理学博士で生命誌研究家の中村桂子(なかむら けいこ)さん。
JT生命誌研究館館長で、AIが進化していく中で、自然の一部である人間がどう対応していくのかを考え、講演や著書を多数行ってきています。
ここでは、中村桂子さんのプロフィール、経歴、学歴、賞歴を紹介します。
また、結婚した夫や子供、家族や森の中にあるような素敵な庭のある自宅も見ていきましょう。
生命誌とは?
「生命誌」は、生命科学の知識をふまえて、生き物すべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業です。また、博物学や進化論、DNA、ゲノム、クローン技術など、人類の「生命への関心」を歴史的に整理し、科学を文化としてとらえています。そして、今生きている様子を客観的に捉え、これからどう生きていけばいいのかを探し出す研究です。
中村桂子のプロフィール 経歴・学歴・賞歴
引用元:https://mainichi.jp/articles/
生年月日:1936年1月1日
出身地:東京都
学歴:東京大学理学部化学科、大学院生物化学終了 理学博士
経歴
- 1959年3月:東京大学理学部化学科卒
- 1964年3月:東京大学大学院生物化学修了
- 1964年4月:国立予防衛生研究所研究員
- 1971年4月:三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究室長
- 1981年5月:同・人間自然研究部長
- 1989年4月:早稲田大学人間科学部教授
- 1991年:日本たばこ産業企画部顧問
- 1993年4月:JT生命誌研究館副館長
- 1995年:東京大学先端科学技術研究センター客員教授
- 1996年:大阪大学連携大学院教授
- 2002年4月:JT生命誌研究館館長
- 2003年6月:関西電力株式会社取締役(2006年まで)
- 2006年6月:関西電力株式会社監査役(2007年まで)
出典:ウキペディア
受賞歴
- 1993年-第47回毎日出版文化賞『自己創出する生命』
- 1996年-第12回日刊工業新聞 技術・科学図書文化賞優秀賞『ゲノムを読む』
- 2000年-第8回松下幸之助花の万博記念賞
- 2000年-第15回ダイヤモンドレディ賞
- 2002年-オメガ・アワード2002
- 2002年-第10回大阪府女性基金プリムラ賞
- 2007年-第45回大阪文化賞
- 2013年-アカデミア賞(全国日本学士会)
出典:ウキペディア
中村桂子の結婚した夫と子供
中村桂子さんは大学の同級生と、博士課程を終え、就職した1964年 28歳のときに結婚しています。ご主人は、八木製鉄基礎研究所に勤務していました。
佳子さんは結婚後も仕事を続けていましが、二人目のお子さんの出産を機に退職。しかし、師である生化学者の江上不二夫氏の手伝いとして、執筆や翻訳などに関わり科学からは離れませんでした。
夫、愛犬と自宅の庭で 引用元:http://brh.co.jp/s_library/interview/
35歳でまた仕事に復帰し、「働く女性」の先駆者ともいわれます。仕事をしていることについて、特に夫や義理の両親に文句を言われることはなかったそうです。
お子さんは二人で、30歳のときに長男、32歳のときに長女を生んでいます。
娘さんの中村友子さんは、ストックホルム大学文学部文学科を卒業し、スウェーデン語講師で翻訳家。大学書林国際語学アカデミー講師。訳書に『ゲノムを支配するのは誰か』『DNAとの対話』などがあります。
長女 中村友子さん 引用元:https://dila.co.jp/languages/
中村桂子の自宅
自宅の庭 引用元:https://www.therapylife.jp/special/
中村桂子さんは森のような庭がある東京世田谷区の成城にあるご自宅に、25年前から住んでいます。
それまではマンション暮らしでしたが、土のあるほうがいいということで、急斜面が続く約600平方メートルの庭がある中古住宅を購入したそうです。荒れ地だった庭を手入れして草花、木を植え、たくさん昆虫が生息しているのを楽しんでいるようです。また、庭の崖の下には湧き水もあり、ご主人がその水を汲んできて家族でお茶を飲むそうです。世田谷区にこんな土地があることが驚きでした。
中村さんは、仕事で平日は関西にいることが多いのですが、週末は自宅で過ごし、天気が良ければ富士山も見えるとか。素晴らしい環境の家をお持ちです。
また、15年ほど前から、自分たちだけで眺めているのはもったいないと、月に一回無料で一般公開もしています。一回に家族連れの方などが40人前後も訪れるとか。
斜面のきつい広い庭の手入れは大変そうですが、中村さんは自身が休日に、枯れ葉を掃除するのがとても好きだそうで、地域のボランティアの人たちも庭仕事を手伝ってくれています。
「庭にいれば、38億年という生命の営みが自然と感じられる」そうで、たいそう気に入っていらっしゃるお住まいです。
働く女性の第一人者として
中村佳子さんは1960年代から家庭と仕事を両立させている、働く女性の第一人者です。
1960年代では、結婚して子供がいるのに働くのは、家族が認めてくれても世間の目は冷たかったでしょう。
また研究者としても女性がとても少なかった頃ですし、今でも言われている差別はもっと大きかったことだと思われます。
しかし、中村桂子さんは、そんな苦労話は少しもしたことがありません。もともと一生懸命になにかに取り組むのが好きな性格ですが、人と争うのは嫌いだったそうです。それで、仕事と家庭をもった女性として、意識していたことは、不公平に目を向けないということでした。女性差別を意識するのではなく、自分のできることに焦点をあわせて働いていたようです。
女性の社会進出は、知識と実績を増やして功績をあげていくだけでなく、寛容で許容力が必要なのだと、理解させられたような気がします。
現代では女性差別が敏感になってきて、実に些細なことでもメディアで大きく取り上げられ話題になっています。もちろん、男女不平等は改善されるべきですが、現在、私たちはあまりにも騒ぎすぎていないでしょうか。
働く女性の第一人者の中村桂子さんが、一歩一歩着実に自分の目標だけをしっかり見つめて、歩んできた人生を見習いたいものです。女性の社会での成功は、ビジネスの実力だけでなく大きな精神レベルの高さの必要性を感じます。女性がどうしたら満足のいく対応を社会にしてもらえるのかを考え直すいい機会なのではないでしょうか。