ジョン・シンガー・サージェントの問題作「マダムXの肖像」。
露出の多い黒のドレスを着て艶めかしいポーズをしているこの女性像のモデルは、ヴィルジニー・ゴートロー夫人です。
彼女は誰もが知る才色兼備な社交界の名士であったため、官能的な表現の彼女の肖像画は、侮蔑であると厳しく批難されました。そのためサージェントはパリにいることができず、イギリスに移ることを余儀なくされました。
ヴィルジニー・ゴートローは「マダムX」のように確かに妖艶な女性だったようです。
南部出身だったヴィルジニー・ゴートロー
ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートローは、1859年1月29日にルイジアナ州がまだ植民地であったころのニューオーリンズで生まれました。
両親は農園を営んでおり、母方の先祖はフランス貴族で、上院議員で裁判官の叔父もいたという、裕福な家庭で育ちました。妹がいましたが、黄熱病で幼い時期に亡くなっています。
父親は南北戦争中、南軍の少佐を務めましたが戦死。
867年 ヴィルジニーが8歳のとき、母親と共にフランスへ移ります。南北戦争で負け、夫も失った家族は農園を手放し、ヨーロッパに帰るしかなかったようです。しかし、彼らが貧困層におちてしまったわけではなく、十分な財産を持っていました。そのうえ、母親の実家は上流家庭であったので、問題なくパリで教育をうけ、ヴィルジニーは社交界にデビューしました。
顔立ちからして東部出身かと思いましたが、南部生まれだったとは意外でした。パリですっかり洗練されているのですが、「マダムX」に表現されているコケティッシュさは、南部女性の情熱が醸し出されているのかもしれません。
彼女は「ニューオリンズのモナリザ」とも呼ばれています。有名で美人な女性は「モナリザ」に全く似ていなくても「モナリザ」と呼ばれることがよくありますね。
ヴィルジニー・ゴートローの恋人とジョン・シンガー・サージェント
ヴィルジニーはフランスの銀行家で海運業も営むピエール・ゴートローと19歳の時に結婚し、ゴートロー夫人となります。ゴードロー氏にとっては再婚でした。たぶん二人の年はかなり離れていたと思われます。翌年にルイーズという娘が生まれました。
ヴィルジニーは陶器のような白い肌とブルネットの髪だったので、その優雅な外見はパリの社交界でも目を引き、結婚後であってもたいへん異性にもてていました。
彼女も自分の美しさを自負していたので、美容やおしゃれにお金をかけ、多くの浮名を流し、その都度ゴシップ誌をにぎわしていました。
彼女の恋人の一人であったポッツィ博士は婦人科医でありましたが、アートコレクターでもあり、多くの画家たちと知り合いでした。
ジョン・シンガー・サージェントは、スタイリッシュなパリ風の肖像画を描くカロルス・デュランの弟子でした。ポッツイ博士はサージェントに、教皇のような赤いローブを着た肖像画を描かせています。
全てを手に入れたという自信満々の表情が少し滑稽に見えますが、確かにポッツイ博士は、教養、学歴、知識、財力、社会的地位を十二分に持っていて、その上女性にももてました。ヴィルジニーと同じように結婚後も多くの女性と恋愛し、その中には女優のサラ・バーナードもいました。
ですからヴィルジニーとポッツイ博士のお付き合いは、上流階級のお遊びだったのでしょう。
(ポッツイ博士は遊びすぎが祟ったのではないのですが、最後は自分の患者に滅多撃ちにされて亡くなくなるという悲劇で終わっています。)
当時のサージェントは、まだ若手画家であり、自分の名を世間に広めることを切望していました。頻繁にゴシップが出るヴィルジニーを利用して有名になり、作品を売りたかったために、ポッツイ博士に2年間も頼み続け、ヴィルジニーの肖像画を描かせてもらうことになりました。
彼はゴートロー氏の所有していた、ブルターニュ地方のサンマロにあるお城(現在は博物館)に招待され、30以上の習作を様々な画材で描いていきます。
そこで出来上がったのがゴードロー夫人の肖像です。
「マダムX」は貴婦人ヴィルジニー・ゴートローらしくないのか
実は非難を浴びたゴードロー夫人の肖像は、メトロポリタン美術館にある「マダムX」ではありません。
はじめにパリのサロンへ出品したのは、ドレスの肩紐がズレているスタイルでした。この絵を見てヴィルジニーの母親は「私の娘を娼婦のように下品に描くなんて!」と怒り狂ったそうです。確かに上流階級の貴婦人というより、娼婦に近いお色気を感じます。しかしこのポーズは無理やり取らされたのではなく、ヴィルジニー承諾の上で描いたものです。
サージェントはこの件で名前は知られるようになりましたが、パリにはいられなくなり、ロンドンに移ります。その後ニューヨークに住み、メトロポリタン美術館に描き直した「マダムX」を買い取ってもらいます。
サージェントはこのとき、自分の描いた作品の中で一番のできだと言っていますが、「ゴードロー夫人」というタイトルはやめてほしいとリクエストしたそうです。これ以上、トラブルを持ち込みたくなかったのでしょう。
このヴィルジニーの肌の色は不自然というか、生きている人間の色には見えません。これは彼女が肌を美しく見せるためにラベンダーパウダーを体中に塗っていたそうで、サージェントの創作だけではないようです。髪の毛も部分的に赤茶に染めていたので、光の加減だけではない色合いです。
それであってもこの肖像画は実に妖艶で、特に指の形がグッと惹きつけられます。また「マダムX」というタイトルもミステリアスな雰囲気を加えて凝視してしまうのではないでしょうか。
ヴィルジニー・ゴードローの他の肖像画
MADAME GAUTREAU DRINKING A TOAST, 1882-83 引用元
こちらもサージェントの作品で「マダムX」の一年前ぐらいに描いたものです。
官能的というほどではないポーズですが、実際は透けたボレロから見える彼女の肌は魅力的なものだったでしょう。
Madame Gautreau 1891 引用元
こちらは、ギュスターヴ=クロード=エティエンヌ・クルトワというフランスの画家がサージェントがパリを去ったあと描いたものです。サージェントより5、6歳若い画家です。肩紐が落ちてますね。一度炎上したので、許容範囲のスタイルになったのでしょうか。
Madame Pierre Gautreau 1898 引用元
フランスの画家アントニオ・デ・ラ・ガンダラの作品。ヴィルジニーはこのとき40歳近くになっていましたが、スタイルの良さを誇示したポーズで、やはり魅了されます。
こうして他の肖像画もみてみると、「マダムX」はそれほど破廉恥な肖像画ではないようです。誰もが惹きつけられる魅力をもったヴィルジニー・ゴードローそのものを表現していると感じます。
多くの浮名を流した彼女は、「マダムX」が発表された後、夫と別居しています。 その後、彼女は 1887 年に女優として舞台に立ち、1902 年まで続け、1915年7月、56歳で亡くなっています。