Japanese Painting

山口蓬春の作品・経歴・美術館は?モダン日本画の先駆者。

モダン日本画と呼ばれ、戦後の美術界に新しい風をいれた山口蓬春(やまぐち ほうしゅん)。

代表作『望郷』を見ていると、西洋画、日本画の区別がつかないような先鋭的な構図と技法が見られます。

ここでは、山口蓬春のプロフィール・経歴・賞歴・代表作品をみていきましょう。またいつでも蓬春の作品が見れる美術館(記念館)も紹介します。

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山口蓬春のプロフィール  経歴・学歴・賞歴

「山口蓬春」の画像検索結果引用元:http://eizendo.com/writers/442/

本名:山口三郎

生年:1893年10月15日

没年:1971年5月31日 享年77歳

出身地:北海道松前郡松城町

学歴:東京美術学校

蓬春は、北海道に生まれましたが、10歳のとき父親の転勤に伴って上京。中学では白馬研究会で洋画を学び、東京美術学校に入ってからは日本画に転科し、首席で卒業します。

1926年(大正15年)33歳のとき、第7回帝展に出品した『三熊野の那智の御山』で、帝展特選、帝国美術院賞を受賞し、宮内庁買い上げとなりました。

「三熊野の那智の御山」の画像検索結果三熊野の那智の御山  引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/

その後、蓬春は師である松岡映丘から離れ、日本画の流派を超えた作品を制作します。西洋近代絵画(特にマチスやブラック)の手法を取り入れ、今までの慣習的な絵ではなく、モダンなスタイルの表現方法で制作していきます。戦後は日本画界でも西欧画を吸収していき、近代的な作品も増えている中、蓬春の絵画は明るい色彩とリズミカルな構図が特徴で「蓬春モダニズム」と呼ばれました。

主な受賞歴と役職

  • 1926年 帝国美術院賞受賞
  • 1929年 帝展審査員
  • 1950年 日展運営会参事、日本芸術院会員
  • 1954年 日展運営会理事
  • 1958年 日展常務理事
  • 1965年 文化勲章受章、文化功労者

山口蓬春の主な作品

緑庭

「山口蓬春 緑庭」の画像検索結果1927年  引用元:https://note.com/alberocooking/

当時、古都の風景をよく描いていた蓬春は、映丘の新興大和絵会の同人でもあり、鮮やかな色彩をやまと絵に復活させました。

市場

「山口蓬春 市場」の画像検索結果1932年  引用元:https://s.japanese.joins.com/JArticle/

京城に行ったときの体験をもとに描かれた絵。それまでの日本画は、その流派、師の画をいかに真似できるかを重視していました。しかし、蓬春は従来の形式を取り払った写実性や西洋的な省略技法をとりいれ、己のスタイルを築いていきます。

 夏の印象

「山口蓬春 夏の印象」の画像検索結果1950年  引用元:http://nekoarena.blog31.fc2.com/

望郷

「山口蓬春 望郷」の画像検索結果1953年 引用元:https://style.nikkei.com/article/

この近代的な造形と色彩は、すでに現代のイラストに酷似しています。これらは西洋画をどれだけ取り入れられるかの実験的な画であったのですが、蓬春の感性が、鑑賞者の理解を求めようとしているかのようです。

「山口蓬春 夏」の画像検索結果1965年  引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/

大胆な試みをした後は、これからの日本画は、写実主義の基盤に立つことを前提としながらも、伝統的な不自然な構図はさけています。鮮やかな色彩を保ち、作家の自由意志を尊重するような新しい道を切り開きました。

山口蓬春記念館

「山口蓬春記念館」の画像検索結果引用元:http://www.hoshun.jp

山口蓬春記念館は、蓬春が1948年から亡くなる1971年までを過ごした邸宅です。改築されてはいますが、蓬春の画室やモチーフになった植物のある庭園も見ることができます。蓬春の日本画、素描、模写を見ることができます。

〒240-0111
神奈川県三浦郡葉山町一色2320
TEL 046-875-6094
FAX 046-875-6192

http://www.hoshun.jp/information/

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日本画の進化への貢献

戦後の日本での西洋文化の影響は大きく、美術に関しても例外ではありませんでした。伝統ある日本画も西洋文化に淘汰されてしまうのではないかと悲観視されたほどです。

しかし、山口蓬春らの活躍により、西洋と日本の美術の融合、もしくは新たな日本画のスタイルが生まれ、日本画は現代では幅広い範囲の許容力をもっています。特に構図の関しては、作者の意図が自由に汲み取られ、変幻自在のような感覚をおぼえます。

蓬春は従来の「春夏秋冬図」に、不自然に鳥がはいっているのを嫌ったそうです。それは、鳥たちに深い愛情をもっていて、「日本野鳥の会」の発起人の一人だったというのも、理由のひとつではないでしょうか。

彼は、自然を愛し、自身の感覚と融合したときに創作ができたそうです。それが、芸術本来の「表現の意志を持つ作品」「時代とともに生きる作品」の道を日本画に切り開き、日本画を進化させたと言っても良いのではないでしょうか。

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