ソ連人民芸術家・作曲家、指揮者のアラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(1903年5月24日 – 1978年5月1日)プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソヴィエト3巨匠の一人です。「剣の舞」や「仮面舞踏会」が私達にとって馴染みの深い曲ではないでしょうか。
ここでは、アラム・ハチャトゥリアンの家族を見ていきます。この偉大な作曲家の両親、兄弟姉妹、妻や子供はどんな人達なのでしょうか?
父 エギア(イリヤ)・ハチャトゥリアン
父エギアは貧しい農家の家に生まれ、1870年代後半、13歳のイリアは仕事を求めて、大都市のトビリシに来ました。ここは、南コーカサスの貿易と文化の中心地で、一旗あげるために地方から多くの人が集まっていました。
エギアはなけなしのお金をはたき、製本店で見習いとしてこの地で働くことができました。短期間で彼は製本業者の職業を習得し、職人の間で高い評判を得て、25歳のとき、製本店のオーナーになりました。
母 クマシュ
父エギアと同じ出身地である10歳年下の母 クマシュは、9歳のとき(エギア19歳)まだ会ったこともないエギアと婚約をしました。
彼女が16歳のなったとき、エギアと結婚しました。彼女は背の高い美しい女性で夫を敬愛していたと言われています。しかし、若いことに目が不自由になってしまったそうです。
アラム・ハチャトゥリアンの兄弟姉妹
アラム・ハチャトゥリアンは5人兄弟の末っ子です。
長女のアシュケンは、2歳になる前に亡くなり、兄はヴァギナック、スレン、レボン、です。
兄 ヴァギナック・ハチャトゥリアン
長兄ヴァギナックは、トビリシ商業大学を卒業し、金融業を営みました。音楽の道にすすまなかったのは、兄弟で彼だけです。
アラムと非常に親密で、常に彼の面倒をみ、経済的な支援もしました。彼の家は、現在のハウスミュージアムの基礎となりました。
ヴァギナックの娘はアルメニアの人民芸術家で、ロシアドラマティックシアターの主要な女優の一人です。
兄 スレン・ハチャトゥリアン
兄スレン・ハチャトゥリアン は、モスクワ芸術座の舞台監督を務めていました。18歳のときに、アラムがモスクワへ移ったときに、一緒に活動したことで、その後の人生が大きく変わっていきます。
スレンの息子カレンは、現在、彼はモスクワ音楽院で有名な作曲家兼教授です。
兄 レボン・ハチャトゥリアン
レボンは、モスクワラジオ委員会のソリストでした。美しいバリトンの声で歌い上げるのですが、性格はとても恥ずかしがり屋だったそうです。
その性格のため、彼はステージで演奏するのが好きではありませんでしたので、多数の映画で歌声を披露しています。
息子のエミンは、モスクワ地域交響楽団の指揮者であり、10年間ソ連州交響楽団の首席指揮者でした。
妻 ニーナ・マカロワ
ニーナは、ロシアの作曲家です。(1908年8月12日ー1976年1月15日)
1933年に5歳年上のアラムと結婚。彼と同じくニコライミャスコフスキーに師事していたことが縁で知り合いました。
夫アラムと演劇「真実の物語」の音楽など、いくつかの曲を共同作曲しました。
アラム・ハチャトゥリアンの子供たち
アラムとニーナの間に娘と息子がいます。
ヌネ
モスクワ国立音楽院のピアノ科を卒業。現在、彼女はグネシン研究所の講師です。
カレン
カレンは美術評論家です。彼は全連合州立映画研究所を卒業しています。