ネオダダ、抽象表現主義として、アメリカのアートシーンに大きな影響を与えたロバート・ラウシェンバーグ(Robert Raushenberg)。
ここでは、彼の芸術に影響を与えた恋人たちや妻、子供を見ていきましょう。
ジャスパー・ジョーンズや他の芸術家たちとの関係や、妻との関係、ラウシェンバーグの愛はどんなものだったのでしょう。
ロバート・ラウシェンバーグの略歴
引用元:https://walkerart.org/collections/artists/
生年:1925年10月22日
没年:2008年5月12日 享年82歳
出生地:アメリカ テキサス州 ポート・アーサー
学歴:カンザスシティ・アート・インスティテュート
ブラック・マウンテン・カレッジ
ニューヨーク・アート・スチューデンツ・リーグ
1950年代から、日常品を使った作品「コンバイン・ペインティング」を制作。二次元の枠を外れた現実の物体をキャンバスに貼り付けました。
1964年、ヴェネツィア・ビエンナーレで最優秀賞を受賞し、世界的な名声を得て、世界の芸術家と共同制作して平和を願う展覧会を行う「ラウシェンバーグ海外文化交流」を設立。
1985年から1991年にかけて、私財を投じて、アジアや中南米など12カ国で世界巡回ツアーを行いました。
日本では、1998年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞したことで広く知られています。
2008年5月12日、フロリダ州キャプティバ島の自宅にて、心不全でたおれ、生命維持をやめる個人の意志で、亡くなっています。Buffalo II 1964 引用元:https://news.artnet.com/market/
ラウシェンバーグのシルクスクリーン「バッファローII」は2019年、クリスティーズのオークションで約97億円で落札されました。
ラウシェンバーグの妻 スーザン・ウエイル
ウエイルとラウシェンバーグ 引用元:https://warholstars.org/abstract-expressionism/timeline/abstractexpressionism53.html
スーザン・ウエイル(Susan Weil)は3次元ペインティングで知られているアーティストです。
1930年にニューヨークで生まれ、ラウシェンバーグとは1948年にパリのアカデミー・ジュリアンで美術を学んだときに知り合っています。二人は一緒にノースカロライナ州のブラックマウンテン大学に移ります。ウエイルはラウシェンバーグに青写真での制作方法を紹介し、共同制作を行っていました。
ウエイルの父親に反対されたにも関わらず、二人は1950年に結婚し、1951年には息子が生まれます。しかし、1953年には離婚するという短い結婚生活でした。
2013年 You Can’t Box Me In
ウエイルはニューヨークを拠点とし、現在でも世界各地で展覧会を開催し作品を作り続けています。
離婚の原因は、芸術の方向性の不一致と、ラウシェンバーグが男性の恋人との付き合いを辞めなかったとされています。
ラウシェンバーグの息子 クリストファー・ラウシェンバーグ
息子クリストファーとラウシェンバーグ 引用元:https://news.artnet.com/art-world/
ウエイルとの間に1951年に生まれたクリストファーは、写真芸術家として1982年からアメリカ国内外で活動しています。作品はオブジェと画像の組み合わせが多く、3次元的なものも取り入れて、両親の芸術性を受け継いでいます。
サイ・トゥーンベリー
引用元:https://www.pinterest.com/
アメリカの美術家。1928−2011 享年83歳。
1950年、ニューヨークアートインスティテュートでラウシェンバーグと出会います。このときから一緒に制作をし、プライベートでも恋人関係であったようです。ラウシェンバーグの離婚後、1953年、アフリカとヨーロッパで二人で過ごしています。
1955年、トゥーンベリーはワシントンの米軍基地に勤務したこともあり、二人の恋愛関係は終わりました。しかし、その後もトゥーンベリーがラウシェンバーグのスタジオに行ったり、共同制作はしばらく続いています。
トゥーンベリーも1957年、イタリアの芸術家 タチアナ・フランケッティと結婚し、息子も生まれています。のちにタチアナとは別居しますが、生涯離婚をすることはなく、友人関係を保っていました。
トゥーンベリーにとってラウシェンバーグとの恋愛は、先鋭的な芸術家としてのひとつの条件だったのではないかと思われます。当時のラウシェンバーグの才能に魅了され、彼のすべてを知りたくなったの若い恋だったのでしょう。そのロマンチックな思い出をトゥーンベリーは、亡くなるまで忘れたことがなかったそうです。
ジャスパー・ジョーンズ
ジョーンズとラウシェンバーグ 引用元:https://www.formidablemag.com/jasper-johns/
アメリカの国旗の絵画で有名なジャスパー・ジョーンズ(1935−)が、知名度が急にあがったのは、ラウシェンバーグのスタジオの置いてあった、ジョーンズの絵に画商が目をとめたことから始まっています。
トゥーンベリーと別れたあと、ジャスパー・ジョーンズと6年間恋人関係でした。ラウシェンバーグ、トゥーンベリー、ジョーンズの作品は「三位一体」を形成し、美術界にセンセーションを起こしました。この3人は感性と信念を仕事もプライベートも共有したと言われています。
ジョーンズとも、ラウシェンベリーの作品の衰退とともに関係は冷めていきました。しかし、彼らは自分たちが同性愛者、もしくはバイセクシャルであることを長い間公表しないでいました。この3人の秘密の想いを、ジョーンズの国旗のコラージュに込められたという説もあります。
ジョーンズはラウシェンバーグと別れたあとも、女性と結婚せず、現在もコネチカット州にひとりで住み、創作活動を続けています。
ダリル・ポトルフ
ラウシェンバーグとポトルフ 2007 引用元:https://palmbeach.floridaweekly.com/articles/house-of-rauschenberg/
アメリカの美術家。絵画だけでなく写真、ダンス、音楽、映画と幅広い活動をしていて、ラウシェンバーグとの共作も多数あります。
1952年生まれ。1981年にラウシェンバーグのアシスタントとなり、プロジェクトの管理をしたり、常に一緒に行動するようになりました。
28歳年下のポトルフは、ラウシェンバーグの最後の恋人で、25年間一緒に暮らしました。
ラウシェンバーグのパートナーたちへの所感
引用元:https://www.thelegalpalette.com/home/
ラウシェンバーグにとっては、恋人は常に必要な存在だったように思われます。恋人への愛の種類は、そのときどきによってかなり違っていたものでしょう。
結婚したウエイルとは、人並みに家庭を築きたかったのでしょうし、トゥーンベリーやジョーンズとは、芸術思想を共有する仲間意識のほうが高かったでしょう。そして、ポトルフには人生の支えを求めたのではないでしょうか。
ラウシェンバーグにとって、パートナーは自分の芸術の向上、維持、そして生涯諦めないための幸せのためだと感じます。そしてなにより激動の時代を生きた彼には、ひとりで暮らすには寂しすぎたのではないでしょうか。
参考:
https://www.theguardian.com/artanddesign/jonathanjonesblog/2011/aug/02/rauschenberg-art-cy-twombly
https://www.artnews.com/art-news/news/american-beauty-jasper-johns-robert-rauschenberg-and-the-case-of-the-missing-flag-6317/ https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Rauschenberg https://fineartmultiple.com/blog/jasper-johns-robert-rauschenberg-relationship/
http://www.susanweil.com/Susan_Weil/Bio.html