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三林京子の若い頃と現在は?父は人間国宝で結婚しないのは何故?

女優歴50年以上の三林京子(みつばやし きょうこ)さん。

NHKの連続テレビ小説には1985年から、昭和・平成・令和の3時代にわたって8作品に出演して、最多出演出演を誇っています。また、米朝一門での初の女性落語家にもなっているんです。

ここでは、三林京子さんのプロフィール、若い頃から現在までの経歴、学歴、受賞歴を紹介します。また父親は人間国宝の二世桐竹勘十郎さんで、家族も芸能の仕事をしていますが、結婚していず、いまだ独身なのはどうしてでしょうか?

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三林京子のプロフィール 若い頃・学歴・受賞歴

引用元:https://kotakudo.exblog.jp/24333100/

本名:宮永佳代子

生年月日:1951年7月17日

出身地:大阪市住吉区

学歴:大谷高等学校

三林さんは子供時代から、NHK大阪放送児童劇団に入り女優を目指します。中学校在学中には、すでに東宝所属の女優・山田五十鈴さんに師事していました。

1970年に大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約。東宝の舞台『女坂』にて芸術座で初舞台に立ち、女優としてデビューします。

引用元:https://news.nicovideo.jp/

1975年にはNHKの大河ドラマ『元禄太平記』でテレビ初出演。1978年にフリーとなり、新歌舞伎座、明治座、前進座などの舞台を中心に活躍。1970年代後半にはNHKによる連続テレビ時代劇路線で相次いでヒロインに起用されました。

引用元:https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/

引用元:https://nekomegane.com/mitsubayashikyoko-wakaikoro/

また、1997年に、3代目桂米朝に落語家として正式に入門。従来は米朝さんは女性の弟子はとらなかったので、一門初の女性落語家となりました。三代目桂 すずめ(かつら すずめ)として、噺家として高座にでています。

現在も多くの舞台、ドラマ、高座に出演し、大阪市いちょう大学(高齢者大学)の初代学長、日本芸術文化振興基金運営委員を務めるなど多方面で活躍しています。

受賞歴

三林京子の家族 父・弟

父 二世桐竹勘十郎

引用元:https://nekomegane.com/mitsubayashikyoko-wakaikoro/

三林さん父親は、浄瑠璃の人形遣い二代目桐竹勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)さん。

1920年に佐賀県唐津市に生まれ、本名・宮永豊。高校卒業後2代目桐竹紋十郎に入門し桐竹紋昇を名乗り、1951年、31歳で2代目勘十郎を襲名。1978年、国立劇場優秀賞を受賞。1982年、重要無形文化財保持者に認定(人間国宝)

弟 三世桐竹勘十郎

三林さんは2歳年下の弟 宮永豊実さんがいます。

1968年に3代目吉田簑助に師事し、吉田簑太郎を名乗り、15歳で初舞台。2003年、父の名を継いで3代目勘十郎を襲名。2008年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章。2010年3月に日本芸術院賞受賞。2012年に大阪文化賞受賞。2013年4月より京都文教大学客員教授。2016年、毎日芸術賞受賞。

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三林京子が結婚しないのは?

三林さんは芸能を仕事とする家庭に生まれ育ったので、舞台美術、日本芸能に深い関心がありました。しかし、父の職業は女性が立ち入れない日本芸能の世界で、浄瑠璃師としてあとを継ぐことはできす、女優の道を選んだのでしょう。

女優になっても前半は厳しい規律の時代劇などが多く、ユニセフや大阪区域活性のための活動、50歳近くになってから噺家として学び始めています。

芸の道を極めるために、これは毎日がかなりハードスケジュールで、恋愛をする時間がなかったのかもしれません。それに、弟さんが家名を継ぎ、子供もいるので、家系のために結婚する必要もないわけです。

こうして、ざっくりと三林京子さんの経歴や家族をみると、あの優しい笑顔の奥に、ストイックな芸への真摯な姿が見えてくるように感じてなりません。

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