「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」で、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥(やまなか しんや)医学博士。
京都大学iPS細胞研究所所長、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授、広島大学特別栄誉教授、ロックフェラー大学名誉博士、香港大学名誉博士、香港中文大学名誉博士などを有し、素晴らしい功績をのこしています。
この山中先生の世界的な活躍を支える家族はどんな人達なのでしょう?
ここでは、山中先生の両親、兄弟姉妹、結婚した妻や子供(娘)を見ていきます。また多数の本も上梓されていますので、おすすめの著書を紹介します。
山中伸弥の家族
父親
山中伸弥先生は、1962年〈昭和37年〉9月4日 に、大阪府枚岡市(現 東大阪市)に生まれました。
父・山中章三郎さんは同志社工業専門学校卒業。父方の祖父が創業したミシン部品を作る町工場「山中製作所」を経営していました。工場では5~6人の女性を雇って、事業は順調だったようです。
良い経営者であり、いい職人、技術者でもあったそうなので、自分でいつも新しい部品の設計をしたり、改良していたりして、山中さんは子供時代から機械の設計図や部品の図面に囲まれていました。
章三郎さんは、仕事は一生懸命やり、一方では麻雀と競馬が大好きで、破天荒なところもあったそうです。外見は、当時珍しい180cmほどの長身で、五木寛之さんのような銀髪にサングラスをかけていたそうです。ダンディな父親で近所でも評判でした。
母親
母親の美奈子さん実家は大阪で溶接工場を経営していましたが、太平洋戦争により焼失し、戦後は大分県別府市に移住。お土産用の菓子の製造販売をしていました。
父 章三郎さんと結婚してからは、工場経営は浮き沈みが激しいので、苦労が耐えなかっただろう、と山中さんは語っていました。
「なんでも自分でしなさい」と子どもの自主性を育てる教育方針だったそうです。また、食事のことはよく考えてくれて、学生時代、山中さんはスポーツに熱中していて、朝晩にはしっかり栄養のある食事を工夫してくれました。
2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞の時、母・美奈子さんと 引用元:https://president.jp/articles/-/24040
兄弟姉妹
山中さんには8歳年上のお姉さんがいます。教職についていました。山中さんは高校生の時に結婚したので、ご両親も働いていたし、家では一人でいることが多かったそうです。お姉さんは子どもたちを頻繁に実家につれてくるなど、結婚しても両親や弟との交流があって、ご家族の絆が強く温かい家庭ですね。
山中伸弥の妻
山中さんは、大学卒業後、皮膚科医の知佳さんと、結婚しています。
引用元:http://flash-blue.com/yamanaka-kanburia/
知佳さんは、高校のときにマドンナ的存在でしたが、数あるライバルを押しのけ、高校3年から付き合いが始まりました。山中さんが大学を神戸にしたのも、大阪にいた知佳さんと離れたくなかったとか。
研究が何度も行き詰まりどうしようない時、家に帰ると笑顔で迎えてくれたのが知佳さんです。アメリカでの研究時代は、自分の仕事を中断してまで来てくれたそうです。ノーベル賞は家族の支えがなかったら、受賞できなかったと感謝の言葉をインタビューで語っていました。
山中伸弥の子供 娘
山中さんは知佳さんとの間に娘さんが二人います。
研究中の山中先生は多忙で声をかけるのもはばかられる様子ですが、家庭内では、ごく普通の父親です。休日は家族のために色々と家事などもしてくれるそうです。アメリカで研究中の時期も、娘さんの運動会のときには帰国したとか。娘さんたちの笑顔も、辛いときには随分助けになったようで、みんなが支え合う素敵な家族ですね。
山中伸弥の本
賢く生きるより 辛抱強いバカになれ
稲盛和夫氏とiPS細胞を開発し、ノーベル賞を受賞した山中伸弥氏。異色の経歴の2人が語り尽くした、失敗を繰り返し掴んだ成功、部下の育て方と叱り方、夢を見せる力、真のリーダーの条件とは。 出典:アマゾン
人間の未来 AIの未来
10年後、100年後の世界と日本の未来を、ノーベル賞学者と国民栄誉賞棋士、最高の知性を持つ二人がとことん語り合う!iPS細胞、将棋界とAIといった二人の専門分野に加えて、「ひらめき」「勘」の正体、世界で通用する人材をつくるにはどうするか、人間は不老不死になれるかといった、人類の普遍的なテーマについても熱く討論する。 出典:アマゾン
折れない心で希望をつなぐ! iPS細胞を発見! 山中伸弥物語
2012年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥先生。受賞にいたるまでの道のりは、険しいものだった。臨床研修医時代、手術に時間がかかりすぎ、整形外科医に向いていないと挫折。アメリカでの研究から帰国後、うつ病状態になり、研究にも行き詰まり……。最後に望みを託した奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センターで、ヒトの皮膚細胞よりiPS細胞を作る技術を開発することに成功。何度もどん底を味わった山中先生の生き方を通して、あきらめないこと、挫折してもめげずに粘り強く生きることの大切さを伝える一冊。 出典:アマゾン
出口治明の経歴・著書・名言・家族を紹介。還暦からどう生きるか。