アメリカの代表的な現代美術家 ジョージ・コンド。
彼はキュビズムとポップアートの両方からインスピレーションを得て、様式化された肖像画を作成しています。ピカソ、ベラスケス、ゴヤなど誰でも一度は見たことのある絵を彼の手法で新構築し、「サイコロジカル・キュビズム」と自ら呼んでいます。また本やレコードジャケットのカバーアートでも注目を集め幅広い分野で活躍している人気アーティストです。
ジョージ・コンド 生い立ち
1957年、アメリカ合衆国ニューハンプシャー生まれ。物理教師の父と看護師の母、兄弟姉妹は五人。幼い頃はスポーツには興味をもてず、もっぱら一人で音楽を聴いたり、絵を描いたりしていたそうです。
絵画教室へ通っていたのは母親の勧めで、ギターを始めたのは父親からです。コンドの父は「ロックをするなら、バッハから始めなさい」と基本が大事であることを諭しました。
マサチューセッツ大学ローウェル校に通い、美術史と音楽理論を学びました。この時はバロックとロココにとても興味があり、ドローイングの夜間コースにも通っていました。彼の抜きんでたドローイング力はここで磨かれたのでしょう。
ジョージ・コンド1980年代
彼は大学を1981年間卒業した後、ボストンに移り、シルクスクリーンショップで働きます。その後、抽象画家のマーク・ダグリーや前衛ミュージシャンのデイヴィッド・ヒルド、と共に『ガールズ』と呼ばれるバンドに参加しました。
バンド在籍中、コンドはジャン・ミッシェル・バスキアと出会い、これをきっかけに、コンドはニューヨークに移り、アーティストとしてのキャリアを真剣に追求するようになりました。
1983年にはアンディ・ウォーホルのファクトリーで活動していて、ウォーホルの「神話シリーズ」のダイヤモンドダストを担当していました。
翌年、ロサンゼルスに移り、最初の個展を開催。その後ドイツのケルンに移り、そこでウォルター・ダーンやジリ・ゲオルク・ドクピルなどのアーティストと共同展覧会をしました。コンドの有名な作品のひとつである『The Cloudmaker』は、この展覧会でデビューしました。
ヨーロッパ滞在中、コンドはアートディーラー兼映画監督のバーバラ・グラッドストーンと出会い、1984年にニューヨークのグラッドストーン・ギャラリーで個展を開催しました。
この時、キース・ヘリングと知り合い、1990年へリングがエイズで亡くなるまで二人は深い友情で結ばれていました。
バスキアとへリング
エピソード
コンドとへリングは人生や芸術のことを常に深く語り合っていました。へリングが死の間際になって「君はアートと命、どっちがより大事だと思う?」と聞きました。
「よくわからないよ。僕はまだ26歳だ。だけどアートは僕よりもずっと長い歴史があるし、これからだってずっと続いていくんだよ。だからアートのほうが重要に感じるよ」
コンドのこの答えは、芸術に情熱をかけている若者らしくも聞こえるし、死にゆくへリングに儚い生に囚われるな、という励ましの言葉にも受け取れます。
ジョージ・コンド 1990年代
コンドは1990年の半ばまでパリとニューヨークを行き来していました。この時期に、番記者、ミュージシャン、フランス哲学から新たなる現代美術の側面を見出しています。
1991年のホイットニー・ビエンナーレにも出展した「Dancing to Miles」(制作は1980年後半、へリングのスタジオで)
この作品のタイトルは、コンドの敬愛するジャズミュージシャン マイルス・デイビスを指しています。奇しくもデイビスはこの年に亡くなっていますが、各時代で様々な音楽性を見せた彼を表現しています。
この時期の最大の協力パートナーは、作家のウィリアムS.バロウズでした。バロウズはすでに70歳を過ぎていましたが、二人は多くの絵画や彫刻に協力し、これらの作品のいくつかはニューヨークのパット・ハーン ギャラリーで展示されました。彼らは、ホイットニー美術館から出版された「Ghost of Chance」というタイトルの執筆とエッチングを完成させました。
ジョージ・コンド 2000年以降
2004年からはハーバード大学視覚環境部の客員講師やコロンビア大学の人相学的研究について講義しました。コンドは生徒たちに「インスピレーションを大事にしなさい。頭に浮かんだイメージを大切にするこのは、それがどのように発展するかわからないからです」と常に言っていました。
2010年からはラッパーのカニエ・ウエストのアルバム「マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー」のカバーの絵を制作。その後もわざと発禁になるような過激なイラストカバーを考え出しもし、何点ものカバーアートを手掛けています。
引用元
コンドは2013年に声帯がんと診断されました。手術は成功しましたが、その経験は彼に深く影響を与えたようで、特に別居している子供たちとの関係を改善するように努めたようです。
2016年、2019年の展覧会は「生と死」がテーマになっており、人が「死」と直面したことに、何の意味があるかを自問するべきだといっています。しかし、「あなたは少し健康的な方法で、あなたの人生を再調整しなければなりません。ビーガンコーヒーを飲み、ビーガンワインを飲み、ビーガンタバコを飲むことを勧めます」と食生活と病気の関係を皮肉っているようですね。年齢を重ねるごとにポッチャリしていく彼を見ると、死と健康と食生活はあまり結びつかないようですね。
現在コンドはニューヨーク市のアッパーイーストサイドにある美術館のようなアパートで暮らしています。
ジョージ・コンド 主な賞歴
1999年 アメリカ芸術文学アカデミー芸術アカデミー賞
2005年 フランシス・J・グリーンバーガー賞
2008年 アーツコネクション、ニューヨークの年次アーティスト賞
アンダーソンランチナショナルアーティストアワード
ジョージ・コンドの作品
ジョージ・コンド サイコロジカル・キュビズム
若い頃から様々な場所に移り住み、短期間でありながら、どんどん新しい手法を試みるジョージ・コンド。そして行き着いたところは「サイコロジカル・キュビズム」。
優れたドローイング技能で、素早く筆を動かし、迷いなく描線を描いていき、観察者はどこで終わるのかわからない不安を感じます。
いくつかのキュビズムの絵画が与えるような、暗く陰鬱な不快な印象をもつ作品もありますが、実に爽やかな構成と色彩で、初夏の光を思わせるような作品も多々あります。
物質の側面だけでなく、心理的側面を加え描かれた作品は、私たちに何らかの感情を引き起こさせます。それは快、不快であったり喜怒哀楽であったりと、一枚一枚違った気持ちにさせてくれるでしょう。