フランスの画家 アルベール・マルケ。
アンリ・マティスと学生時代に知り合い、その友情は生涯続いていました。マルケもマティスと同じくフォーヴィズムの画家とされていますが、彼が激しい色調を使ったのは初期の頃だけです。後年は自然主義的な穏やかな風景がの作品が多く残っています。
マルケはどちらかといえばマイナー画家としてのイメージですが、彼の作品は逸脱した色彩の選択に魅了されることでしょう。
アルベール・マルケ 生い立ち
引用元: Albert Marquet – Wikipedia
1875年3月27日、フランスのボルドーで生まれます。
子供のころから絵がすきで、学校のノートの余白にはびっしりと落書きが書き込まれていました。 また、父親は鉄道員で家に石炭が落ちていることもしばしばありましたが、その石炭で床に絵を描いていたこともありました。
休みの日には美術館に行き、特にお気に入りの画家はルーベンス、ヴェロネーゼ、ムリーリョだったようです。
両親は彼が美術の道に進むのを反対しなかったので、高校卒業後、パリの装飾美術学校へ入学します。この時一緒に授業を受け、ルームメイトになり、生涯の友人となったのが、アンリ・マティスです。
その後、二人は正式にはエコール・デ・ボザールには入学できなかったのですが、ギュスターヴ・モローの特別指導を受けられるようになります。
このモローのクラスで、後にフォーヴィズムの中核となるルオーやドランとも出会いました。 当時のマルケは印象派スタイルの風景画が多かったようですが、徐々に激しい色彩に魅了されていきます。
1898年、モローが亡くなったと同時に、マティスと退校しましたが、教員免許はとれたようです。
フォーヴィズムの活動
ヴラマンク(右)とドラン 引用元: モーリス・ド・ヴラマンク – Wikipedia
1905年から1906年にかけて、マルケはマティス、ドラン、ヴラマンクとともに、サロン・ドートンヌで作品を展示しました。批評家のルイ・ボークセルが、彼らの作品を見て、「まるで野獣(フォーヴ)の檻の中にいるようだ」と評したことから、「フォーヴィズム」とよばれるようになりました。
Posters at Trouville 1906 引用元
フォーヴィズムの画家たちはフォーヴィズム(野獣派)と呼ばれていただけで、フォービズム運動をしていたわけではありません。サロンに出品された作品の多くは鮮やかな色彩と単純化された形で表現されていました。しかし、こうした作風もたった数年でおわり、画家たちはそれぞれの新しい境地へ入っていきます。
マルケの風景画
マティスとマルケ 引用元
1907年後半から、マルケはフランス国内、ドイツ、オランダ、北アフリカ、ロシア、スカンジナビアと様々な場所へ出かけます。マティスが同行することも多かったようです。
これらの旅行で様々な印象派の影響を受け、独自のスタイルを生み出していきます。マルケは各地での港、海、川で水面の光の反射に興味を持ちました。これは、彼の作品の重要な主題となり続けます。季節や時間帯で変化していく色彩を、控えめな直線と穏やかな色合いで表現していきます。
Bay of Naples 1908 引用元
Port of Marseilles 1916 引用元
The Port of Algiers with Haze 1943 引用元
1920年、マルケはアルジェリアの首都 アルジェを訪れます。
ここで妻となるマルセル・マルティネと出会い、彼女とともに旅をしていきます。アルジェはマルケのお気に入りの土地でもあり、避寒も兼ねて毎冬ここを訪れていました。また、第二次大戦中は5年間も暮らしたそうです。
マルセルの肖像画 1931 引用元
裸婦画
マルケは1910年から1914年にかけて、多くの人物画を描いています。そのほとんどは裸婦像で、やや暗めの色調でやわらかいタッチの作品です。モデルのほとんどは売春婦で、マルケは売春宿で作品を描いていたとも言われています。
ロートレックもある時期は売春宿でたくさんの娼婦を描いていました。彼女らの実生活の描写でありながら、どことなく滑稽な作品は可愛らしささえ感じます。
しかし、マルクの裸婦像は、異様に生々しい印象を受けるものもあり、写実ではないのに、圧倒するエロティズムを表現しています。彼女たちのポーズはありきたりのものですが、正面切って見ると背徳感が感じえずにはいられません。
水辺の画家 マルケ
マルケの風景画は抑えた色調でまとめられていますが、全体的に明るい雰囲気を醸し出しています。そしてほとんどが単純な線と面で構成されていて、自然表現主義印象派と言われています。
確かに彼の作品を近くで見ると、筆跡がそのまま残る大胆な絵の具ののせ方や、そぐわないような反発した色合いも見られます。そういった手法が作品を引き締めて鑑賞者の目を惹くところでもあるでしょう。
しかし少し離れたところからマルケの水辺の作品をみたらどうでしょう。
間近で食い入るように見るのではなく、2,3メートル離れた場所、例えばこじんまりした画廊で、向こう側の絵を見るような距離。その位置からマルケの港の作品をみると、まるで自分がその場所に訪れて、海を眺めているような錯覚に陥ります。
穏やかな波の水面の煌めき、船の影、遠くにかすむ建物や山々。マティスが「北斎」と称した実にシンプルな人物さえも、その風景を肉眼で見ているようです。ナポリやアルジェ、マチスが訪れた港町に行ったのなら、あなたの眼にはまったく同じ色調で映るはずです。
様々な水辺の土地を旅したマチスは、亡くなるたった2年前にパリに戻ります。そして1947年に癌のため71歳で急死しました。けれど最後に暮らした場所は、ラ・フレット・シュル セーヌで、やはり最後まで水と共に生きた画家でした。