芸術家の恋人たち

ヌッシュ・エリュアール ピカソのモデルでありポール・エリュアールの妻 |芸術家の恋人たち

フランスの詩人 ポール・エリュアールの2番目の妻であり、女優のヌッシュ・エリュアール

わずか40歳で亡くなったヌッシュは、パブロ・ピカソマン・レイなどの多くの芸術家たちを魅了したにもかかわらず、彼女の人生は詳しく明かされていない。

しかし、美しい彼女の顔写真は今でも大変人気があり、シュルレアリズムのミューズであったことを証明している。

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ポール・エリュアールとの出会い

Paul and Nusch Eluard | Couple photos, Ebook, Paul

引用元

ヌッシュ・エリュアールは1906年6月21日にフランス東部のミュルーズで生まる。本名はマリア・ベンツ。

「ヌッシュ」というニックネームは、スイスの建築家マックス・ビル(ヌッシュと付き合っていましたが、両親の反対で別れた)、もしくは両親がつけたのだと言われている。

マックス・ビル 1908-1994

スイスの建築家、彫刻家、デザイナー、画家、教師と多岐の分野で活躍。バウハウス最後の巨匠と言われ、長期に渡って「時間」をテーマとした作品を創作した。

1993年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞

Endlose Treppe (Endless Stairs) (1991) in Ludwigshafen

Endlose Treppe (Endless Stairs) (1991)  引用元 

ヌッシュの両親はサーカス団員で、のちに彼女が芸能の世界にはいったのも両親の影響があったのでしょう。

4歳でベルリンの演劇学校に通い、22歳のときにパリへ移る。催眠術師の助手やアクロバット、芝居などの仕事をし、美しい容姿も加わって、少しずつ世間に知られるようになっていった。

2年後の1930年、シュルレアリスムの詩人ルネ・シャールポール・エリュアールに出会います。

ポール・エリュアールは妻のガラが、サルバドール・ダリのもとに去ってしまったばかりで、寂しかったのだろう。美人で陽気なナッシュとすぐに付き合い始め、この交際で彼女は多くの芸術家たちと知り合う。そして、パブロ・ピカソ、マン・レイ、ルネ・マグリット、ジョアン・ミロのミューズになっていったのだった。

シュルレアリストのミューズとして

1934年 ポール・エリュアール(39歳)とヌッシュ(28歳)は結婚します。奇しくもこの同じ年に、元妻ガラもダリと結婚した。

結婚以前からポールはナッシュに愛の詩を送っていたが、この年にはポールの愛の詩とマン・レイによるナッシュのヌード写真を入れた「ファシル」というタイトルの本を出版しまた。この写真本からフォトポエムという用語が生まれている。

FACSIMILE ELUARD. MAN RAY FACILE (VERSION AVEC LIVRET) - Collectif:  9782711874422 - AbeBooks

引用元

当時はヌッシュが芸術家たちの単なるモデルとしての評価しか与えられなかったが、70年代にはいってからは、彼女自身の芸術性が認められるようになり、アーティストとしての地位を築いている。

しかし、残念ながらヌッシュ自身はその栄誉を受け取るまで、生きていられなかった。

レジスタンスとして戦い終わった1946年、脳卒中のため路上に倒れ、わずか40歳で亡くなってしまった。

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ヌッシュ・エリュアールをモデルにした作品

パブロ・ピカソ 

Portrait of Nusch Éluard, 1937 - Pablo Picasso - WikiArt.org

     Portrait of Nusch Éluard   1937  引用元

ヌッシュはピカソのお気に入りのモデルのひとりで、何枚もの作品を描いている。ポール・エリュアールと親しい付き合いをしていたので、ヌッシュと知り合ったのだが、彼女はピカソ好みの美人といえる。

マン・レイの作品

 

マン・レイが一番多くヌッシュを題材として作品を創っています。コラージュの殆どはヌッシュがモデルだったようだ。

少し気になるのはアーティストとモデルのプライベートな関係だが、ピカソともマン・レイとも恋人関係であったと噂はある。一般的に芸術家とモデルは肉体関係があって当たり前なので、お互い恋をしていたかどうかはわからない。

この噂はポール・エリュアールの耳にも入るが、彼らとは親しい友人であり、また同じ思想を持っていたので、たとえヌッシュと肉体関係があろうと、このまま彼らと付き合っていくと断言していた。

ポールにとってもナッシュはかけがえのないミューズであり、芸術性、思想も似通っていたパートナー、別れることは考えなかったのだろう。それに、自分が恋人ではなく夫という絶対的な地位を持っていたので、自信もあったのではないだろうか。

ドラ・マール

Nusch Éluard, el enigma de la musa | Periódico Irreverentes

     1936  引用元

ピカソは当時ドラ・マールと付き合っていたので、その関係でヌッシュをモデルにしていた。お化粧のせいかドラとナッシュは顔立ちが似ているように思える。そのせいかドラもナッシュをモデルにした作品を多く創った。奇抜な写真でも、男性アーティストが創る作品よりも、少し柔らかな印象を受け、女性ならではの視点を感じる。

ピカソの新しい恋人フランソワーズ・ジローの出現で、ピカソとドラの関係は終わる。もともと精神的に安定していないドラだったが、親しい友人としても付き合っていたヌッシュの突然の死で、大きなショックを受け、田舎の修道院に静養のためにパリから去ってしまった。

リー・ミラー

Lee Miller | Paul and Nusch Eluard, England (1937) | Available for Sale |  Artsy

 Paul and Nusch Eluard, England, 1937  引用元

ソラゼリーション技法をマン・レイとともに発明し、後に戦場写真家になったリーも、初期の頃はヌッシュを撮っていた。ファッションモデルでもあった彼女はシュルレアリストたちのミューズでもあり、作品を創りながら他のアーティストたちのモデルも勤めていた。

美しく聡明で深い信念をもっていたヌッシュ。彼女がもしもう少し長く生きていたなら、ドラやリーのように美術史に名の残る作品を創り上げていたことだろう。

参考1

参考2

参考3

参考4

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