映画監督の大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日 – 2020年4月10日)さん。
ホラー、アイドル、青春、歴史映画と幅広いジャンルの映画を制作し、大林監督の映画なら、誰もが必ず一度は見た事があるでしょう。
ここでは、大林宣彦監督の家族についてみていきましょう。両親、兄弟姉妹、結婚した妻や子供、孫はどんな人達なのでしょうか。
大林宣彦監督の両親、兄弟姉妹
大林監督は、1938年1月9日 広島県尾道市東土堂町で大林家の長男として生まれます。
父親は医師で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母親は茶道裏千家の師範でした。両親は尾道市で代々続く医家です。
父親は研究者として大学で働くことを夢見ていましたが、大林監督が1歳の時、軍医として南方に出征。無事に帰国できたものの、ブランクがあるため大学には戻れず、町医者を続けたそうです。
父親が出生している間は、母親の実家がある尾道の山の手で過ごしていたそうです。すでに2歳でブリキの映写機のおもちゃにとても興味をもっていたとか。まや、6歳で35mmフィルムに手描きしてアニメーションを作っていたそうです。
そんな息子をみて、父親が「自分の意志を自由に生きることが平和だ」といって、大林監督が東京に行くときに、8ミリカメラをプレゼントしてくれたそうです。長男を跡継ぎの医者にせず、才能のある好きな道に進ませるのは、やはり戦争体験者だけが知る深い思いが込めれていますね。
大林宣彦監督の結婚した妻 大林恭子
#大林宣彦 氏の遺言「ありがとう」妻恭子氏がコメント #大林恭子https://t.co/wVvlEAravr
— 日刊スポーツ (@nikkansports) April 14, 2020
大林監督は1歳年下の映画プロデューサーの恭子さんと1977年に結婚しました。恭子さんは、株式会社PSC代表取締役であり、大林監督作品のプロデューサーを務めてきました。
2人の出会いは、お互いが成城大学に通っていた頃です。大林監督は大学時代はあまり授業にでず、8ミリカメラで女学生を撮る日々が多かったそうです。その中のひとりが恭子さんで、雑木林で「僕と結婚しない?」とプロポーズ。
恭子さんの返事は「イエス」で、そのまま手をつないで講堂を出て、大林監督のアパートに行き、半同棲を始めたそうです。まるで、戦後すぐの青春映画のようですね。
恭子さんは、自主映画二作目「絵の中の少女」のヒロイン役で出演もしています。
尾道を舞台にした映画『転校生』で、初めて恭子さんがプロデューサーとして活躍し、以後、恭子さんは大林映画にとって欠かせない存在となります。
大林宣彦監督の子供(娘)
引用元:https://portal.hokuryu.info/topics/culture/20160804
お二人の間に、1964年1月28日 大林千茱萸(おおばやし ちぐみ)さんが生まれます。
「映画」という環境の中で育ちましたが、映像の他にも小さい頃から食べることが大好きだそうです。料理への向上心はとても強く、10代の頃より元宮内庁東宮御所大膳課、皇太子殿下と同妃殿下の主厨を勤めていた渡辺誠氏に師事。
食事、テーブルマナーからプロトコール(国際儀礼)まで、広く食文化を探求するための「西洋食作法と美食の教室「ホットサンドクラブ」を主宰。
映画製作にはカメラマンとして活動し、ライブ映像や邦画のメイキング撮影、「100年ごはん」監督。「映画感想家」として執筆活動も行っています。
大林宣彦監督の義理の息子と孫 森泉 岳土
引用元:https://comicstreet.net/interview/author/takehito-moriizumi/
森泉 岳土(もりいずみ たけひと、1975年生まれ)さんは漫画家で大林千茱萸さんと結婚しました。9歳年下です。
漫画家になったのは30歳を過ぎた頃で、2005年、短編漫画「夜伽話」で第1回ZOOOKAマンガ大賞佳作受賞。2008年より小説宝石に4コマ漫画「食べても太れません」を不定期に掲載。
「コミックビーム」2010年9月号に「森のマリー」が掲載され漫画誌でデビュー。紙にまず水で描線を描き、そこに墨を落とし、細かいところは爪楊枝や割りばしを使うという独特の技法で描いています。 大林宣彦監督作品「花筐/HANAGATAMI」のポスターなど、イラストも制作しています。
引用元:https://www.amazon.co.jp/
お二人にはお子さんの情報がないので、大林監督にはお孫さんがいないのではないでしょうか?分かり次第追記いたします。