ヘレン・フランケンサーラーは20世紀のアメリカ合衆国の抽象表現主義の画家。
下塗りをしていないキャンバスを床に置き、薄く説いた絵の具を直接注ぎ形を創り出すステイニングを発案した。
カラーフィールド・ペインティング(カラーフィールド) の代表的画家の一人で、約60年の間第一線で活動をし、様々な様式の変化を経験しながら、多くのアーティストに影響を与えた。
ヘレン・フランケンサーラーの略歴
ヘレン・フランケンサーラーは1928年12月12日生まれ。父親はニューヨーク州最高裁判所の判事、母親はユダヤ系ドイツ人。姉が二人。
ニューヨークで育ち小中高一貫教育のダルトンスクールで、ピカソの流れをくむルフィーノ・タマヨから芸術教育を受けた。
バーモント州ベニントン・カレッジでポール・フィーリイに学び、卒業後はウォレス・ハリソンに師事した。
1952年のステイニングの手法で「Mountains and Sea」を制作し、若くして高い評価を受ける。女性画家の名声が珍しかった時代に(現在もそうであるそうだが)国際展示会に定期的に出品。1966年にはアメリカ代表としてベニスビエンナーレに参加し、ロイ・リキテンスタインやジュール・オリツキーと共同制作を行った。
Mountains and Sea 1952 引用元
絵画だけでなく、陶芸、彫刻、タペストリー、版画など幅広いメディアで生涯活動し、2001年に国家芸術勲章を受章した。
生前に設立したニューヨークに本拠を置くヘレン・フランケンサーラー財団は、視覚芸術に対する一般の関心と理解を促進することに専念している。しかし、フランケンサーラーの甥が、理事会の役員は「個人的な利益とキャリアを促進するために」財団を利用しているとし、近い将来に財団を完全に閉鎖する予定。
コネチカット州ダリエンにアトリエと住居があった。83歳没。
ヘレン・フランケンサーラー 1950年代作品 ステイニング
Painted on 21st Street 1951 引用元
Untitled 1963 引用元
Glow II 1968 引用元
960年代初頭には初めてリトグラフに着手。以後、銅版画、木版画、シルクスクリーン、モノタイプといった様々な種類の版画を制作。絵画はアクリル絵の具を使用するようになった。
1958年に抽象表現主義の創設者といわれるロバート・マザーウエルと結婚。マザーウエルの父はアメリカ大手銀行の頭取であり、裕福で高い教養をもつ育ちにいいこのカップルは、「黄金のカップル」と呼ばれ、贅沢な生活がよく話題になった。
マザーウエルの代表的な作品に、フランケンサーラーも影響された時代でもある。
ヘレン・フランケンサーラー 1970年以降の作品
Robinson’s Wrap 1974 引用元
A Green Thought in a Green Shade 1981 引用元
Tales of Genji III 1998 引用元
Snow Pines 2004 引用元
1970年からの形状はかなりシンプルになり、1980年代からは鮮やかで心地よい色調が戻ってくる。
1990年代の「Tale of Genji」シリーズは、タイラーグラフィックスの柴田康之と共に、浮世絵技法の木版画である。フランケンサーラーが「源氏物語」を熟読したのか、単に日本文学の名著の名を借り浮世絵技法に取り組んだのかは定かではない。現代の浮世絵版画として発表している。
ダリの絵画に驚き、キュビズムを学び、知的で完全な抽象化を目指したヘレン・フランケンサーラー。
彼女は作品のタイトルをつけるのが苦手なそうで、あまりにも的外れ、もしくは残念な感じがするタイトルもあるが、色彩の融合や爆発はどれも逸脱してると言えるだろう。
全てを偶然のハプニングに任せているわけではなく、自分の鋭利なイメージに達するために既成の技法を変化させながら、絶え間なく作品を創り出していく。
そして、自分が絵を描いているときは、美術界で何が起こっているかは関係がないし、自分はフェミニストでもない、と言っているところはやはり大物の風格を感じる。
「素晴らしいものは、努力して時間をかけてもできない。美は一瞬で出来上がるのだから」
― ヘレン・フランケンサーラー