世界的に有名な二胡(にこ)演奏者、Kiriko,中西桐子。
数々の賞を獲得し、コスプレ姿でアニソンを弾く演奏会には、若者層の人気をどんどん集めています。
今回は、Kiriko、中西桐子が二胡演奏者になったきっかけや理由を調べてみました。
Kirikoは坂本龍一の「ラストエンペラー」に触発された
中西桐子が二胡を始めたのは、6歳の時からです。
元々4歳の時からピアノを習っていてました。
2年くらい習っていましたが、父親が坂本龍一の大ファンだったのです。
映画「ラスト・エンペラー」のテーマで二胡が使われていて、その頃から二胡を意識するようになったそうです。
6歳で中国の伝統楽器、二胡の良さがわかるなんて、中西桐子は音楽の才能があるんですね。
当時、二胡は、知名度はなかったのだが、父親がたまたま二胡の教室を見つけて、その後母が別の教室で習い始めて、両親が練習しているのをずっと見ていたんだそうです。
音楽家族で、環境が整っていたんですね。
二胡を弾く両親の姿を見たり聞いたりしているうちに、相対音感がついていて、二人が演奏している曲は全然分からないけど、ドレミファソラシドで分かっていったそうです。
母親は、料理しながらキッチンに楽譜を置いて鼻歌で歌って練習していました。
ある日両親が居ない時にキッチンに入って楽譜をちょっと読んでみようと思ってみたら、二胡は、1~7まで、って数字で表すけど、ドレミファソラシドで書いてありました。
それがドが1でレが2で解読できたのがうれしくってそれで興味持ってやってみようかなと、始めたそうです。
Kirikoは練習が嫌だった?
両親が練習には厳しくて、一日2時間とかやらないと友達と遊ばせてもらえなかったりゲームも出来なかったようです。
だから中西桐子は、その頃は楽器が大嫌いだったと言っています。
小学校では、二胡は大嫌いで、将来はアイドルになるとつもりでいたそうです。
両親が部屋を覗きに来ると、ゲームボーイを隠して椅子にすぐ着いて、二胡やっているフリをしたそうです。
実に小学生らしいですね。親が勧めてもやりたくないことは、そういう事するもんです。
北京の国際コンクールで目覚める
二胡は日本にライバルがいない中、小学校6年生の時に初めて国際大会に出て、初めて自分のレベルに気づかされたそうです。
中西桐子は、本場の同年代の子供達の演奏を聞いたときは、そのレベルの差に圧倒されました。
結果はボロボロで、本当にレベルが違いがわかったといいます。
それまでは普通に楽譜通りに引くことは余裕で、すごい自信があって、まわりから上手に引けてるねって、言われていい気になっていましたそうです。
しかし、中国の子供たちにとっては譜面のとおりに弾くっていうのは誰にでも努力すればできることで、更にその上の段階の感情の込め方、表現力がすごくあると感じて、二胡への意識がカラッと変わったようです。
二胡でアニソンは海外でも人気 きっかけは?
中西桐子が、二胡でアニソンを弾いてみようと思ったきっかけは、小さい頃からゲームやアニメが大好きだったそうです。
北京留学中はずっと古典曲ばかりやっていましたが、普段聞くのは乃木坂46とかアニソンとかアイドル系の曲ばっかり聞いているのですよ。
いわゆるオタクなんですけど、周りにオタク友達がいなかったから、ずっと隠してたのですが、間違えて本アカでアニメ「ラブライブ!」のことをつぶやいてしまったとのこと。
フォロワー減るなって落ち込んでたら逆に増えたそうです。
そのとき、こういう人たちにファンになってもらえるかも、と思って、それからニコニコ動画とかをやるようのなりました。
配信してみたら予想以上に反響があって、面白いと感じてるそうです。
まとめ
二胡という古典的な楽器を守るために、保守的でいることも大切なことだけれど、自分が少し変わったことをして若い人に二胡の魅力を伝えていくことが、大事であると、中西桐子は、語っています。
伝統音楽の垣根を越え、ポップスやアニメソングなどにも挑戦し、中国伝統楽器・ニ胡の新たな表現者として、これからも活躍していくことを期待しています。