日本を代表する建築家の磯崎新(いそざき あらた)氏が、「建築のノーベル賞」である2019年のプリツカー賞を受賞することが決定しました。
本記事では、磯崎新氏のプロフィール、経歴、両親、結婚した妻や子供など、家族構成を見ていきます。
また、代表作品や、過去のプリツカー賞を受賞した日本人建築家についても覗いてみましょう。
磯崎新のプロフィールと経歴
氏名:磯崎新(いそざき あらた)
生年月日:1931年7月23日
出身地:大分県大分市
学歴:大分県立大分上野丘高等学校 卒
東京大学工学部建築学科 卒
東京大学数物系大学院建築学博士課程を修了
1960年に丹下健三研究室(都市建設設計研究所)で、東京計画1960などに関わっていましたが、1963年、32歳の時、磯崎新アトリエを設立。
以後、国際的建築家として、世界各地で建築展,美術展を開、多くの国際的なコンペの審査委員やシンポジウムの議長などを務めています。
カリフォルニア大学、ハーヴァード大学、イェール大学、コロンビア大学などで客員教授を歴任し、丹下健三、篠山紀信らとの共同制作で、建築のみならず、思想、美術、デザイン、文化論、批評など多岐にわたる領域で活躍しています。
磯崎新の家族構成
父親 磯崎操次
1901年生まれ。大分県出身の実業家で俳人。東亜同文書院入学。
この東亜同文書院という学校は、上海にある将来の日中関係を特別に担う人材育成のための機関でしたが、関東大震災のため帰国し、トラックでの運送会社を設立。この頃から、俳句を始め、俳句の革新をうたった俳句雑誌「天の川」の同人になって、大分の新興俳句運動を先導する一人になったそうです。
しかし、日本が軍国主義の色が濃くなると、新興俳句は弾圧に遭い、俳句を辞めてしまいます。その後は花街通いをして、殆ど家には寄り付かず、家族団らんの記憶はあまりなかったと、礒崎氏は語っていました。
母親 磯崎てつ
1910年生まれ。大分県出身。日出高女卒業。
母親は封建的な田舎の大家族のなかで、苦労が多く不満もあったのではないかと、礒崎氏は推測しています。
礒崎氏が中学2年生の時、交通事故で亡くなっています。
兄弟姉妹
磯崎新氏は長男で、二人の弟と妹が一人います。
次男、裕次郎、三男(名前不明)、長女、民子です。
家族全員で暮らしていて、兄弟の他に祖母もいましたから、7人家族で子供時代は過ごしました。
妻 宮脇愛子 彫刻家
氏名:宮脇愛子 (みやわき あいこ)
生年:1929年
没年:2014年3月 享年84歳 死因 膵臓がん
学歴:日本女子大学文学部 卒業
礒崎氏との結婚は2度目であり、最初の夫は、鉄道紀行作家の宮脇俊三。
旧姓は荒木ですが、愛子氏はすでに「宮脇愛子」として彫刻界で成功していたため、礒崎氏と結婚しても名字を変えませんでした。
自邸by丹下健三。磯崎新氏はこのピロティの元で結婚式を挙げたというエピソード pic.twitter.com/OTmmahVgFP
— michi (@archisound) 2017年7月25日
宮脇氏は、斎藤義重、安倍達也に師事し、抽象彫刻に転じた後、ステンレスワイヤを使用した「うつろひ」シリーズを制作。スペイン・バルセロナの五輪広場など、海外でも作品が多数展示されています。
マン・レイと最も親しかった日本人彫刻家であり、グッゲンハイム賞を受賞しています。
プロフィールの白黒写真は、マン・レイが撮影したモナリザのポーズを撮ったものを、夫の磯崎新氏のデザインでシルクスクリーンのポスターにもなりました。
磯崎氏との間に、子供はいないようです。
磯崎新の代表的建築物
旧大分県立大分図書館 アートプラザ
磯崎新氏の初期の代表作で、この作品で日本建築学会賞を受賞しています。
北九州市立美術館
聖堂をモチーフにしたデザインで、「丘の上の双眼鏡」と呼ばれる左右の筒が飛び出た外観が特徴の建物です。1998年に公共建築百選に選ばれています。
秋吉台国際芸術村
石灰石(大理石)を使用した、複数の建物で構成されている、集落のような集合体です。日常の喧騒から解放され、創作活動に集中できるように、周囲を山に囲まれた谷間の地形を意識して、敷地の形状を生かした形で設計されています。
ロサンゼルス現代美術館 MOCA
赤い石張りの外観が特徴の建物で、展示スペースはほぼ地下に設計されています。
パラウ・サン・ジョルディ
1992年開催のバルセロナオリンピック開催を機に建設され、パンタドーム構法が使用されています。
プリツカー賞を受賞した日本人
磯崎新氏 プリツカー賞を受賞 | 2019/3/6(水) 1:25 – Yahoo!ニュース https://t.co/8V4ApPYHmc 「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞が、磯崎新氏に授与されると発表された。日本人としては8人目の受賞者となる。… pic.twitter.com/2HnwA8uoxH
— Gnews (@Gnews__) 2019年3月5日
今回、礒崎氏の受賞は日本人では8人目です。
プリツカー賞とは世界中で活躍する建築家の業績をたたえて贈られる賞。正式名称は Pritzker Architecture Prize。しばしば建築界のノーベル賞と称される。1979年アメリカ合衆国のホテルチェーン,ハイアットの創業者一族であるジェイ・プリツカーとシンディ・プリツカーが創設。ハイアット財団を設立し,賞の運営資金を提供した。建築と建築家に対する関心を高め,建造物が日常生活に与える影響の大きさを周知することを創設の趣旨とし,賞は受賞者の全作品に対して授与される。1979年以来,評論家や建築家ら 8人前後で構成される独立した審査団が毎年受賞者を決定。受賞者には 10万ドルの賞金と銅製の記念メダル(1987年まではヘンリー・ムーア作の彫像)が贈られる。 出典:コトバンク
過去の日本人の受賞者
<丹下健三> 1987年受賞
生年:1913年 没年:2005年 享年82歳。
1938年東京帝国大学建築学科を卒業。1945年同大学大学院を卒業。1961年に丹下健三・都市・建築設計事務所を開設。
代表建築
広島平和公園、広島平和記念資料館、旧東京都庁舎、香川県庁舎、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京オリンピック競技大会時に建てた国立代々木競技場の屋内総合体育館、日本万国博覧会マスタープラン、ナイジェリア新首都都心計画、新東京都庁舎など。
<槇文彦> 1993年受賞
1928年生まれ、90歳。
東京大学工学部建築学科を卒業し、アメリカのクランブルック美術学院及びハーバード大学大学院の修士課程を修了。1965年に帰国、株式会社槇総合計画事務所を設立。東京大学教授も務め、現在に至るまで日本を含め、アメリカとヨーロッパで講演を続けています。
代表建築
名古屋大学豊田講堂、千葉大学医学部記念講堂、京都国立近代美術館、幕張メッセ、東京体育館、風の丘葬斎場、テレビ朝日本社、横浜アイランドタワー、ワシントン大学 サム・フォックス視覚芸術学部などがあります。
<安藤忠雄> 1995年受賞
1941年生まれ。大阪府立城東工業高校卒業。高校時代にプロボクサーの資格を得,海外試合を経験した経歴をもち、独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所を設立。
代表建築
住吉の長屋、光の教会(茨木春日丘教会)、本福寺水御堂、南岳山光明寺、フォートワース現代美術館、ランゲン美術館、熊本県立装飾古墳館、ベネッセハウス、上海保利大劇場など。
<妹島和世(せじまかずよ)+西沢立衛(にしざわりゅうえ)> 2010年受賞
妹島 和世(せじま・かずよ)
1956年 茨城県生まれ。日本女子大学大学院修了。1987年、妹島和世建築設計事務所設立。
西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)
1966年 神奈川県生まれ。横浜国立大学大学院修了。
1995年、妹島和世とSANAA設立。1997年、西沢立衛建築設計事務所設立。
SANAA 代表建築
熊野古径なかへち美術館、ディオール表参道、金沢21世紀美術館、ツォルフェライン・スクール、トレド美術館ガラスパビリオン、海の駅なおしま、スタッドシアター、ローザンヌ連邦工科大学ラーニングセンター など。
<伊東豊雄> 2013年受賞
1941年生まれ。東大建築学科卒。1971年アーバンロボット設立(1979年伊東豊雄建築設計事務所)。
代表建築
せんだいメディアアート、シルバーハット、多摩美術大学図書館、今治市伊東豊雄建築ミュージアム、横浜風の塔、高雄国家体育館、MIKIMOTO GINZA2、まつもと市民芸術館など。
<坂茂(ばん しげる)> 2014年受賞
1957年生まれ。東京都出身。クーパーユニオン建築部卒。1985年、坂茂建築設計会社を設立。
代表建築
ポンピドーセンター・メス、富士山世界遺産センター、大分県立美術館、ラ・セーヌ・ミュジカル、ニコラスGハイエックセンター、ハノーバー国立博覧会日本館、紙の教会、コンテナ多層仮設住宅などがあります。