芸術家の恋人たち

ウイリアム・モリスの妻ジェーン。その人生と恋の行方|芸術家の恋人たち

今でも世界中の人々に愛されている美しく精巧なデザインを創り出したウイリアム・モリス。

彼の妻ジェーンはラファエロ前派のミューズであり、モリスとの結婚によって貧困生活からぬけだすことができ、優雅な日常を過ごします。

しかし彼女は夫モリスを愛したことはない、と語っていました。

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ジェーンとウイリアム・モリスの出会い

Married Life: William and Jane Morris (Dorothy Wise) - YouTube

<ウイリアム・モリス、ジェーン、二人の娘> 引用元

ジェーンは、1839年10月19日、イングランドのオックスフォードで生まれました。

父親は厩務員で、母親は文盲で家事使用人でした。下層階級の家庭で育ったジェーンは衣食住に困ったことも多かったでしょう。

1857年(18歳)5月、ジェーンと妹のベッシーは、オックスフォードのドルリーレーンシアターカンパニーの公演に出ていました。その時オックスフォードユニオンの図書館の壁画にアーサー王の物語を描くラファエロ前派の画家たちと出会います。

グループのメンバーにはダンテ・ロセッティエドワード・ジョーンズそしてウイリアム・モリスもいました。彼らは初めての壁画制作で全てにおいて非常に苦戦していたようです。

そこで美しいジェーンに壁画のモデルになるように頼みます。ジェーンは眉毛が太く長く、ギョロ目で下向きの鼻、出気味の顎、顔立ちがはっきりしている男顔で、典型的な美人という風貌ではありません。しかし、見れば見るほど引き込まれていく魔性の女という雰囲気を醸し出しています。あの鋭く妖艶な眼光に彼らの心は射抜かれてしまったに違いありません。ジェーンはこの壁画で、グィネヴィア王妃のモデルになっています。

引用元

壁画の制作が終わってからは、ジェーンはラファエロ前派ミューズとしてモデルを続けます。

ウイリアム・モリスは1858年にジェーンをモデルにしたイゾルデ(イズールト)姫を描いています。

La Belle Iseult 1858 William Morris  http://www.tate.org.uk/art/work/N04999

 

この機会にモリスとジェーンは親密になり婚約をしたようですが、ロセッティやジョーンズからも求愛をされていたのでした。

とは言っても、この二人はすでに既婚者でカツカツの生活をしていました。一方モリスは父からの巨額な遺産を受け継いでいる独身男性。

異性としての魅力が欠けていても、ジェーンのような環境で育った女性なら、将来を考え、モリスを選ぶでしょう。

レッド・ハウス のジェーンとモリス

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Red House  引用元

1859年、モリス(25歳)とジェーン(20歳)は結婚します。

新居となる「レッド・ハウス」の建築をオックスフォード大学の仲間(フィリップ・ウェッブ)と手がけ、内装をモリス自らが担当し,ラファエル前派のアーティストたち依頼しています。

実はこの時、ジェーンも内装の装飾制作に参加していたようです。

このレッド・ハウスを基盤にモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立しますから、ジェーンも商会設立に貢献し、装飾品の図案や素材の考案もし、タピストリーなどは実際に刺繍を施していました。

しかし、商業的な成功のために全てをモリスの作品とし、アーティストとしてのジェーンの名は出てこないので、彼女は「サイレント・ミューズ」と呼ばれることもあります。

まだ女性が男性と同じ職業につくことができなかった時代なので、彼女の芸術的貢献は無視されても仕方がなかったのでしょう。

ジェーンはモリスとの結婚が決まってから、驚くほどの速さで中流階級の作法やいくつもの語学を吸収しています。野心家で努力家ということだけでなく、鋭利な頭脳も持ち合わせていたので、会社設立にも熱心に参加していたに違いありません。

レッドハウスに住んでいる間1861年と1862年に、二人の娘が生まれます。

この二人の娘とモリスは仲が良く、生涯モリスの制作を手伝ったりする秘書的な仕事をしていました。

レッド・ハウスのあるべクスリーヒースはロンドンの南東部で、現在なら車で一時間ぐらいで行ける所です。しかし、当時は周りに家などの建物はなく、牧草地が広がっているだけの土地でした。ジェーンはこの寂しい場所で暮らしていくのが耐え切れず、モリスのロンドンの職場まで通勤時間がかかりすぎて苦痛だった(リウマチ熱を発症していた)ので、数年後にはロンドンに戻っています。

ダンテ・ロセッティとの恋

"Romance in Silver" D. G. Rossetti and Jane Morris - YouTube引用元

1871年、モリスとロセッティは、オックスフォードシャーのグロスターシャーのケルムスコットマナーを共同で借ります。ジェーンとロセッティの恋愛関係はモリスとの結婚後も続いており、周知の知る事実になっていました。

しかし、モリスは芸術仲間でありビジネスパートナーのロセッティと縁を切ることはせず、またジェーンと離婚もしないでいました。そのうえ、夏になると妻とロセッティをケルムスコット邸に残して、自分は創作のためにアイスランド旅行に行ってしまうのでした。

ジェーンとロセッティの恋愛はロセッティが亡くなるまで続きました。彼は彼女のためにいくつもの詩を書き、彼女をモデルにしてロマンティックな女性像を何枚も描きました。ロセッティの絵をみれば、どれだけ深くジェーンを愛していたのがよくわかります。

しかし、一部の友人からは、ロセッティはジェーンの下男のようだったともいわれています。多くの女性を泣かせ、前妻にはひどい仕打ちをしてきたロセッティも、魔性の女ジェーンの言いなりだったと思うと、彼女の並々ならぬ魅力を感じえずに入られません。

二人の関係はロセッティが死ぬまで続きます。しかし、ロセッティの晩年は、手術後の痛み止めとして使っていた薬や酒の中毒となり、ジェーンに愛想をつかされ、ほとんど会えなかったそうです。

この11歳年上のジェーンの愛人は、1882年、54歳で亡くなっています。

ジェーンの新しい恋人と晩年

 ロセッティが亡くなって ひとつの区切りとして、モリスと静かに暮らせばいいとは思いますが、2年もしないうちに、ひとつ年下の詩人ウィルフレッド・スキャウェン・ブラントに友人のパーティで出会い恋仲になります。一生恋をするタイプの女性は存在するのです。

ブラントは若い頃は驚くほどハンサムな男性で、貴族や文化界の女性と多くの恋愛関係を持っていました。ジェーンと知り合ったときは40代だったので、おじさん化はしていますが、ロセッティと同じく言葉巧みに女心をくすぐっていたのでしょう。

Victorian Hottie of the Week: Wilfrid Scawen Blunt | The Victorianachronists

20代の頃のブラント     引用元

彼らの恋愛関係は約10年続き、その後はジェーンが亡くなるまで親しい友人であったとか。

夫ウイリアム・モリスは結核を患い1896年10月、62歳で亡くなります。その数年前からジェーンが甲斐甲斐しく看病し、彼を失った悲しみで白頭になったといわれています。しかし、モリスが病に倒れた時彼女はもう57歳でしたから、白髪になっても自然な年齢でもあります。

モリスが病気になった時期から、ブラントとは恋愛関係が終わり、友人としての付き合いであったのは、モリスにとって救いだったかもしれません。

ジェーン・モリス - Wikipedia

<1904年 ジェーン・モリス 65歳>  引用元

ジェーンは1914年1月26日75歳で亡くなりますが、その前にケルムスコットマナーを娘たちのために買い取りました。しかし、ジェーン自身はロセッティとの愛の巣であったその屋敷へは二度と訪れなかったそうです。

ケルムスコットマナーnの内装

次女のメイがこの邸宅を管理し、神殿のようにモリススタイルで装飾しています。現在観光地として見学できますが、ロセッティの描いたジェーンの絵が置いてあるのは意味深ですね。

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ジェーンはなぜモリスを愛さなかったのか

モリスが亡くなった後「私は夫を愛したことは一度もなかった」というジェーンの言葉は、多情であることを正当化しているように聞こえます。

そして浮気な妻に目をつぶり、離婚をしなかったモリスに同情が集まります。

しかし、本当にジェーンはモリスと経済的な理由だけで、37年間も一緒にくらしていたのでしょうか。モリスは妻に愛されなかったかわいそうな男だったのでしょうか。

モリスは神経質で、どうやらトゥレット症候群を患っていた可能性があるようです。突然激怒したり大声をだして周りの人を驚かしていました。ロセッティはモリスがジェーンと結婚したのがよっぽど悔しかったのか、公衆の面前でわざとモリスを怒らせるようにストレスをかけて、楽しんでいました。しかしこんな嫌な奴でもラファエロ前派の先輩であり、一緒に活動を共にしなければ何もできない依存性がモリスにはあったのです。

そのうえモリスはビクトリア朝時代の中流階級男性が多く患う痛風もちであり、亡くなったの原因は結核ですが、晩年には癲癇も発症していたとか。

これだけ夫に病気があれば、暴言は吐かれたでしょうし、妻としてはかなり神経を使いますから、話術のうまいロセッティやブラントに魅かれるのは女心としてよくわかります。

それに、風采の上がらないモリスよりもイケメン系の男性のほうが恋愛感情を刺激します。

(中年になると、どの男性も似たりよったりの外見になってますが)

それでもジェーンはロセッティと愛の逃避行に走らず、モリス家をに居続けたのは安定した生活のためだけでしょうか。

ジェーンが本当は誰を一番愛していたかは私たちの想像でしか導きだすことはできません。しかし、この時代で人生の成功を収めるためにために、自分自身を滅することなく最善の方法を使って全てに対応していった彼女は、やはり「魔性の女」と言えるでしょう。

参考1

参考2

参考3

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