ニトリ創業者、会長の似鳥昭雄氏。
全国規模の家具店としてお馴染みですね。
最近は値段の安さに加え、デザインも素敵になってきてますます、売上も上がっているとか。
あれだけの大きなビジネスを展開しているのだから、似鳥氏の経歴はさぞかし華麗なのだろうと思いきや、じつは、いじめや虐待、訴訟の連続だったとか?
今回はニトリ会長、似鳥昭雄の意外な経歴についてみていきましょう。
似鳥昭雄のプロフィール
氏名:似鳥昭雄 (にとりあきお)
生年月日:1944年3月5日 (2018年現在 74歳)
出身地:樺太生まれ、札幌育ち
学歴:北海学園大学経済学部卒業
見た目がお若いですね。
とても74歳には見えません。
いかにもバリバリの実業家という感じです。
1967年に、似鳥家具店を創業し、1972年に株式会社ニトリを設立します。
似鳥昭雄の子供時代はいじめと虐待ばかり?
1947年、似鳥昭雄が3歳の時、家族と一緒に樺太から北海道に移りました。
住居は引き上げ専用住宅で、100棟の長屋です。
床はなんと土がむき出しで、トイレ、台所は共同。
窓からいつも雪がはいってきて、寒い北海道でキャンプをしているようなものです。
父親は土木建築業を営み、母親はヤミ米を売る商売をしていましたが、暮らしはとても貧しく、お米を食べたことはなかったそうです。
そんな貧しい環境の中で、似鳥昭雄も母親のヤミ米の仕事を手伝っていました。小学生だった似鳥昭雄は60キロもある米俵を担いで働いていましたが、母親からはよくパンチを食らっていたそうです。
そして「お腹が空いた」とか「もっと食べたい」というと鉄拳制裁やお味噌汁をぶっかけられたのです。
子供にかける味噌汁があるなら、もっと食べさせてあげればいいのに、、、。 今で言うDVですよね。
そんな似鳥昭雄を父親は庇ったかというと、逆に、月イチの割合で、気絶させられるほど殴られていたのです。
学校での必要な文房具などは、仕事の報酬でしか与えられず、思いっきり使われていました。
この頃は、親が子供を乱暴に扱ってもあまり問題にならなかったんですね。可哀想です、、、。
そして、通っている学校では、ヤミ米をうっていることで、同級生からは嫌われ、いじめを受けていました。
自転車でお米を配達中のところを、川に突き落とされ、死にそうになったこともあります。
こんないじめにあっても母親は息子をいたわりもせず、川に落ちたコメを拾ってこい!と言ったそうです。
なんか、「おしん」よりもつらい子供時代ですね。
ニトリを経営するまでの経歴も壮絶!
似鳥昭雄は高校生になっても、いじめられて、配達用のバイクを盗まれたりしていました。
こんな状態ですから学校の成績は悪かったのです。
しかし、似鳥昭雄は父親の会社に入りたくなかったため、大学へ進学します。それもカンニング計画を綿密に立てて、、。
カンニングはできませんでしたが、似鳥昭雄は無事大学に入学でしました。
しかし、学費は自分で稼がなくてはならないため、「取り立て屋」のアルバイトをしていたそうです。
強くなりたいため、高校時代からボクシングを習い始めたので、それが功して稼ぎはよかったのですが、悪い相手にナイフで刺されたこともあります。
けれど、似鳥氏も結構あくどい手をつかって、ビリヤードやスマートボールで相手を騙していたようです。壮絶な青春時代ですね。
大学卒業後は、サラリーマンとして営業職につきますが、勤務中にパチンコをしてサボっていたのが発覚!
クビになっってしまったので、イヤイヤながら父親の経営するコンクリート会社で働くことになります。
父親は相変わらず厳しく、似鳥氏が盲腸になっても、仕事を休ませてくれませんでした。ちょっと、今の時代では信じられません。超ブラックです。
しかし、ここでは火事を起こしてしまい、またクビです。
似鳥昭雄は仕方ないので、借金をしてニトリを始めたのでした。
似鳥昭雄の家族との訴訟問題
2015年に「私の履歴書」という似鳥氏の自伝が日経新聞に連載されました。
連載後に、似鳥氏の母親が、反論してきたのです。
週刊文春に似鳥氏が事実無根のことを語っていると主張してます。
その後、父親が亡くなり、似鳥昭雄が相続しますが、ニトリ株の遺産分割は偽造だといって、母親と弟妹が訴訟を起こしました。
時価総額200億円の争いです。
この戦いは和解で終えるのですが、家族の中は直りませんでした。
金銭のことは、家族内だとより一層、こじれるし憎しみも倍増されますよネ。辛いものです。
まとめ
ニトリ家具店は品質もよく安い値段で、家具界に旋風を巻き起こし、ユニクロと同じぐらいの知名度になりました。
しかし創業した似鳥昭雄は壮絶な人生を送ってきたのです。特に家族との確執は心痛いものがありますね。
けれど、現在、似鳥氏は奥様とは大変円満で満足した家庭生活をおくっているとか。
これからは、公私共に幸せな人生が送れることを祈っています。