日本の女性写真家の先駆者 山沢栄子(やまざわ えいこ)氏。
ポートレートや広告の商業写真分野で活躍しましたが、戦後は、その次代を彷彿させる抽象写真作品を多くのこしています。
山沢栄子氏のプロフィール、経歴、学歴、賞歴をみていきましょう。
また代表作品や写真展も紹介します。
山沢栄子のプロフィール 経歴・学歴・賞歴
引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/
生年:1899年2月19日
没年:1995年7月16日 享年96歳
出身地:大阪府大阪市
学歴:女子美術大学日本画科、カルフォルニア州立大学
鉄工所を経営する両親のもと、裕福な家庭で育ち、14歳から写真を始めていました。女子美術大学在学中には、女性解放運動に参加し、女性の独立の必要性を強く感じたそうです。
大学卒業後は大阪のYNCAで英語を学び、26歳の時貨物船に乗って単身で渡米。カルフォルニア州立大学で油絵を学んでいましたが、現地写真館の紹介で写真家のコンスエロ・カネガ氏の助手を務めることになります。ここで、コンスエロ氏の女性写真家としての作品に感銘し、山沢栄子氏は写真の道に進むことを決意します。
コンスエロ・カネガ Consuelo Delesseps Kanega
アメリカの女性写真家/作家(1894-1978)。サンフランシスコでジャーナリストとして活躍した後、社会主義派のフォトジャーナリストとなります。写真グループ「f.64」のメンバーで、実在感のあるアフリカ系アメリカ人の写真を多く撮りました。
1955年山沢栄子撮影 引用元:https://dc.watch.impress.co.jp/
その後、イギリスやフランスへも訪れ、1929年に帰国し、大阪で写真スタジオを開設。アメリカ仕込みの写真技術が評価を得て、菊池寛、横光利一、佐藤春夫、佐治敬三など、財界人や文化人のポートレートを撮影するようになります。これは、自営で男性の同業者と同じ価格を請求することで、社会で働く女性の代表者にもなりました。
1943年からは、新劇女優・山本安英を知り、舞台衣装写真を撮影始め、終戦まで舞台写真の撮り方を研究しました。
1945年にスタジオを戦災で焼失してしまい、京都の進駐軍P.X.スタジオを担当。
1950年、次世代の教育のために、浜町病院別館に山沢写真研究会開設。また、商業写真山沢スタジオを大阪そごう百貨店屋上に設立。この頃から抽象的な写真表現をしてきましたが、1960年に営業写真家としての仕事を辞め、表現としての写真制作に専念します。
「What I Am Doing」のシリーズで、色と構図の革新的な感覚を利用した幾何学的なオブジェクトの撮影作品は、彼女を抽象写真の先駆者として位置づけました。女性写真家がほとんどいなかった時代に、創造性を追求することに熱心で、常に新しい表現方法を模索していました。晩年には、紙のコラージュの抽象的なオブジェクトも作成しています。
主な受賞歴
- 1955年 大阪府芸術賞
- 1977年 日本写真家協会功労賞受賞
- 1980年 神戸市文化賞
- 1982年 昭和62年度日本文化デザイン会議賞受賞
山沢栄子の作品
Sunday Afternoon 1955 引用元:https://topmuseum.jp/
Citizen of Tomorrow 1960 引用元:https://topmuseum.jp/
山本安英 引用元:http://adcculture.com/
What I am doing No.24 1982 引用元:https://quod.lib.umich.edu/
What I am doing No.70 1986 引用元:https://quod.lib.umich.edu/
What I am doing No.78 1986 引用元:https://quod.lib.umich.edu/
山沢栄子の写真展
引用元:https://artexhibition.jp/exhibitions/
「山沢栄子 私の現代」
会期:2019年11月12日(火)~2020年1月26日(日)
会場:東京都写真美術館 3階展示室
住所:東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
電話番号:03-3280-0099
料金:一般 700円 / 学生 600円 / 中学・高校生・65歳以上 500円
生誕120年を記念した本展では、1970–80年代に手がけたカラーとモノクロによる抽象写真シリーズ〈What I Am Doing〉を中心に、 抽象表現の原点を示す1960年代の写真集、 戦前の活動を伝えるポートレートや関連資料などを展示し、写真による造形の実験を重ねることで、独自の芸術表現に到達した作家の歩みを辿ります。出典:東京都写真美術館
女性の独立と抽象芸術
現代では、「働く女性」「芸術家の女性」は珍しくないですが、若い頃の山沢栄子氏は、さぞ周囲から奇異の目でみられたことと思います。
この時代はほとんどの女性が、結婚して子供を産み、働かず、家庭を守ることが女性としての常識でありイデオロギーだったのです。しかし、山沢氏は、自分の能力でお金を稼ぎ、自立し、好きな仕事をし、その仕事が最終的には抽象写真芸術でした。
抽象芸術は、西洋と同じように1900年頃から日本の芸術家たちも取り入れていましたが、日本の大衆は興味を示さない期間が、長い間ありました。山沢氏が本格的に抽象写真に取り組み始めた頃も、世間は好意的ではなかったと思われます。
女性の独立も抽象芸術も日本では茨の道という点で、似かよっていると感じます。女性の社会進出と抽象写真という2つの分野で先駆者であった山沢栄子氏の、その力強いエネルギーが、彼女の作品は迸っています。
参考:
https://www.bjp-online.com/2019/11/eiko-yamazawa/
https://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/exhibitionreport/1217997.html