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田淵行男(山岳写真家)の作品と記念館を紹介!経歴、結婚した妻や家族を調べた!

山の神髄にせまり、山岳写真を芸術の域まで高め、蝶の研究や細密化でも有名な、写真家の田淵行男

本記事では、山岳写真家、田淵行男のプロフィール、経歴、結婚した妻や家族を紹介します。

田淵氏がなぜ安曇野を愛したのか、美しい作品を見ていきましょう。

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田淵行男のプロフィール

「田淵行男」の画像検索結果

氏名:田淵 行男(たぶち ゆきお)

生年月日: 1905年-1989年 84歳没

出身地:鳥取県

1951年朝日新聞社から初めての著書『田淵行男山岳写真傑作集』を出版。

以降、亡くなる1989年までの間に計36冊の著書を発表しました。

日本写真批評家協会作家賞、自然保護思想普及功労賞、日本写真協会功労賞、など数多くの賞を受賞。

安曇野市名誉市民。

田淵行男は1905年鳥取県日野郡で生まれるが、幼い時に両親をなくし、台湾にすむ親戚と一緒に暮らします。

東京に戻ってきてからは、学習院宿舎に居住し、この頃から蝶に興味を持ち、絵を描き始めます。

高校を卒業後、富山県の中学校の教師となります。

25歳のころから、山ガイドと付き合い始め安曇野を頻繁に訪れるようになり、学校の生徒を引率し、北アルプスの集団登山の指導をしました。

1945年東京大空襲により、安曇野へ疎開します。このころから、フリーランスとして、理科の教材の制作や撮影などを手がけます。

1950年、「アサヒカメラ」に掲載され、国際写真サロンに作品が入選しました。

その後数々の写真集の出版や展覧会をこなしていきます。

1989年 84歳で他界。

1990年7月には、田淵行男記念館が安曇野市に開館されました。

田淵行男の作品

芸術の域まで山岳写真を高めた作品た、緻密な絵を見ていきましょう。

<双六岳より槍ヶ岳>


<暮れゆく常念>

<ギフチョウ>


<ミヤマモンキチョウ>

<初夏の上高地>

田淵行男記念館

田淵行男記念館

遺族からの寄贈で、現存する田淵作品、約73,000点を収蔵しています。 

また、カラーフイルムの無い時代、本物の美しさを持ったチョウの図鑑を作りたい、との想いから描き始められたチョウの細密画や、愛用の品々など、田淵の仕事の全容を把握できる記念館です。

所在地/連絡先
住所 〒399-8201 長野県安曇野市豊科南穂高5078-2
TEL 0263-72-9964
E-mail yukio-tabuchi.muse@vesta.ocn.ne.jp
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、12月28日から1月4日
※展示替え作業の為、臨時休館する場合もあります。
入館料
個人
高校生以上  300円
団体 (20名様以上)
高校生以上  200円

田淵行男の結婚した妻や家族は?

1928年、23歳のときに、いとこである山村日出子と結婚しますが、妻は大阪に住み、単身赴任で、富山の中学校の教鞭を取っていました。

このころから、山野活動が始まっているのですが、妻日出子は生活が苦しくても、一言も文句は言わなかったそうです。

安曇野に疎開したあとも、田淵は金にもならない北アルプスへの登山と、標高1000メートルから3000メートルにしか生息できない高山蝶の観察に魅せられて家計はほったらかしでした。

妻、日出子は苦労続きだが、ひたすら我慢して夫を支える昭和の妻の鑑であるといわれています。

子供は二人いて、長男は穂高という名前がついています。山岳写真家らしいですね。

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田淵行男のまとめ

田淵行男は山岳写真家として著名なばかりでなく、高山蝶の研究家として知られ、日本におけるナチュラリストの草分け的存在です。

疎開をきっかけとして移り住んだ安曇野の土地を愛し、北アルプスの山々、安曇野の自然風景、虫や草木まで撮影しました。

田淵行男の作品を見て、山やその自然の美しさを感じ取りたいですね。

 

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