ジャスパー・ジョーンズ(Japer Johns)は、ネオ・ダダ、ポップアート運動の先駆者で、ダーツの標的や、アメリカの旗で有名な美術家です。
日本ではジョーンズの名前は知っていても、同じ世代のアンディ・ウォーホルよりも人気がないように思えますが、何故なのでしょうか。
ジャスパー・ジョーンズの経歴、賞歴、作品、価格、展覧会をエピソードと共に追っていきましょう。現在はどのような活動をしているのでしょうか。
ジャスパー・ジョーンズのプロフィール 経歴・賞歴
引用元:https://www.wsj.com/articles/
生年月日:1930年5月15日
出身地:アメリカ合衆国 ジョージア州
学歴:サウスカロライナ大学、パーソンズ美術大学
ジョージア州オーガスタで生まれたジョーンズは、父親がアルコール中毒だったため、離婚しサウスカロライナ州に移ります。ここでは祖母、母親、叔母の家を転々とし、サウスカロライナ大学に1年在学の後、ニューヨークのパーソンズ美術大学に入学しました。途中、徴兵され1952年から1953年、朝鮮戦争の期間には、日本の仙台へ駐留していました。
ニューヨークに戻ってからは、彼は画家のロバート・ラウシェンバーグを含む多くの他のアーティストたちと、新しいアートのアイデアを展開していきます。ティファニーなどの高級店で使用されているウィンドウディスプレイ用のコラージュ、図面、絵画を作成し、アーティストとして独立します。
ラウシェンバーグとは恋人関係にありましたが、アンディ・ウォーホルのように同性愛者であることを長い間隠していて、近年に公表しました。
ジョーンズとラウシェンバーグ 引用元:http://www.artnews.com/
1958年 28歳のとき、美術商のレオ・カステッリがジョーンズの作品に感銘を受け、初個展を企画します。初個展ではニューヨーク近代美術館が、ジョーンズの作品を4点購入し、これによりアメリカでのアーティストの地位を確立しました。
1963年には、複数の現代美術家たとともにニューヨークに現代美術財団を創設。
ジャスパー・ジョーンズは絵画だけでなく、有名な彫刻家および版画家でもあります。スクリーンプリント、エッチング、リノカット、リソグラフィーの作品は、プリントの分野に革命をもたらしました。ピカソ、レンブラント、ゴヤ、ムンク、デューラーとともに、歴史上最高の版画家の一人として評価されています。
主な賞歴
- 1988年 第43回ヴェネツィア・ビエンナーレ大賞
- 1989年 MIR
- 1990年 国立芸術賞
- 1993年 高松宮殿下記念世界文化賞
- 2011年 大統領自由勲章
2011年2月15日、オバマ大統領から米国で最高の民間の名誉である大統領自由勲章を受賞したジョーンズ 引用元:https://www.pinterest.com/katheemiller/jasper-johns-b-1930/
ジャスパー・ジョーンズの作品と価格
ジャスパー・ジョーンズの作品で、話題になった高額の作品を紹介します。
0 Through 9, 1961
引用元:https://www.widewalls.ch/
「0から9」のシリーズは油絵ではなく、紙にチャコールとパステルで描かれたものです。2004年にサザビーズで約1,100万ドルで落札されています。
False Start, 1959
引用元:https://www.widewalls.ch/
ジョーンズの作品のなかでは鮮やかな色彩を放っています。「特定の制限」を外すために、色自体が意味を持ち決定されていく方法を用いて、色彩のみに専念した絵です。
1988年、サザビーズで、約1,550万ドルで落札されました。
Flag, 1966
引用元:https://www.widewalls.ch/
1966年に制作された「旗」はキャンバスにエンカウスティックで紙のコラージュからなっており、1974年にベストセラーライターのマイケル・クリクトンが直接ジョーンズから購入しました。
2010年クリスティーズのオークションで約2,864万ドルの価格がつきました。
Flag, 1983
引用元:https://www.widewalls.ch/
この「旗」はキャンバスにエンカウスティックの絹の素材で、29.5cmx44.4cmと小さいものです。はじめは、ジョーンズのアシスタントに譲られたのでオークションには長い間出ていませんでいた。
2014年、サザビーズで約3,600万ドルの価格が付き、当時、現存しているアーティストの中で最高値となりました。
ジャスパー・ジョーンズ現在の活動
ジョーンズは、2012年まで、ニューヨークのストーニーポイントにあるガラス張りのスタジオがある1930年代の農家に住んでいました。
引用元:https://giggster.com/listing/
現在は、コネチカット州シャロンとセントマーティン島に住んでいます。建築家のフィリップ・ジョンソンが家を設計しました。遠出をすることは滅多になく、田舎町に馴染み、家庭菜園で作った野菜を食べ、愛犬と一緒に住んでいます。
シャロンの自宅 アトリエ 引用元:https://www.nytimes.com/
ジョーンズは元来マスコミが好きではなく、いまだに彼の作品の真意について多くを語ろうとせず、記者がアトリエを訪れたときには、制作中の作品を見せようとはしません。現在は、次の個展のための版画の専念しているそうです。
ジャスパー・ジョーンズ 日本での展覧会
ジャスパー・ジョーンズ 「Usuyuki」展
会場:ファーガス・マカフリー東京
住所:東京都港区北青山3-5-9
電話番号:03-6447-2660
会期:2019年11月1日から2019年12月21日まで
ジョーンズが「薄雪」という言葉に深い関心を持つきっかけとなったのは 18 世紀の 歌舞伎演目《新薄雪物語》でした。その複雑な筋書きは「薄雪」という言葉に秘めら れた詩的な意味合いを解き明かしてゆき、愛情、失われた愛、野望、それらを妨げる ものといった「この世界の儚く移ろいゆく美しさ」をジョーンズに感じさせました。 出典:ファーガス・マカフリー東京
1979年から2004年にかけて制作された同名のうすゆきシリーズは、4つの絵画、15のドローイング、5つの版画で構成されています。そのシリーズから版画とドローイングの9点が展示されています。
ジャスパー・ジョーンズは日本では不人気?
ジャスパー・ジョーンズは抽象主義からポップアートへ導いた芸術家ではありますが、日本ではウォーホルのように人気がないのは何故でしょうか。
大量生産品を使用することで、美術と大衆文化の区別を消し、現代アートを確立してきましたが、マルセル・デュシャンの影響を大きく受けネオダダイストであったため、大衆には馴染みにくいものでもあります。
また、モチーフは単純なアメリカの国旗、ダーツのターゲット、数字の連作が多く、商業アート作品も少ないので日本人としては物足りなさも感じるのでしょう。
しかし、ジョーンズは日本に来日しただけでなく、駐屯していた経験もあり、日本からのインスピレーションで「ウスユキ」を制作しています。また、彼の作品解説は、日本語で書かれたものが一番適切に表現していると冗談交じりで語っていることもあり、親日派と言っても良いでしょう。
ジョーンズがアメリカの旗だけでなく、日本の国旗も描いてくれれば、日本人のジョーンズに対する人気はかなりあがるのしょうから、そのいつできるともしれない作品を淡い希望をもって待ち続けたいと思っています。
参考:
https://en.wikipedia.org/wiki/Jasper_Johns
https://www.theartstory.org/artist/johns-jasper/
https://learnodo-newtonic.com/jasper-johns-fact/
https://www.wsj.com/articles/artist-jasper-johns-on-the-process-behind-his-monotypes-1455033251 http://www.artnews.com/2016/05/10/american-beauty-jasper-johns-robert-rauschenberg-and-the-case-of-the-missing-flag/