印象派

チャールズ・コートニー・カランの作品。自立していく女性の美しさ。

19世紀の終わりから20世紀にかけて、多くの女性像を描いたアメリカの画家

チャールズ・コートニー・カラン(Charles Courtney Curran)。

彼に描かれた女性たちは従順でたおやかな風情を醸し出しながら、自身の強い意志をもっているような表情をしています。

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チャールズ・コートニー・カラン 生い立ち

1861年2月13日、アメリカ合衆国ケンタッキー州ハートフォード生まれ。

カランが生まれてすぐ南北戦争が始まり、一家はオハイオ州に移り、エリー湖畔のサンダスキーに住みました。父親は学校の教師でオハイオ州でも教鞭を取っていました。

20歳のときに、シンシナティのマクミッケン・スクール(後のシンシナティ芸術アカデミー)に入学し、1年後にはニューヨークに行き、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインやアート・スチューデンツ・リーグで6年間学びました。

チャールズ・コートニー・カラン 1880年‐1900年

1888年、27歳でニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会でホールガ-テン3等(Julius Hallgarten Prize)に入賞。

Charles C. Curran, "A Breezy Day" (1887) | PAFA - Pennsylvania Academy of  the Fine Arts

Breezy Day 1887  引用元

ケンタッキー州で生まれ、オハイオ州で育ったカランには、この田舎の洗濯風景は馴染み深いものでした。シーツの質感、夏の終わりの草の色、女性の動作。これらが、夏の終わりの晴れた日に、風にたなびく様子が現実的でありながら、優雅さを感じさせます。この頃のカランは労働をする女性を多く描いていました。

この年には、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員となり、結婚もしました。

File:Lady with a Bouquet (Snowballs) - Charles Courtney Curran - Google  Cultural Institute.jpg - Wikimedia Commons

Lady with a Bouquet (Snowballs) 1890   引用元

この若い女性は妻のグレースで、スノーボール(セイヨウカンボク)の花束をアレンジし、甘い香りをかいでいるようです。彼女の繊細な特徴、薄緑色のショール、花のような帽子は彼女を花と同じくらい可憐で美しいことを示唆しています。このことから、カランはとても妻を大事にしていたことが伺えます。この花の選択は、意図的なものでしょう。絵画の中の花は昔から意味をもっており、ビクトリア朝の「花の言語」によると、スノーボールは「天国への思い」を象徴し、この作品は敬虔なクリスチャンであることも示しています。

他にも女性像で妻グレースをモデルにした絵が多く残っています。

1989年には息子ルイが生まれ、家族でパリに渡ります。カランはアカデミー・ジュリアンに入学し多くの印象派と農民絵画に触れていきます。これはのちの彼のスタイルを確立していく大きな基盤となりました。

1890年のサロン・ド・パリに「Loutus Lilies」を出展し、パリ万国博覧会の展覧会でも賞をとり、高く評価されました。

Lotus Lilies by American Painter Charles Curran. Life Art Canvas or Paper |  eBay

Lotus Lilies  1989  引用元

この絵は「エリー湖の睡蓮」と呼ばれることもありますが、舞台はオハイオ州のエリー湖の河口にあるオールドウーマンクリークです。ここは州の公園地域で、現在も春から夏にかけて大きな黄色い睡蓮が咲き乱れています。

ボート乗った二人のモデルは、白い服を着た女性が妻のグレースで隣の女性は彼女のいとこです。グレースが結婚式の花嫁のために睡蓮を積んだことが着想になりました。

贅沢で優雅な夏の休日を過ごしている情景ですが、二種類の女性像を表現していると言われています。

白い服のグレースは男性のカンカン帽タイプのスポーティな帽子を被り、いとも簡単に水面に咲く睡蓮をどんどん摘んでいきます。

一方いとこは日傘に体をしっかり覆われ、グレースの摘んだ花をうつむき加減で見ているだけです。

時代は19世紀末で、女性の生き方も変化していっています。グレースが自由を求めて恐れず行動をおこしていくタイプに例えれば、いとこは保守的でつつましやかでいることが美徳であると思っている女性でしょう。

この作品はパリに来る前に書いたものですが、バランスの取れた構図と大胆な色彩が新たな印象派の認識を変えることを考え、パリに持ち込みました。

結果は大成功で、批評家たちからは「最高の現代性」と褒められ、以後も古典的な題材よりも、日常の経験を高める題材を主に描きました。

1891年にアメリカに帰国した後はプラット・インスティテュートやクーパー・ユニオン、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインで人気のある教師になっています。

チャールズ・コートニー・カラン  1900年以降

1903年、カランは芸術家のフレデリック・デレンボーに招待され、ハドソン川渓谷、ニューヨークのクラッグスムーアに来ます。

シャワンガンクリッジの高台に位置するクラッグスムーアは、突き出た岩山や切り立った崖、雄大なたち、独特の野生植物があり、多くの芸術家たちを魅了し、アーティストコロニーができていました。

カランもすっかりここが気に入り、それまでは夏にはオハイオ州に戻っていましたが、翌年からはクラッグスムーアに通い、数年後には、別荘とスタジオも建ててしまいます。その後の30年間、彼はニューヨークとクラッグスムーアを行き来していました。

ここで描かれた女性たちは、白い夏服を高台の風になびかせ、陽光を浴びながら、優雅な静けさを醸し出しています。

画風は輪郭線が薄れ、光が織りなす色彩が強調され、より印象派らしくなっています。

Summer, 1906 - Charles Courtney Curran - WikiArt.org

SUMMER  1906 引用元

カランの作品で人気があるのは、このクラッグスムーアを舞台にした女性たちですが、彼女らはコロニーにいるアーティストたちの妻や姉妹、子どもたちなのでしょう。美しい景観を楽しむ家族での休暇は時代が変わっても、わたしたちの心を和ませてくれます。

カランは1942年、81歳でニューヨークで亡くなっています。

チャールズ・コートニー・カランの作品

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カランの女性像 女性の時代の変化を表現

Charles Courtney Curran Portrayed Daring Women Perched On Mountain Ledges

Summit Vally 1909   引用元

カランの作品でクラッグスムーアの崖に立つ女性たちは実に魅力的です。

白い薄手のロングドレスが風にふうわりとそよぎ、夏の光を浴びています。

この夏服は袖の部分は腕が透けるほど薄く、陽の光を浴びて体のシルエットを浮かび上がらせて女性の美を引き立てています。

しかし、クラッグスムーアがすっかり見渡せるほどの高い崖の上に立っているにも関わらず、彼女の視線ははっきりと定められていません。顔の表情も曖昧で感情が読み取れません。

彼女のポーズは、これから保守的な考えから開放され、社会に羽ばたいていく女性の姿のように見えますが、迷いがあるようにも感じられます。

20世紀に入り世の女性たちは様々なドラマチックな体験をしていくわけですが、クラッグスムーアの崖の上に立った彼女たちは、どのような決断をしたのか、気になるところです。

参考1

参考2

参考3

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