1990年代に活動したアーウィン・ショーは、アメリカの劇作家・小説家です。彼の短編『夏服を着た女たち』は、日本で1984年で刊行され、今でも多くの人達に愛されています。
この作品は、ニューヨークでちょっといい暮らしをしている、若い夫婦が主人公で、男と女の愛についての違いのやりとりが続くストーリーです。
女性に、ついつい目がいってしまう夫と、それが我慢できなくて、泣きながら離婚話を持ち出す妻。妻のフランセスには、少し哀れで、引いてしまいますね。しかし、夫のマイクルの女好きには、微笑んでしまいます。彼の言動には、男性がいかに女性が好きを、充分に表現しているからです。
男性が他の女性に目がいってしまう心理を、物語の場面と共に、見ていきましょう。
綺麗な女性を見てしまう
「よそ見しちゃだめよ」八丁目を横切るときに、フランセスが言った。「首の骨を折ってしまうわ」 『夏服を着た女たち』講談社
首の骨を折るほどの「ガン見」って、相手は、よっぽどの美女だと思うのですが、肌の色が綺麗だっただけです。しかし、人目を引くような何か魅力をひとつでももっている女性がいれば、男性は目がいってしまうのではないでしょうか?それに、理由もよく分からずに、ただ、目が離せない時もあります。そんな時は、男性の本能が無意識に好みの女性を見つけ出してしまっているのです。
愛する人と話していても見てしまう
「綺麗な女だけじゃないか。それに、結局、このニューヨークに美人が何人いる?十七人か?」 『夏服を着た女たち』講談社
この時、奥さんと楽しい休日の計画をたてながら、ヘルメットみたいな髪型をしている、踊り子さんとすれ違いざまに、マイクルはチラ見していたのです。一瞬見ただけなのに、この踊り子さんが、健康そうだとか、下腹はペタンコだとかチェックし始めます。これは、それに気がついた奥さんへの苦しい言い訳です。
「綺麗な女性というだけで、君のように中身も素晴らしいということじゃない。僕が愛しているのは君だけだ」ということを仄めかします。そして、「美人というのは、この世に何人もいないのだから、見たっていいじゃないか」と、自分が女性を見ていたことを正当化します。その上、このあと、「目があるんだから、なんでも見えちゃうんだよ」なんてことも言います。
まるで、小学生の言い訳で、笑えますよね。男性にとって、「愛」と「性」は別物であることが多いそうです。女性に目が向くのは、レストランでメニューを見た時、「あれも食べたい、これも食べたい」という食欲と似ているように、感じられます。
一人に縛られたくなくて見てしまう
マイクルは指でグラスのふちをはじいた。「オーケー」とやさしく言った。「自由になりたいという気持ちになることもあるよ」 『夏服を着た女たち』講談社
どんな女性のことが気になるのか、奥さんに問われると、マイクルはズラズラと話し始めてしまいます。有名な女優も好きだし、オフィスで働くキャリアウーマンも好きだし、フットボールを見に来るちょっと田舎臭い女の子たちも好きだし、そして、陽気がよくなって、「夏服を着る女たち」もとても好きだといいます。もう誰でもいいの?という感じに聞こえますね。そして、奥さんの誘導尋問にのって、そういう女性達と寝たい、とまで言ってしまいます。これは、夫としての発言では、アウトですね。
奥さんのフランセスは、「他の女性が欲しい自由」を「離婚」と捉えていますが、マイクルにとっては、ただ「他の女性と付き合う自由」に過ぎません。素敵な女性を見て、「いいな、付き合いたいな」と思うことは、既婚男性でも多々あるでしょう。本来男性は、多くの子孫を残すように本能が作られていますから、このトカゲ脳は常に働いています。ですから、結婚したからといって、たった一人の女性だけと寝ているのは、自由を奪われているのも同然です。実際に他の女性にアプローチするか、しないかは理性の判断であり、目は自然と好みの女性を追うことでしょう。
まとめ
このたった15ページ余りの短編『夏服を着た女たち』には、男性の性が、非常によく表現されています。そして、その性が、微笑ましく感じるのは、男性は全ての女性を愛していることがわかるからです。全ての女性は、それぞれに素敵な魅力をもっているからこそ、男性の目を惹いてしまうのです。
それに、この物語の季節は11月ですが、たった一言でてくる「夏服を着た女たち」で、私達をすぐに初夏へ連れて行ってくれると、思いませんか?
ちょっと想像してください。
もうすぐ夏が来そうな空の色と、暑いとまでは感じない日差し。
心地よい風が吹いていて、力強い緑に変わった木々の葉が揺れている。
こんな日に、普段より少しだけおしゃれして夏の服を着ている女性たちとすれ違う。
あなたはきっと、振り返るでしょう。彼女たちの美しさに。
そして、彼女たちのはにかんでいるような笑い声に、あなたは佇んでしまうでしょう。