スペインの芸術家、サルヴァドール・ダリはシュルレアリズム(超現実主義)の画家として有名です。彼はオセロット(山猫)を飼っていて、大変可愛がっていました。彼の邸宅には、いつもオセロットのために、取り寄せていた肉や魚があったと言われています。制作中にはダリの一番のお気にいりだったオセロット『バブー』がいつも側にいました。サロンや会見、パーティ、そしてファーストクラスと5つ星ホテルの旅行にまでも連れて行ったのです。
オセロットは比較的、人に懐きやすく、愛くるしい顔と美しい模様の毛皮を持っているので、好感を持つ人は結構いるのではないでしょうか? しかし、既に富と名声は手中に収めており、最愛の妻までいたダリが、何故それほど、オセロットを愛おしんだのでしょうか?
サルヴァドール・ダリがオセロットを溺愛した、幾つかの要因を探っていきたいと思います。
オセロットについて
オセロットは主に、北アメリカ南部から南アメリカ中部までに分布するヤマネコです。森林地帯に生息しますが、環境に適応性があるので、人家の近くに現れることもあります。
体毛は短く、淡褐色でヒョウのような黒い斑点があり、腹部や足の内側は白色です。活動は夜行性で、小動物、爬虫類、魚類を食べる肉食動物です。体長は60〜100センチ、体重は12〜16キロ程度です。そして、地上性の動物ですが、木登りも上手で、他のネコ科とは違って、泳くこともできます。寿命は野生では7〜10年と考えられます。
1975年から、ワシントン条約で保護されていますが、以前は、美しい毛皮を目的とした乱獲で、数が激変しました。しかし、条約後も、森林採伐によって生息しにくい環境が続いており、国によっては、絶滅危惧種に指定されています。
現在、日本では商業的目的で、オセロットの輸入は禁止されていますし、特定動物(人に危害を与える可能性の高い動物)とされているため、ペットとして飼うのは、かなり難しいでしょう。
もっと詳しく知りたい方はhttps://matome.naver.jp/odai/2139565426265193401
サルバドール・ダリの略歴
1904年、スペインのフィラーゲスで裕福な家に生まれる。少年時代から絵画の才能があり、マドリードの美術学校に通う。
1927年、パリに移り、ピカソやブルトンなどの影響を受け、シュルレアリズムの道に進む。写実的ではあるが、哲学と思想、風刺の入った幻想的な作品で高評を得る。しかし、ダリの思想が「ファシスト思想」であるとされ、10年後、グループから除名される。
1939年、作品が商業的になってきて「ドルの亡者」と批判はされたが、人気は高騰し、財をなしていく。第二次大戦中はアメリカ合衆国に移住。大戦後はカソリックに帰依し、宗教画を多く作成した。
1983年、妻の死で制作意欲をなくし、活動できなくなる。翌年は自宅での火事で大きな火傷をおう。
1989年、心不全のより85歳で死去。
詳しい経歴http://dali.jp/collection/dali.php
サルバドール・ダリの作品
絵画、彫刻のみならず、建築、宝飾デザイン、商業用ロゴと様々な作品を創ったダリの作品を幾つかあげてみましょう。
「記憶の固執」1931年
多くの人が目にしたことのある、ぐんにゃりした時計の絵。28歳の時に描いたこの作品はダリを世界的に有名にし、ニューヨーク近代美術館に80年に渡って展示されました。アインシュタインの相対性理論からこの作品は閃いたという説もあります。
ダリは「奇才」を発揮するために、溶けた時計ではなく、カマンベールチーズだと、さらりと答えたそうです。ユーモアのセンスがたっぷりですよね。
「ロイヤルハート」1949年
ダリはアメリカの大富豪と共同で、多くのジュエリーも手がけましたが、この作品は、特に目を引くものでしょう。純金に、46個のルビー、42個のダイアモンド、2個のエメラルドの心臓は、生きているかのように、脈打つ仕掛けがされています。奇妙な感じのするゴージャズなハートは、まさに王様の胸の内を覗き込んだ気になりますね。
「ダンス」1957年
こちらは、1940年代に芸能を主題とした7連作が火災で消失したため、再制作品です。音楽の世界にも早くから通じていたダリは、当時流行のロックンロール・ダンスを表現しました。捻じ曲げられた男女の体は、ロックンロールに熱狂する若者たちへの揶揄ではないかと、推測されています。
もっとダリの作品を見たい方はhttps://www.musey.net/artist/3
ダリは何故オセロットを愛したのか?
1.奇才の芸術家としての必要性
ダリは奇人変人を自称していました。天才芸術家は、人とはかけ離れた言動や生活をしなければならない、と思っていたようです。
<エピソード>
◊ カリフラワーを満載したロールスロイスでスピーチ会場へ行く。
◊ 象に乗り、凱旋門を訪れる。
◊ 書店に病院のベッドを置き、ニセの医者と看護婦を横たわった自分の側にいさせる。そして本を買ってくれた人には、ダリの脳波のコピーをプレゼントする。
◊ 潜水服を着て、講演会に壇上に立ったはいいが、途中で酸欠となり転倒。スパナでヘルメットをはずす騒動となる。
などなどありますが、これらは芸術家としてのパフォーマンスであり、実際のところは常識人であったと、ダリと親しくしていた人達は語っています。
「天才になるには、天才を演じればいい」と彼の残した名言があります。ダリにとって「天才」=「奇行」というのが、インスピレーションを開花させる信念だったようです。
それでは、その信念で「奇行」をするために、野生のネコ、オセロットを飼ったのでしょうか?
当時は、野生動物をペットにするのが流行りでした。ワシントン条約がまだ成立してなかったので、映画俳優や歌手の家に野生動物がいるのは、珍しいことではありませんでした。「エキゾチック・ペット・カタログ」なるものがあって、一般人までもが、気軽に飼えたのです。
ダリとオセロットの出会いは、ホームレスが連れていたオセロットを買い取って、彼のマネージャーに渡しという話があります。実際のオセロットの飼い主は、マネージャーであり、ダリは始終、マネージャーのオセロットを借りていたのでしょう。
ライオンやトラのように獰猛ではないので、色々な場所に連れて行くことができ、猫のように愛くるしい顔なのに、平凡ではなくひと目を引くオセロットは、さぞダリの「奇行」のパフォーマンスに貢献したことになります。そして、ヒョウを思わせる美しい毛皮は、制作時には、「天才」としての創造性を十分に刺激したと思います。
2.自分が富裕であることの誇示
ダリは、30歳前後で世界的に有名になり、彼の作品には常に高価な値段が付けられるようになりました。商業的作品を多く制作していくと、嫉妬を込めた批判で「ドルの亡者」と呼ばれるようになったのです。
<エピソード>
◊ ススメバチの毒入りだと言って、法外な値段で絵を売りつけた。
◊ 大勢でレストランで食事をして、支払いの小切手の裏に、落書きをする。レストランの店主は、ダリの絵が描いてあるので、小切手を現金化できない。
◊ オノ・ヨーコに自分の髭を一本1万ドルで売りつける。
と、少し詐欺まがいの行為もしていたような気もします。しかし、彼はお金を儲けることだけしていたわけではなく、自分の芸術のために派手に使いました。
「人生は継続的なパーティでなければならない」と言ったように、頻繁に宴を催し、奇才を演じるために多額な出費をしました。
「富」は「名声」であり、ダリの芸術的自己肯定感をあげるものだったのです。オセロットは、「冨」の象徴のひとつとして、彼の横にいたのではないでしょうか? 毛並みの美しさは最上級の高価なネコは、ダリがいかに裕福であるかを、一目瞭然でわからせる調度品のような役割を果たしていたのではないでしょうか?
3.妻ガラからの愛を渇望していた
ダリは妻のガラをこよなく愛して「ミューズ」と呼んでいました。精神的に弱っていた20代に、ガラと出会い、一目惚れをして以来、死ぬまで熱愛ラヴでした。
<エピソード>
◊ 「ダリはガラ、ガラはダリ」「ガラ以外はみんな敵だ」と公共の門前で叫ぶ。
◊ ダリの多くの絵画には、ガラが描かれており、「ガラとサルヴァドール・ダリ」と署名していた。
◊ ガラのために、お城を買ってあげた。そして、お城の訪問者は自分以外許さなかった。
シュルレアリズムの芸術家ならではの、ユニークな盲愛の表現ですね。
ガラはビジネス能力も高く、ダリの作品の値段は全て彼女が決めていたようです。ダリが多額の財を成したのも、彼女の功績なしでは考えられません。魅力的で才女であったガラですが、「悪女」でもありました。
10歳年上のガラにとっては、ダリとの結婚は3度目でした。しかし、若い芸術家が好きな彼女は、ダリと結婚後も、恋人を何人もつくり、元夫とも交際を続け、時には同居することもあったそうです。
愛する妻の破廉恥な行動に対抗するように、ダリも60歳を過ぎてから、ディスコクイーンのアマンダ・リアと付き合いました。しかし、ガラの魅力には及ばなかったようで、長続きしませんでした。
女性恐怖症であった彼が、初めて愛した女性が恋多き女であり、そして自分の芸術と人生にはかけがえのない人物であるのは、さぞ苦悩したことでしょう。
ダリは妻の不実で空いた心を埋めるために、人懐っこいオセロットを愛したのではないでしょうか? 「天才」でいる彼も、いつも側にいてくれ、自分だけを愛してくれる者を求めていたのではないかと感じます。
まとめ
サルヴァドール・ダリがオセロットを飼っていた理由の考察は、いかがだったでしょうか?
個人的には、「オセロットがただ可愛いから」としたいところですが、奇才シュルレアリズムの芸術家にとっては、その一言では終わらないことだと思います。また、この時代の文化や歴史的背景の影響もあることでしょう。
そして、自分とペットの関係性を見つめ直すのも、良いのではないでしょうか?
ダリ劇場美術館http://kamimura.com/?p=18035
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