芸術家の恋人たち

ベルナール・ビュフェの妻と恋人たち。天才画家の孤独の渇愛|芸術家の恋人たち

黒い描線と抑制された色彩によって、不安感や虚無感を表現した具象芸術家のベルナール・ビュッフェ Bernard Buffet(1928−1999)。

若くして成功したビュッフェは、1950年〜1960年代には非常に人気がありましたが、その後は新しい境地を開けず苦悩したようです。

私生活は、結婚して子供もいますが、スキャンダルになるような恋人もいました。常に誰かには愛されていたものの、孤独感からは逃れられず、晩年には、病気を苦にしたこともあり、自ら命をたっています。

ここでは、ビュフェの結婚した妻と子供、そして恋人との関係をみていきましょう。

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ビュフェの恋人 ピエール・ベルジェ

実業家のピエール・ベルジェ Pierre Bergeは、サン・ローランの生涯の伴侶として有名です。彼は、サン・ローランと付き合う前は、ビュフェの恋人であり、生活を共にしてました。

「pierre berge bernard buffet」の画像検索結果ベルジュ(左)とビュフェ  引用元:https://museeyslparis.com/en/biography/

ベルジュ20歳、ビュッフェ22歳のとき、二人は出会いました。ベルジェは8年間にわたってビュッフェのキャリアを支援していたのです。二人は一瞬で恋に落ちたそうです。すでに高名であったビュフェのマネジメントをし、公私ともいつも一緒にいました。

この8年間、私たちは1日も離れることはありませんでした。私たちの人生はバーナードの仕事を中心に展開しました。私は彼の助手でした。どんなことが起こったとしても、私たちの若さ、私たちを消費した野心、危険に立ち向かう自己意識の欠如、そして私たちを活気づけた情熱を決して忘れませんでした。 出典:PierreBergé、Les jours s’en vont je demeure

公私とも人も羨むようなラヴラヴだったことが伺われます。

しかし、1958年、ベルジュは運命の相手、サン・ローランに出会い、ビュフェのもとを去ってしまいます。これは、単に恋愛の熱が冷めただけではなく、ビジネス面も関与しているでしょう。ビュフェの作品は高評価で高額、世界的に知られていましたが、マンネリの兆しが見えていました。そこに、以前から興味のあった将来性の高い可能性があるファッション界のサン・ローランが現れたので、なびいてしまったのも無理はなかった気がします。

妻 アナベル・ビュフェ

ビュフェは1958年、フランスの女優 アナベル・シュワッブと結婚しました。

Annabel Buffet and Bernard Buffet Photos, News and Videos, Trivia ...引用元:https://www.famousfix.com/topic/annabel-buffet-and-bernard-buffet

アナベルは、ビュフェと同い年の1928年生まれ。

繊維産業を営んでいる裕福なユダヤ系家族のもと、パリで育ちました。彼らの共通の写真家の友人を通して初めて二人は知り合いました。ビュフェはピエールと別れたばかりであり、アナベルもバイセクシャルであったことから、ビュフェはアナベルに一目惚れをします。知り合って半年もたたないうちに結婚。

二人は実子をもうけませんでいたが、二人の男の子と一人の女の子を養子にしています。

アナベルは結婚後もビュフェのミューズとして、多くの作品のモデルになり、彼が亡くなるまで一緒にいました。ふたりともアルコール依存症だったそうですが、これは結婚しても治りませんでした。

Bernard Buffet - Annabel Buffet and her portrait | Muse art ...引用元:https://www.pinterest.com/pin/554013191654637819/

引用元:www.gettyimages.com/detail/news-photo/

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ビュフェが孤独の中で求めたものは?

ビュフェは、10代の半ばで才能を見いだされ、20歳ですでに専門のディーラーが付き、毎年個展を開き、絵は飛ぶように売れていました。

20代で世界に名だたる画家となったわけですが、作風は大きく変化をしませんでした。それが80年代以降ビュフェの評価を下げた理由のひとつです。

若い頃からずっと同じことをしていて、老年になってから世間に認められれば、今まで信念を変えずにつくりあげてきたことに、大きな称賛が与えられます。しかし、30歳にもならないうちに、成功してしまえば、後の人生になにか新しいことをしていかなければ、飽きられてしまいます。ビュフェは時代の波に乗れたのが若いときだったので、残りの人生は芸術家として苦悩の日々でした。

最愛の妻がいて、何不自由ない経済的に豊かな暮らしをしていても、彼の孤独と渇望を埋めることはできませんでした。晩年はパーキンソン病を患い、制作活動がほとんどできなくなり、71歳で自ら命を絶ちます。あと生きても10年もなかったでしょうが、自分の人生を自分で選択してしまった、耐え難い苦しみは想像を絶するものだったでしょう。

妻アナベルはビュフェの死後、アルコール依存症と喫煙がひどくなり、6年後、フランスのパリ西部で亡くなりました。

参考:

https://fr.wikipedia.org/wiki/Annabel_Buffet https://www.brighthubeducation.com/social-studies-help/129483-bernard-buffet-artist-bio/
https://www.bernard-buffet.com/historique-de-la-vie-de-bernard-buffet/

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