幕末の文人画家 高橋 草坪(たかはし そうへい)。田能村竹田に才能を見いだされ将来を期待されるも、32歳の若さでこの世を去っています。
ここでは、高橋草坪の経歴や作品、作品を見ることのできる美術館を紹介します。
高橋草坪のプロフィール 生い立ち・経歴
生年:1804年(文政元年)5月14日
没年:1835年(天保2年)3月1日
本名:高橋元吉
豊後杵築城下富坂町(現在の大分県杵築市)の商家・槇屋(高橋)次男として生まれます。幼い頃より絵を好み地元の画家・長谷部柳園に手ほどきを受けていました。
草坪が18歳のとき、田能村竹田が杵築市訪れ、竹田荘に入門します。
田能村竹田(たのむら ちくでん)、1777ー1835
江戸時代後期の南画(文人画)家。名は孝憲,字は君彝,通称行蔵。豊後竹田の岡藩藩医の家に生まれる。儒学を志し藩校の頭取にまでなったが、藩政改革の建白書を無視され、1813年辞職。以後文人生活に専念した。画は南画様式に忠実で品格高い、小品に優品が多い。代表作に画帖「亦復一楽帖」「船窓小戯帖」がある。「山中人饒舌」「竹田荘師友画録」など著書も多い。出典:コトバンク
引用元:https://yuagariart.com/uag/oita09/
以降、師・竹田に伴って各地を巡遊し、文政6年(1823年)に京都に上り、大半を京阪で過ごします。
頼山陽や浦上春琴、岡田半江らとの交遊も重ね、次第に画名は高ります。しかし、病気を患っていたようで、30歳の頃から伏せることが多く、32歳で逝去。著書には家屋と人物描法のみを整理した『撫古画式』があります。
高橋草坪の作品
寒江独釣図
引用元:https://yuagariart.com/uag/oita14/
蓮鷺図
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%8D%89%E5%9D%AA
疏園遊蜂図
引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c637819256
着色山水画
引用元:https://aucview.aucfan.com/yahoo/d154798569/
引用元:https://twitter.com/hashtag/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%8D%89%E5%9D%AA
牡丹図
引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Peonies_by_Takahashi_Sohei.jpg
高橋草坪の作品がみられる美術館
大分市美術館
〒870-0835 大分市大字上野865番地
電話番号:097-554-5800
http://www.city.oita.oita.jp/bunkasports/bunka/bijutsukan/kotsu/
「山水妙清図」「富貴平安図」「白梅図」「黄葉邨舎図」「青緑松林山水図」「鉄騎横行図」を所蔵しています。
出光美術館
〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
電話 03-5777-8600
http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/present/
「渓上探梅図」
山形美術館
〒990-0046 山形県山形市大手町1−63
http://www.yamagata-art-museum.or.jp/
「若竹蜻蛉図」
引用元:http://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1273