音楽

伊丹久夫ボディガードが語るフレディ・マーキュリー素顔!優しい親日家だった!

映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット!興行収入は50億円を超えるとも言われています。

クイーン世代でなくても、ハードロックファンでなくても、クイーンの曲は老若男女が知っていますよね。

映画はフレディ・マーキュリーの半生を描いたものですが、そのシーンごとに、メンバーの秘話がたっぷり盛られていて、もう、映画を見ながら歌って踊って涙する大興奮ものです!

クイーンが来日した時に、必ずフレディ・マーキュリーのボディガードをしたのが、伊丹久夫氏。

伊丹久夫氏が語るフレディの素顔、優しくて、大変な親日家、日本美術にも造形が深かったというエピソードを紹介します。

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伊丹久夫のプロフィール

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警備会社「東京パトロール」の社長。現在72歳

1975年のクイーンの初来日からフレディ・マーキュリーのボディガードを請け負っていました。

伊丹久夫氏は身長165cmと小柄ですが、高校のときは剣道をやっていて大将を務め、全国大会で優勝した経歴があります。

その上、オシャレですごくカッコいい使徒だそうですよ。

フレディとは亡くなるまで、親しく交流して、フレディが心を許していた数少ない人たちの一人ともききました。

そして、伊丹氏は、マイケル・ジャクソンの警備もしていたそうです!

仕事でかなり緊張するとはいえ、来日するたびに、大物アーティストの間近にいつもいられて羨ましい限りです。

フレディ初来日で日本女子に怯える!

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初来日の時、クイーンが羽田空港に到着しました。

このときはクイーンの知名度はそれほど高くなく、母国の英国でも、米国でもまだ人気が広がっていない段階でした。

しかし、日本の女性ファンはいち早く熱く、1000人を超えるファンがお出迎え!

1アーティストに1人ずつボディガードをつけて伊丹氏がフレディ付いたのです。

用意周到に、税関を出た後まっすぐに出ず、かねてから考えていた脇道からリムジンに誘導して、宿泊先の東京プリンスホテルに急行。

パニック状態に近いファンの熱狂に裏口から入ってチェックインしたそうです。

フレディとメンバーは「これほどとは思わなかった。怖かった」とびっくりしていたそうです。

女子ロックパワーは70年代から凄かったんですね〜。

フレディ、タクシーに詰められて起こる!

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1976年の姫路公演の際、新幹線の駅にファンが殺到しているという情報から、新神戸で下車しました。

もうこの頃はハードロック全盛期ですから、ファンに揉みくちゃにされちゃいますからね。

それで、新神戸からタクシーで会場へ行ったのですが、急なことなので普通タクシーに乗り込んだんですね。

でも、メンバーをバラバラにタクシーに乗せるのは心配ですから、メンバー4人と伊丹氏、男5人で一台に乗り込んだんです。

当時のタクシーは今より小さいし、男性5人で無理やりギュウギュウ詰めだったんで、フレディをはじめとするメンバー全員が大変不機嫌になって、ブーブー怒っていたそうです。

なんか想像すると、あのクイーンがタクシーにギュウギュウ詰めなんて、おかしくて笑っちゃいますよね。

フレディがクイーンのメンバーをまとめていた?

「クイーン ジョンとフレディ」の画像検索結果映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、フレディがメンバーの中で浮いていて、常にトラブルを起こすような存在のような感じを受けますが、実はフレディは、メンバーの仲を取り持っていたようです。

ジョンは最年少で、最後にクイーンに入ったので遠慮もありましたし、音楽嗜好の違うロジャーやブライアンと意見の不一致が度々ありました。

フレディはジョンの良き理解者であったので、ジョンを支え励まし、メンバーとの仲介役を引き受けていたそうです。ジョンもそのおかげで、クイーンの中で徐々にのびのび活動ができるようになりました。

フレディは超気前がいい!

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伊丹氏は、フレディに「イタ~ミ」と呼ばれ、初来日記念でカルティエの置き時計、その後は同ブランドの腕時計、ライターカフスなどもプレゼントしてもらっています。

『イギリス人は、信頼を置く人にはカルティエを贈るんだ』とフレディは言っていたそうです。

離日する日に空港に向かう車で店に寄って『イターミ、腕時計を選べ』と言われ、一番安いのを指さしたら、『こっちにしろ』と一番高い時計を買ってくれたとも語っています。

うーん、いくら稼いでいるアーティストとはいえ、フレディは随分気前がいいですよね。

その上、伊丹氏は会社の設立10週年パーティのときに、フレディからサプライズでホテルオークラのケーキを送ってもらったこともあるそうです。

二人の間には、大きな信頼関係があったんですね。

フレディは日本美術の目利きだった

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フレディはかなり日本美術に造詣が深く、目利きだったようで、親日家だったそうです。

招き猫の置物が欲しいと言うので店に案内したら、『違う! 私の欲しいのは芸術性の高いアンティークだ』と叱られたそうです。

青山の骨董通りや成城にいい品があると聞き連れていったら、違うと言われ続けました。後に京都のある店で、『これだ!』と満面の笑みで購入したそうです。

九谷焼や浮世絵にも、興味を持っていたそうです。逆に日本人に、こっちが九谷であれは伊万里、、、なんて説明しちゃうほどだったとか。

自宅には、わざわざ日本から庭師を呼んで日本庭園を造って、池には鯉を飼っていました。

映画に出てきたのと同じように、病に侵された晩年は、可愛がっている猫を懐に抱いて池の鯉を眺めていたそうです。

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まとめ

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伊丹久夫氏とフレディ・マーキュリーの間には、強い信頼関係があったからこそ、いろいろなエピソードもあるのですね。

なんでも、フレディが短髪に口ひげをはやし始めたのも、伊丹氏の影響だとか?

フレディはもういませんが、クイーンは永遠ですよね!

こういったエピソードを聞くと、もう一度、いえ何度も映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見たい気持ちになりますね。

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