島民がかかりやすい病気は?
  • 升田医師も病気を患っている?
  • 升田医師のこれから

について見ていきましょう。

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升田鉄三医師のプロフィール 経歴・学歴

「升田鉄三 医師」の画像検索結果"引用元:http://www.town.rebun.hokkaido.jp/

生年:1954年

出身地:北海道礼文町

学歴:秋田大学医学部

升田医師は礼文島礼文町の漁師の家で生まれ、中学までは礼文島で過ごし、高校からは島をでて、奨学金を得て秋田大学医学部に入学しました。

1979年に大学を卒業し、秋田大学第一外科に入局。消火器内科と循環器内科を研修した後、1982年から2年間は、青森県立病院で研修。その後、また秋田大学で臨床医として勤務していました。いろいろな科で研修を受けてきたのは、礼文島に戻るためだったそうです。

1986年に帰島し、礼文町国民健康保険船泊診療所の所長として着任します。診療所常勤医師は升田医師ひとりだけです。そして、50年ぶりの礼文島出身の医師として活躍しています。

升田鉄三医師の家族 両親・兄弟・妻

ご両親は漁業をなさっていて、小学校、中学校時代は升田医師も家業を手伝っていました。

四人兄弟で、丈夫な子に育つようにと、高校進学のときは、小樽で働く4つ上の姉をたよって島を出ましたが、高校時代はお寺に下宿したそうです。

結婚した奥様は小、中学時代の同級生で、医学部に進学して離島医療に貢献することをすすめたそうです。奥様の伯父さんは、柳谷誠三医師で、40年間礼文島で外科医として活躍していました。また「礼文島の奇病」と呼ばれたエキノコックス症について研究したそうです。

礼文町の診療所

「礼文町 診療所」の画像検索結果"引用元:http://www.town.rebun.hokkaido.jp/

升田医師は礼文町国民健康保険船舶診療所に勤務しています。

現在礼文島の人口は、約2500人。65才以上の高齢者が36%、75才以上が20%を占めます。1日の平均外来は77人、入院患者は14人です。平日の診療に加えて夜間・休日の救急患者を24時間受け入れています。応援ドクター2人が、島外から定期的に診療しますが、常勤医は升田医師ひとりだけなので、いつも2500人の島民を診ていることになります。看護師さんは約15人いるそうです。

がんの化学療法、リハビリ、人工透析も症状が安定していればこの診療所で治療が受けられ、患者さんは専門病院に3ヶ月に1回受診する程度です。整形外科術後や、脳卒中後遺症のリハビリ、人工透析も受けられ、充実しています。

診療所で治療できない場合は?

診療所で十分な治療ができないと判断した場合は、フェリーで約2時間かかる稚内市の病院をすすめるそうです。

救急患者は年間約60件あり、脳梗塞・脳出血など島外への救急搬送が必要のときは、患者移送車や旭川赤十字病院のドクターヘリを使用します。以前は升田医師もヘリに同乗していましたが、20年前から搬送先のドクターが同乗するようになったので、地元の医師の負担が減ったようです。

礼文島民がかかりやすい病気は?

漁業が盛んなので、整形外科的疾患、骨粗鬆症、椎体骨折、足関節骨折などの患者さんが多いそうです。

島民はワカメや昆布などヨードを多く含む海藻をよく食べますが、甲状腺疾患が多くはないようです。糖尿病、高血圧症などの生活習慣病の他の市町村と変わらないとか。

升田医師も病気を患っている?

升田医師は、1999年 45歳のときに濾胞性(ろほうせい)リンパ腫を発症しました。肩や首に違和感があり、秋田の病院に、1カ月間入院したそうです。(升田医師が入院の間、診療所は秋田大学の医師が担当していました)

入院治療で、がん細胞のほとんどを消すことができました。2005年から現在も、治療を継続するために3カ月毎に2週間の休暇を取って、秋田市立病院に2日間の短期入院をしています。病気になって患者さんの心情も益々深く理解でき、医療に役立つこともあり、ポジティブに考えていると語っていました。

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升田医師のこれから

地元出身であっても、「親しき中にも礼儀あり」の精神で、患者さんとはきちんとした態度で接しています。そして、患者さんが元気になり、患者さん本人やご家族の方に安心して生活していただくことが、医療を続ける上で升田医師の一番のエネルギー源になっています。

今まで自身の病気がありながらも、礼文島の医師として長い間医療を継続できたのは、島民からの大きな信頼があったからだそうです。大学時代から関わる全ての人、診療所スタッフ、礼文町そして家族のおかげだと升田医師は感謝しています。

「離島に携わる医師に必要なのは、まず心身ともに健康であること。たゆまず技術を磨いてそれを発揮することだと思います。」とおっしゃり、2020年の春からは、若い医師が島の医療を引き継ぐようです。長い間、お疲れさまでした。

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