「東洋のロダン」と呼ばれた明治から昭和の彫刻家の朝倉文夫(あさくら ふみお)。
猫をこよなく愛し、自宅に15~6匹の猫を飼っていた時期もあり、ねこの作品にも幾度も制作しました。
ここでは、朝倉文夫の経歴・学歴・賞歴と猫作品や自宅の彫塑館を見ていきましょう。猫好きならではの鋭い観察力の彫刻は、写実性の中には微笑ましい愛らしさをたっぷり秘めています。
朝倉文夫のプロフィール 学歴・経歴・賞歴
引用元:https://www.pen-online.jp/news/art/asakura/
生年:1883年(明治16年)3月1日
没年:1964年(昭和39年)4月18日 享年81歳
朝倉文夫は1883年、大分県大野郡上井田村(現豊後大野市朝地町)村長であった渡辺要蔵の三男として生まれます。11人兄弟の5番目の子であった文夫は1893年の10歳の時に衆議院議員の朝倉種彦の養子となります。しかし、現大分県立竹田高等学校を3度も落第したため、母・キミにより1902年(明治35年)、当時既に東京で新進気鋭の彫刻家として既に活躍していた9歳年上の兄・渡辺長男を頼って上京します。
渡辺長男(わたなべ おさお)1874年(明治7年)- 1952年(昭和27年)
高村光太郎や武石弘三郎、白井雨山、青木外吉ら同窓生と「青年彫塑会」を結成。明治天皇騎馬像や井上馨像、太田道灌像、広瀬中佐像など、数多く製作した。東京日本橋の欄干の麒麟と獅子のブロンズ像は、長男の手によるものである。

麒麟像 1911年 引用元:http://at-art.jp/japan/tokyo/tokyo-chuo/nihombashi/
東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、卒業後、文部省主催の毎年恒例の美術展(ブンテン展)で何度も表彰され、彫刻家として定着します。朝倉は優れたスキルでリアリズムを追求し、教師としても活躍し、日本を代表する彫刻家になりました。
朝倉文夫と猫・作品
引用元:https://www.pen-online.jp/news/art/asakura/
写実的な作風で大好きな猫を造りあげていった朝倉は、1964年の東京オリンピックに合わせて、自身の彫刻家60周年と共に『猫百態』展を企画しました。アトリエにはモデルとなる猫たちが次々と集められ、制作に精を出したのです。
しかし、残念ながら、この『猫百態』展は朝倉の病死によって実現することはありませんでした。
引用元:https://www.pen-online.jp/news/art/asakura/1
引用元:https://www.pen-online.jp/news/art/asakura/1
引用元:http://www.taitocity.net/zaidan/asakura/exhibitions/collection/turusareta/
引用元:http://bluediary2.jugem.jp/?eid=5491
引用元:https://twitter.com/tokyohotnavi/status/708812316809138176?lang=ca
朝倉文夫の自宅と彫塑館
台東区の朝倉文夫の自宅兼アトリエは、現在彫塑館となっています。
引用元:https://tandw.exblog.jp/25963035/
猫だけではなくいろいろな動物の彫塑が楽しめます。もちろん、得意とする肖像彫刻も展示しています。
朝倉彫塑館
〒110-0001
台東区谷中7丁目18番10号
TEL:03-3821-4549
http://www.taitocity.net/zaidan/asakura/
朝倉文夫の猫の愛らしさ
一貫した自然主義的写実描写に徹した朝倉は、高村光太郎をライバルとし、日本美術界の重鎮でした。
学生時代は、モデルを雇うお金がないので、上野動物園へ通って動物のスケッチをしていました。そのうち、貿易商の注文で動物の像を卒業までに1200体以上制作します。これは、朝倉がもともと動物に対しての暖かく特別な愛情を持っていたからこそできる技であることは、後期の作品を見ればわかります。
単なる観察力に優れた写実派ではなく、動物が人間ではない高貴な内面を表現し、そこに憧れていた感覚を実感できるために、朝倉は「東洋のロダン」と呼ばれたのでしょう。
特に猫の彫像は、一緒に生活を共にしてきただけの人がわかる表情や動作がにじみ出ていて、愛らしくまるで生きているかのように思われます。
近年では、動物を抽象化して可愛らしく描く風潮がありますが、時には原点に戻って朝倉文夫の猫たちを眺め、本来の猫の姿を見つめ直すのもよい機会だと思えます。
