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長谷川利行の経歴・作品・展覧会は?日本のゴッホとよばれる所以。

昭和初期の洋画家 長谷川利行(はせかわ としゆき)。

東京を歩き回り、数多くの作品を残しますが、日の目をみずに早世します。明るい色彩と画面を走り回る曲線が特徴で、「日本のゴッホ」とも呼ばれています。

ここでは、長谷川利行のプロフィール、学歴、経歴、作品と展覧会をエピソードを交えて紹介します。

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長谷川利行の生い立ち  学歴・賞歴

長谷川利行 | 【 画家ネット 】完全網羅の美術家情報検索サイト引用元:https://serai.jp/event/314689

生年:1891年(明治24年)

没年:1940年(昭和15年)享年49歳

学歴:現 県立耐久高校 中退

愛称:りこう

長谷川利行は、1891年に京都府京都市山科区で生まれます。父親は伏見警察署の警察官であり、五人兄弟の三男。

和歌山県有田郡広村(現・広川町)の私立耐久中学校(現・県立耐久高校)時代は歌人を目指し、同人誌を発行していました。

中学校を中退後、「長谷川木葦集」という私家版の歌集を発行しています。30歳で上京し、大衆小説などを書いていました。

絵画はアカデミックな教育を受けておらず、独学で学び、自身の「アトリエ」はなかったそうです。「思い立ったら絵を描く」というスタンスを生涯続ける東京放浪の画家でした。

1920年 第1回新光洋画会展「田端変電所」が初入選。
1929年 第14回二科展・樗牛賞 受賞。
1930年 協会展で奨励賞を受賞。

代表作は「カフェ・パウリスタ」「夏の遊園地」「靉光像」「麦酒室」など。明るい色彩と乱暴にさえ見える奔放な描線が特徴で、東京のいたるところを描きました。

長谷川利行の成熟期と晩年

上京後は、日暮里の日蓮宗中山派修練所の離れに暮らし、前田寛治、靉光、熊谷守一、麻生三郎らとの交流が始まります。

賞をとり、徐々に評価を高めていったのですが、長谷川の生活は浅草近辺の貧民街で一日中絵を描いているか、絵を換金して酒を飲んでいるかという乱れたものでした。

家も家族も持たずフラフラと気のむくままに絵を描き、日銭に変えていた生活ですが、名声やお金に無頓着ではなかったようです。

少しでも知り合いになれば、すぐに押しかけて何度も絵を売りつけ、お金をもらえるまでは、玄関から一歩も動かなかったといいます。そのため、東郷青児や二科展委員などからひどく嫌われていたので、会員にはなれず、絵の値段があがることもなく、世の中に彼の名が広がることもなかったようです。

40歳を過ぎてからは、安酒の飲み過ぎで胃潰瘍が悪化し、簡易宿泊所に寝泊まりしていたので身体が弱ってきます。また、泥酔してタクシーにはねられ重傷を負うなどし、この頃から作品の制作はとまります。

1940年5月17日、三河島の路上で行き倒れになり養育院に収容されます。胃癌の治療を拒否し、同年10月12日49歳で逝去。この際、手元にあったスケッチブックなどの所持品がすべて養育院の規則により焼却されてしまいました。

長谷川利行の作品と値段

田端変電所 第1回新光洋画会展入選 1920年 引用元https://ja.wikipedia.org/wiki/

麦酒室 二科展・樗牛賞 1927年 引用元https://ja.wikipedia.org/wiki/

イメージ 1白い背景の人物  引用元:https://ameblo.jp/satoshi-ookura/entry-12516586076.html

バガボンド長谷川利行(1)- 後半 | 今日も日暮里富士見坂 / Nippori ...地下鉄ストアー 1932年  引用元:https://fujimizaka.wordpress.com/2013/08/21/

カフェ・パウリスタ-1928年-油彩、キャンバス-53.0×72.8cm-独立行政法人国立美術館-東京国立近代美術館蔵『美術にぶるっ!ベストセレクション-日本近代美術の100年』展図録よりカフェ・パウリスタ 1928年 引用元:https://fujimizaka.wordpress.com/2013/08/21/

夏の遊園地 1928年 油彩、カンヴァス 112.0×163.0cm 『放浪の天才画家長谷川利行』展図録より夏の遊園地 1928年  引用元:https://fujimizaka.wordpress.com/2013/08/21/

昭和初期の東京を描いた「日本のゴッホ」長谷川利行の回顧展が開催。新 ...靉光像 1928  引用元:https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/

2009年に東京国立近代美術館が「カフェ・パウリスタ」を1800万円で買取。画廊では「火の見櫓のある風景」が700万円で売り出されています。

長谷川利行の展覧会・本

2018年に「長谷川利行展」巡回展がありました。

長谷川利行展 | 久留米市美術館 | 石橋文化センター引用元:https://www.ishibashi-bunka.jp/kcam/exhibition/20180922-2/

アウトローと呼ばれた画家―評伝長谷川利行

荒々しくも、詩的で純朴な数々の作品を遺した日本のゴッホ、長谷川利行。「生きることは絵を描くことに値するか」と叫びながら、大都会のなかを漂泊し、困窮と孤独のうちに死んでいった無頼の画家利行の、いとおしくも悲愁にみちた生涯の軌跡。 出典:アマゾン

読んで視る長谷川利行 視覚都市・東京の色―池袋モンパルナス そぞろ歩き 

引用元:アマゾン

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長谷川利行とゴッホの類似点

奔放な描線と豊かな色彩

長谷川は浮浪者のような生活をしていましたが、明るい様々な色彩でゴッホのように多色風景がを描きました。また勢いよく、時には歪んだような描線も似ているとも言えるでしょう。

作品を多産した

ゴッホの絵を描くスピードは早く、一日一枚は仕上げていました。長谷川も非常に速筆で、1〜2時間ほどで油絵を仕上げました。

放浪・貧困・孤独

ゴッホは両親に嫌われ、友人がいず、女性には事あるごとにフラれ孤独で、定住せず、貧困にあえいでいました。長谷川も同じような環境にいました。

両親兄弟はいず、結婚はせず(男色家であったという説もあります)、家を持ちませんでした。彼の絵は売れましたが、浪費癖か経済観念がないためすぐに使い切って知り合いにねだるようなことをしてます。この時代の才能ある貧しい画家たちがしたように、絵の具さえも画家仲間にねだっていました。

障害の支援者がいて、早世で没後高値の画家となる

ゴッホは弟テオに生涯すべての面倒を見てもらっていました。47歳で亡くなるまで無名であったのび、没後、世界的に注目されます。

長谷川利行にも、詩人、画家、美術評論家であった矢野文夫に受賞前から、歌や作品を芸術誌に取り上げてもらっています。(絵の具も買ってあげたこともあるとか)49歳で亡くなった彼の作品は、10年以上たって評価され始め、画集や演劇にもなりました。

世界的な画家と日本の画家の類似点を上げればきりがありませんが、絵を描く環境というのはゴッホと似ていたといってもいいでしょう。

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