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田中久重の家族や子孫を紹介!万年時計やからくり人形の博物館や名言は?

江戸時代から明治にかけての発明家、東洋のエジソンと言われた田中久重(たなか ひさしげ)。

からくり人形の精密な仕掛けや、万年時計などで世界的にも有名で、東芝の基礎となった会社を設立しました。

本記事では、田中久重の経歴、学歴、家族や子孫を紹介します。

結婚した妻や子供、両親、兄弟姉妹はどんな人たちだったのでしょうか。

また博物館に所蔵されている作品や名言も見ていきましょう。

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田中久重のプロフィール  経歴・学歴

「田中久重」の画像検索結果引用元:https://blog.goo.ne.jp/

生年:1799年10月16日

没年:1881年11月7日 享年82歳

出身地:福岡県久留米市

幼名は儀右衛門で、祭礼のからくり人形の仕掛けを次々と考案していたので、「からくり儀右衛門」と呼ばれていました。

25歳のときから大阪などでからくり興行を始め、折りたたみ式の懐中灯台を発明。京都に移住し、陰陽総司土御門家(安倍晴明の子孫)に入門し、天文学を学び、須弥山儀を完成させました。また、蘭学者の廣瀬元恭のもとで、西洋技術を学び、1851年「万年自鳴鐘」(万年時計)を完成させました。

須弥山儀 地球説と地動説を前提とし、古代インドの宇宙観、須弥山にもとづく円盤状の世界像をモデル化した宇宙のこと。

「須弥山儀」の画像検索結果

万年自鳴鐘」(万年時計) 400日巻きの和時計。回転文字板による時刻、二十四節、七曜、満ち欠け、日付、暦(十干十二支)の表示を備えていて、半球形ガラスケースの中に、日本地図上に太陽と月とを模した球が、自動的にその運行を示す。

「万年時計とは」の画像検索結果引用元:http://karafro.com/

肥前国佐賀藩で、日本初の蒸気機関車及び蒸気船の模型を製造、大砲製造に貢献。1863年には国産初の蒸気船である「凌風丸」建造の中心的メンバーとなっています

1873年、新政府の首都となった東京り、75歳で、電信機関係の製作所・田中製造所を設立。久重の死後、株式会社芝浦製作所となり、後に東京電気株式会社と合併し、これが現在の東芝の基礎となりました。

田中久重の両親・兄弟姉妹

父親は、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)の鼈甲(べっこう)細工師・田中弥右衛門。母親はよし。

父親の後継者として、幼い頃から緻密な細工を施していく父親の仕事を見たり、細工の手ほどきも受けていたと思われます。

久重はもともと手先が起用だったようですが、技を究めることに熱中する職人気質を父親の血から受け継いだと感じられます。

母親は、久重の発明を見守り励まし続けた人ですが、両親とも久重が20代の前半に亡くなりました。

兄弟姉妹については、久重が長男で、15歳のとき父親に「家業は弟に継がせて下さい」と言って、からくりの道に進んだと聞きますので、弟はいたようです。また妹のいねは師であった蘭学者の廣瀬元恭に嫁ぎました。

田中久重の結婚した妻と子供・子孫

「田中久重 妻」の画像検索結果田中久重夫妻 引用元:https://nznsms.jp/

久重の妻は与志(よし)と言い、娘がいました。

妻は久重が67歳のときに亡くなり、娘婿は精神異常をきたした佐賀藩主の侍臣に殺害されたそうです。

しかし、大吉、林太郎という養子を二人とっています。大吉は久重の弟子で才能を見込まれて、二代目田中久重となり、田中林太郎は研究仲間が亡くなったので引き取った息子です。

提供:東芝科学館二代目 田中久重 引用元:https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/

現在の東芝の役員と田中久重の血縁関係はないそうですから、直系子孫はもういないのかもしれません。妹のいねが蘭学者の廣瀬元恭に嫁いだので、その血縁から追うと、東京大学医学部附属音声言語医学研究所教授の廣瀬 肇氏になります。

田中久重の博物館

東芝未来科学館で田中久重の発明品を見ることができます。

「東芝未来科学館」の画像検索結果引用元:https://www.tripadvisor.jp/

東芝未来科学館
〒212-8585 神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34スマートコミュニティセンター2F
TEL:044-549-2200
開館時間火~金曜日 9:30~17:00
土・日・祝 10:00~17:00  休館日月曜日(祝日を除く)
入館料無料(小学生以下は保護者同伴)

からくり儀右衛門ギャラリーで、万年時計、弓曳童子などの展示があり、田中久重についての歴史も学べます。

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田中久重の名言

知識は失敗より学ぶ。

事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである。

まさにナポレオン・ヒルの成功の法則ですね。

東洋のエジソンと言われている田中久重は、数々の発明により私達の生活を豊かにしてくれましたが、その影には、決して諦めない技術の進歩という強い願望があったからでしょう。

失敗を失敗と捉えず、成功への道のりとして、願望を実現させる強い決意と明確な計画、従来のアイディアの組み合わせを着実に実行していくこと、それが、成功への不変の法則であることを証明してくれた偉人の一人であることは間違いないでしょう。

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