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樋口一葉と恋人半井桃水は純愛だったのか?激動の人生に静かなる愛|芸術家の恋人たち

24歳で亡くなった明治の小説家 樋口一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日- 1896年11月23日)。

代表作「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」は、誰もが一度は読んだことなある名作文学ですが、生活苦と病気に悩む薄幸の夭折作家でもありました。

一葉は恋に対しても悲恋だったようで、婚約者にはふられ、師であった半井桃水(なからい とうすい)とも悲恋に終わっています。

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樋口一葉の婚約者 渋谷(阪本) 三郎

引用元:  https://ja.wikipedia.org/wiki/

渋谷 三郎は25歳の時阪本家の養子となり、阪本三郎となっています(1867年11月11日- 1931年4月14日)検察官、裁判官、内務官僚、教育者。憲政会系官選県知事、早稲田専門学校長。

三郎は、一葉の父親が将来を見込んで決めた婚約者です。

三郎は一葉の父・則義と同郷で、上京後の則義を支援した真下晩菘の妾腹の孫です。当時は東京専門学校(早稲田大学の前身)の法科で学び、高等文官試験をめざしていた苦学生でした。

三郎が19歳、一葉が14歳のとき二人は知人宅出会い、父と縁があることから樋口家に出入りするようになります。

父は明治新政府の下級官吏でしたが、士族となり、学問好きでした。本業の他に、金銭の貸付や融資をしていた裕福な実業家でしたので、三郎の学費の援助などもしていました。また、妹の邦子と三人で寄席に出かけるなどの家庭的な親交もありました。

邦子は一葉とは違って、大柄で色白、気さくな性格だったので、三郎は邦子に好意をよせていたという説があります。

その後、事業に失敗し破産状態であった一葉の父は三郎に、一葉と結婚して婿入りして欲しいと願い、三郎も承諾します。

一葉は、長女・藤(ふじ)、長男・泉太郎、次男・虎之助、次女・奈津(一葉)、三女邦子の5人兄弟でした。長女は生まれてすぐ里子に出され、長男は大蔵省に入局するも、大喀血し、23歳で逝去。次男は父母と折り合いが悪く、15歳で分籍(勘当)。したがって一葉が樋口家の長として一家を支えなければならなかったのです。

三郎は、婿入りのための法外な結納金(学費や生活費の保証を含める)を求めたことが母・多喜の怒りをかって婚約解消となります。1889年、一葉が17歳のときです。

このことは、三郎の裏切りのようにも取れますが、将来官僚を目指していた若者のとっては当然の要求かもしれません。もともと大恋愛をしていたわけではないふたりですから、結婚の条件が違ってくれば破局もあり得るでしょう。一葉も愛する人に捨てられたというつらい気持ちはそれほどなかったようですが、男性に不信感を抱くようになりました。日記には、自分は小説家となって大成するのだから、婚約解消はへでもない、と負け惜しみのようなことを書いています。

しかし、その後、三郎は高等文官試験に合格し、新潟の裁判所司法官試補などを経て、月俸50円の検事となり、人を通じて一葉と復縁しようとしいるんですね。けれどこれも多喜を怒らせ、復縁とはなりませんでいた。

月俸50円の検事であるならば、教養がある家柄がよく裕福な女性とけっこんできるのに、男として約束を守るという男気を感じます。この時の復縁話を多喜が受けていれば、樋口家は極貧生活から抜け出せ、一葉は早世しなかったかもしれません。

二人は破談後、絶縁関係にはなっていず、年賀状の交換をするなど親戚のような付き合いが生涯続きました。

半井桃水との関係

引用元:http://honmokujack.blog.jp/archives/17984482.html

一葉は19歳のときに、東京朝日新聞専属作家の半井桃水(なからい とうすい)に師事し、指導を受けています。

二人の関係はどうであったのかが、時として議論になっていますね。

半井桃水は、1860年、対馬藩の典医の長男として生まれました。東京朝日新聞に入社した桃水は、新聞に連載小説を書いたり、日露戦争の従軍記者として活躍てしました。

小説家になりたかった一葉は、桃水の元を訪ね教えを乞います。そこで桃水の細やかな心づかいに惹かれていきます。誠実でありイケメンであった桃水ですから、一葉だけではなく多くの女性に人気がありました。「一葉」という筆名もこの頃から使い始めています。

桃水は一葉に毎月15円ずつ渡していたようで、このことから二人は恋愛もしくは愛人関係であったと言われています。貧しい一葉に文学の他にも金銭的に援助するのは、彼女の才能に期待していただけではないでしょう。

しかし、並行して妹の友人・鶴田たみ子に一軒家を与え匿うように援助していたのです。たみ子はこの時妊娠していました。一葉は桃水とたみ子が恋仲であることを疑い、たった一年で桃水の指導から離れます。

一説によれば、とみ子は桃水の弟と恋愛関係にありましたが、弟は祖父の家を継いで医者になる立場にありました。それで結婚は不可能なため、桃水が匿い出産させたともあります。

生まれた娘は桃水が引取り、養育したといいますから、たみ子との愛人関係を疑われてもしかたないことでしょう。

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樋口一葉は男性を愛せたのか?

一葉は、母親からは「女に学問はいらない」と進学を反対されていたにも関わらず、極貧の樋口家を背負わなければならなくなります。

良妻賢母のみが女性の美徳であるという概念の時代で、そのような教育を受けながら、突然男性のように一家を支えなくてはならなくなった一葉は、始終男性に振り回されていたように思えます。

頼るべき父親と婚約者との突然の別れ。尊敬する師の裏切り。また、妹の想い人である野尻理作にも、実は一葉は恋していたと言われていますが、彼もまた自分の都合で故郷に帰ってしまいます。

奇跡の14ヶ月といわれる期間に、一葉は数々の傑作を発表し、森鴎外のお墨付きさえもらいますが、作品にはダメンズへの恋情が隠しきれない面がちらほらと覗いています。

樋口一葉も恋する乙女にひとりであったのに、ふんわりと恋心を語るだけでは許されなかった彼女独自の運命を感じてしまいます。

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