声量あるハスキーボイスで50年近く歌い続けているミュージシャン 葛城ユキ(かつらぎ ゆき)さん。
日本の女性ロックシンガーとしてこれだけ長く活動をしている人は少なく、あの迫力の歌声は健在です。
ここでは、葛城ユキさんのプロフィール(経歴・学歴・賞歴)を見ながら、若い頃と現在の活動を見ていきましょう。またボヘミアンの他のヒット曲も紹介します。
葛城ユキのプロフィール 出身地・学歴・本名
引用元:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/139812
生年月日:1945年5月25日
出身地:岡山県高梁市(旧川上郡川上町)
本名:田中小夜子
学歴:片山女子高等学校(現・倉敷翠松高等学校)卒業
葛城ユキ デビューするまで
葛城さんは、子供の頃から音楽とスポーツが好きで、中学からバレーボール部に所属し、高校時代はアタッカーとして活躍。国体にも出場し、実業団からスカウトされ、卒業後は倉敷紡績に入社。
しかし、「セッターへの転向を言い渡された。私はアタッカー。中心にいないと嫌だ」という理由で1ヶ月で退社。ロックというか、社会を知らないというか、すごい決断ですね。でも、自分の生きたいように生きる潔さは素晴らしいです。
今度は音楽をやりたいという夢を叶えるため、両親の大反対を押し切って、家出同然で大阪に移住し、音楽スクールに通い始めます。
1973年の第6回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し「小さな出発」で歌唱賞を受賞。翌年の同コンテストでは「木曾は山の中」を歌い最優秀賞を受賞と、第5回世界歌謡祭でも同曲で川上賞に入賞し、28歳でメジャーデビュー。
当時はロックではなく、ニューミュージック系でした。
デビュー後のヒット曲と活動
1980年に「Sitting on the Edge of the Ocean」のカバー曲「哀しみのオーシャン」が大ヒット。同年、ファーストアルバム『寡黙』をリリースします。
この頃は洋曲を日本語に変えたカバー曲が、日本人に馴染みやすく流行っていました。
そして、1983年に飛鳥涼さんと井上大輔さんが大友裕子さんに提供した「ボヘミアン」をカバーし大ヒット。不朽の名作で葛城さんの代表作となります。
大友裕子 1959−
東北学院大学在学中にデビューし、「傷心」が代表作。つま恋のフェスなどに出演していましたが、「ボヘミアン」発売直後、結婚して引退しています。
1986年、中国広東省珠海市『珍珠楽園』で日本人女性ロックシンガー初のコンサートを開催し3日間でのべ3万人を動員。その後2000年までに中国でのコンサートは5回行って、どれも大盛況でした。
葛城ユキ バラエティ番組で大事故
2003年10月2日、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の収録中に「人間大砲[」のゲームでウレタンが敷き詰められたプールに頭から突っ込むように落下した際、胸椎骨折をし重傷を負いました。
この大砲が、サーカスでも用いられるものを模した装置で、出演者は強力なゴム動力で空中を10メートルも飛びながら、ヒット曲のサビを歌い、他の参加者が、誰が歌っているかを当てるというもの。今からみれば危険で面白みの少ない企画ですが、当時は番組の視聴率をあげるために、なんでもやったようです。
葛城さんは中学、高校時代、バレー部に所属して、インターハイでも活躍した運動神経の持ち主で、企画の内容を承諾していました。ミュージシャンでもバラエティ番組の汚れ役をやる時代だったのですね。
背中にチタンの支柱を埋め込む大手術を受け、体を1ミリも動かせず引退も覚悟したが、驚異的に回復し、翌年5月に復帰ライブを開きました。
葛城ユキ 現在の活動
復帰後は、2006年に競輪選手兼シンガーソングライターの仲山桂さんが作詞・作曲したシングル「Fight Money」を発売。また、自身初の邦楽カバーアルバム「Show和 VOL.1」をリリース。
最近では、2018年10月、男子テニスの楽天ジャパンオープン決勝・錦織圭対ダニール・メドベージェフ戦の試合前に国歌斉唱を行っっています。
https://www.facebook.com/katsuragiyuki.info/videos/1050358691804490/
相変わらずの美脚でびっくりです。80歳近くてショートパンツが履ける女性は、そうそういないでしょう。
葛城ユキのコンサート
- 2020/6/30(火)
会場:THE BOTTOM LINE (愛知県) -
2020/11/25(水)
Music Club JANUS (大阪府)
4月、5月、6月は「夢 スター歌謡祭」に出演する予定ですが、詳細は 夢コンサート までお問い合わせください。