書道

金澤翔子【書家】の実家や父親、母親、兄弟姉妹は?ダウン症でも一人暮らしは快適か?

ダウン症を患いながらも書家として活躍し、大きな将来性を見せてくれる金澤翔子さん。

病気を持ちながら仕事につくということは非常に大変なことですが、さらに芸術での才能を持ち合わせいるのは稀有なことです。

最近では、「祈」の文字を揮毫し、バチカンに寄贈しました。その返礼として38年ぶりに来日したローマ教皇 フランシスコの5万人ミサに招かれました。

障害がありながらの活動は多大な家族のサポートがあることでしょう

本記事では、書家 金澤翔子の家族、父親、母親、兄弟姉妹を見ていきましょう。

また翔子さんは一人暮らしを始めて数年経ちますが、日常生活はどんなものなのでしょうか?不便を感じず、快適で暮らしているのかも覗いてみましょう。

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金澤翔子の父親

「金澤翔子 父」の画像検索結果<引用元:akai-shinbunten.net>

父親は金澤裕さん。1948年生まれで、家業を継ぐ実業家で会社経営をしていたそうです。

能に関しての深い造詣があり、翔子さんの母親と出会ったのも、能での繋がりだったそうです。(妻、泰子さんの妹が能の演者でした)

翔子さんが生まれたのは父親 裕さんが38歳の時。待望の赤ちゃんだったのですが障害を持っていたことに大きなショックを受けながらも、妻と娘を励ましながら家庭をリードしたと聞きます。

熱心なクリスチャンだったそうで、翔子さんが敗血症で交換輸血が必要だと言われましたが、受け入れなかったそうです。

輸血を受け付けないキリスト教であるとすれば、「エホバの証人」の信者だったのかもしれませんね。

裕さんは、「神の挑戦を受ける」と言って、交換輸血をしないで誇りを持って翔子さんを育てていきます。

幼い頃から書道を勉強していた翔子さんと、「20歳になったら個展を開こう」と約束していたのですが、52歳の時、翔子さんが14歳のときに心筋梗塞で亡くなっています。

翔子さんは父親が亡くなった後も、日常のことや、特に母親に怒られたときなどは、写真に手を合わせ話しかけているそうです。

金澤翔子の母親

母親は書家の金澤泰子さんです。

「金澤翔子 父」の画像検索結果<引用元:https://entamejoker.com/>

生年:1943年 2019年現在 76歳 (亡夫より5歳年上)

出身地:千葉県山武市

学歴:明治大学卒

現在「久が原衝動教室」を主宰し、東京芸術大学の評議員でもあります。

泰子さんが41歳のときに翔子さんを出産。翔子さんが障害を持っているのを知ると、自分を責めて死のうとまで悩んだそうです。

しかし、大きな地震が来たときに、とっさにに翔子さんを抱きかかえ守ろうとしている自分に気づき、精一杯育ていこうと決心したそうです。

翔子さんが5歳のときから書道教室を始めて、翔子さんが筆をしっかり持つ姿に才能を感じ、厳しく指導していきました。

母親に怒られながらも懸命に書を書き続け、最後には「ありがとうございました」という翔子さんの書に対する姿勢が、作品「涙の般若心経」の元となっています。

書家として母親として様々な困難を乗り越えてきた泰子さんは、70代の今が一番幸せだとインタビューで語っていました。過去の辛い出来事も全て「感謝」であり人生に無駄なことは何一つなく、これからも翔子さんと一緒に生きていくと力強い意志を伝えてくれました。

<参考:https://www.wendy-net.com/>

金澤翔子さんに兄弟姉妹はいません。

翔子さんは2度も流産してやっと授かった子だそうです。

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金澤翔子の一人暮らしの生活は?

翔子さんは30歳の時、一人暮らしをすると宣言し、大田区の久が原駅近くの賃借マンションで暮らし始め3年が経とうとしています。

駅前の商店街では人気者で握手を求められたり、翔子さんの個展の告知ポスターを各店舗が貼っていたりします。料理をするのが好きなので毎日のように商店街で買い物をしているとか。でも自分の料理が美味しすぎて太ってきてしまったので、今度は運動をしてやせる努力をしているのだそうですよ。

実家とは至近距離にあるマンションなので、作品の制作は母親の経営する書道教室で行い、自宅には仕事道具はありません。

毎日必ずすることは、寝る時間を守る、片付けをする、運動という「3つの石」を実行しています。また仏教の言葉の解説文や聖書の章句をノートに書き写して、文字への感性を養っているようです。

リラックスタイムは好きなマイケル・ジャクソンの歌を聞いたり、YouTubeで動画をみたり、ピンクのiPadを使っているところが女の子らしいですね。

「金澤翔子 一人暮らし」の画像検索結果<引用元:nippon.com>

一人暮らしをしていても特に不便なことや困ったことはないようで、これは母親の泰子さんが、料理、掃除、買い物についてきっちり指導したためで、仕事がない時は一週間以上も実家には姿を見せないそうです。

翔子さんの一人暮らしは、障害のある人がたった一人で住むのは難しいといわれていますが、母親の愛情深い厳しい教育と、本人の多大な努力によって可能性がでてくるという証明でもあります。

母親 泰子さんが書いた「ダウン症の書家 金澤翔子の一人暮らし」では、実家で暮らしていた時よりびのびと明るく、街の人たちも翔子さんを理解し、優しく受け入れて、ダウン症であったからこそ、成りたった幸運、と綴られています。

翔子さんの生き方を見ていると、障害を持った人のみならず、その周りにいるサポートする人たちや、人間の努力と可能性、そして精神性をもう一度考え直してみる機会を与えてくれるのではないでしょうか。

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