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ベニシア・スタンリー・スミスの家族と若い頃について。夫は写真家・梶山正で子供は4人。

ロンドン出身のハーブ研究家で英会話学校経営者のベニシア・スタンリー・スミスさん。(1950年12月27日生まれ)

テレビ「猫のしっぽ カエルの手」でお馴染みで、美しいハーブガーデンや四季を綴るエッセイに心惹かれる人も多いのではないでしょうか。

ここでは、ベニシア・スタンリー・スミスさんの家族を紹介します。結婚している夫は山岳写真家の梶山正さんですが、再婚なので子供は4人います。両親や兄弟姉妹、孫など、どんな人達なのか、また若い頃はどうだったか見ていきましょう。

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ベニシア・スタンリー・スミスのプロフィール 学歴・経歴

引用元:https://mainichi.jp/articles/20160620/ddm/014/070/030000c

氏名:Venetia Stanley-Smith

生年月日:1950年12月27日

学歴:ヒースフィールド (ハーブの研究や英会話教師のアカデミックな学歴は不明)

受賞歴:「わたしのアイデアガーデニングコンテスト」で特別賞

1950年、ロンドンに生まれる。生家はイギリス貴族の館としても知られるゲドルストンホール。
19歳の時、貴族社会に疑問を持ち、イギリスを離れ、インドを旅する。
1971年、来日。
1978年、京都で英会話スクール「ベニシアインターナショナル」を設立。
1996年、大原の古民家へ移住し、ハーブガーデンを作り始める。
その後、ハーブやガーデニング、ライフスタイルに関する記事を雑誌や新聞に執筆するほか、広い分野の講演活動を行う。
2002年、NHK「私のアイデアガーデニングコンテスト」ガーデニング部門で第1位を受賞。
現在、NHK「猫のしっぽ カエルの手」に出演。

出典:https://www.menard.co.jp/resort/news/18benisia/18benisia.html

ベニシアの祖父母・両親 孤独な子供時代

1950年12月、ベニシアさんは由緒ある家系に生まれました。曽祖父の兄はイギリスの外相・インド副王( インド総督)だったジョージ・カーゾン 侯爵であり、祖父リチャード・ナサニエル・カーゾンはスカーズデール子爵でした。

母親は、第2代スカーズデール子爵リチャード・ナサニエル・カーゾンの三女・ジュリアナ・カーゾンで、父親はシェークスピア劇俳優を夢見ていた父デレク・スタンリー・スミス。 母の実家は、イギリスの建築家ロバート・アダムが手がけたケドルストンホールと呼ばれるカーゾン家のマナー・ハウスでした。

ケドルストンホール  引用元:http://blog.livedoor.jp/miura1458/archives/1780107.html

2歳のときに両親が離婚します。母親は美人でしたがわがままで、4回も再婚を繰り返す母親と一緒に何度も移転しました。ベニシアさんは4人の父親はそれぞれ違った個性を持っていたので学ぶことはあったのですが、やはり孤独であったそうです。6歳からジャージー島セント・ヘリアの小学校に通い、10歳から6年間ヒースフィールドという寄宿舎制の女子校。ロンドンの女子高に進学し、花嫁学校を経て、19歳の時に母国を離れてバックパッカーとしてインドへ。インドは当時欧米文化人の憧れ地だったようで、多くの有名人、例えばジョブズ氏も訪れていますね。彼女は陸地をインドに旅して、生きることの真の目的と意味を発見しましたそうです。

ベニシアさんがインドへ行った理由は色々あります。12歳のときに出会ったインドのPrem Rawatと呼ばれる若い啓蒙教師に心酔していたこと。そして貴族はお金があるから、夏はモンテカルロで買い物して、冬はスキーへ行って遊んでいる人生は嫌だったとのこと。母親は公爵との結婚を勧めていたので、それからも逃げたかったようです。また、ちょうどベトナム戦争中で、反戦歌を作ってレコードも出していました。英国の伝統的なバラード「スカボロー・フェア」のレコードを出そうとしたら、同時期に偶然、サイモンとガーファンクルが同じ曲を見つけてレコードを発売。レコード会社の人にリリースできないと言われた失意もあったのです。

若い頃はピッピーだった

1971年に彼女は日本に旅行することを決め、香港から鹿児島に船で到着しました。無一文の状態だったので、鹿児島港からヒッチハイクで大阪・淀屋橋へ。東京に行こうと警官に尋ねたら、高速道路入り口でトラック運転手に談判してくれたそうです。不安を感じるも、運転手は親子丼をおごってくれ、翌朝目覚めると新宿・風月堂の前だったそうです。いかにも70年代の若者ですね。東京では、現金がすぐ入る仕事をしました。

引用元:https://www.shutterstock.com/editorial/image-editorial/

歌手の仕事をしていましが、そのクラブで、Tシャツとショートパンツを着て3セット踊ったら、5,000円もらえるとオーナーから言われて、ディスコの真ん中にある小さな台の上に立って踊ったそうです。その後、岡山の生活を経て、1978年から京都長岡で英会話学校の経営を始めます。

ベニシアの元夫と子供

1974年 24歳のときに日本人男性と結婚。長女 サチアさん、次女ジュリーさん、長男 主慈(しゅーじ)さんをもうけます。岡山で暮らしていたのですが、1986年に離婚。ベニシアさんが3人の子供を育てていきます。

次女のジュリーさんは24歳の時、息子のジョー君を出産しますが、産後の重い抑うつ症を患ってしまいます。ジュリーさんは彼氏と良い関係が保てず、シングルマザーとなります。入退院を繰り返しながら、統合失調症と向き合い、京都で暮らしています。

ベニシアの現在の夫と子供

引用元:https://www.chilchinbito-hiroba.jp/blog/archives/18426

山岳写真家の梶山正さんと1992年に再婚して、京都大原の古民家を二人で改造し、終の棲家とします。

梶山さんはベニシアさんより9歳年下です。大学を中退後、24歳の時にヒマラヤに登山後、インド各地で旅生活を送りました。帰国後は京都でインド料理店を営み、その店のお客としてきていたベニシアさんと知り合います。

結婚生活30年の間には、梶山さんがフランス人の愛人のもとに行って帰って来なかったということもありました。しかし、今は視力障害のあるベニシアの毎日を支え、夫婦仲良く暮らしています。

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ベニシアと梶山正の息子

引用元:http://violet8.dreamlog.jp/archives/2012-03-25.html

ベニシアさんと梶山さんの間に1993年息子 悠仁(ゆうじん)さんが生まれました。高校時代はバスケを得意とし、京都大学生時代は、学生主催のファッションショーでモデルに抜擢されています。

卒業後はベニシアさんの経営する英会話教室で講師をしたあと、「ドリーム・ホーム」という不動産会社で営業活動をしています。結婚してお子さんもいらっしゃるということ。

ベニシアさんのハーブに囲まれる生活は、アメリカの絵本作家 ターシャ・テューダーさん似ていますね。年齢とともに健康は損なわれていくものですから、無理をせず、これからもスローライフを楽しんでもらいたいと思います。

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