昭和初期の1910年代末から30年代にかけて起こった、創作版画運動における最も独創的な版画家 藤牧義夫(ふじまき よしお)。
全長60メートル、4巻にわたる『隅田川絵巻』が代表作品で、独自の視点から光と影の構成をし、自身の版画様式を確立しています。
ここでは、藤牧義夫のプロフィール、経歴、学歴、作品や展覧会を紹介します。
24歳の若さで、突然失踪し、今でも行方不明ですが、失踪して理由は何だったのでしょうか。
藤牧義夫のプロフィール 経歴・学歴・賞歴
生年月日:1911年1月19日
失踪日:1935年9月2日
出身地:群馬県館林市
- 1911年(明治44年) 1月19日、群馬県邑楽郡館林町1006番地(現館林市城町)に、父巳之七、母たかの4男として生まれる。父親は、小学校の校長も歴任し長年教職についていた。藤牧はこの父をとても尊敬していたという。また、自宅では日用雑貨を営んでいた。父も書や絵を制作し「三岳」の号をもつ。
- 1917年(大正6年) 館林尋常小学校に入学。
- 1919年(大正8年) 母たかは、7年前になくなったので、実妹まさと父は再婚。
- 1924年(大正13年) 9月、父 巳之七 亡くなる。
- 1926年(大正15年) 父の伝記を書いた自家製本「三岳全集第1巻」を完成。
- 1927年(昭和2年)上京し、染織図案家 佐々区倉太に師事。
- 1928年(昭和3年) 東京 銀座の植松図案工房に就職
- 1931年(昭和6年) 第9回春陽会展に「ガード下のスパーク」を出品、第1回日本版画協会展に「請地の夜」を出品
- 1932年(昭和7年) 小野忠重宅の新版画集団創立から出席、機関誌「新版画」に、毎号作品を発表。
- 1933年(昭和8年) 第14回帝展に、「給油所」を出品し入選
- 1934年(昭和9年) 館林に帰郷し城沼を絵巻風に描く。「隅田川絵巻」全巻を完成。
- 1935年(昭和10年)「白鬚橋」を発表。
6月 東京神田の東京堂画廊で個展を開催。
9月 向島の小野忠重を訪ねた後、失踪。当時24歳。
参考:ウィキペディア
藤牧義夫の作品
藤牧義夫はなぜ失踪したのか
藤牧義夫は、小野忠雄を訪ねた後、行方が知れなくなりました。
事故にあったのか、自ら命をたったのか、それとも誰も知らない土地で隠棲生活をしていたのかは、未だはっきりわかっていません。
藤牧は、すでに結核を病んでいたので、当時の不治の病を苦にしていたことでしょう。そして、父も信仰していた日蓮宗教団・国柱会の熱心な信者でもあったので、宗教的な問題があったのかもしれません。または、実は『新版画』では、自分の創作版画を十分に表現できなかったのでは、とも考えられます。芸術家の心境は捉えきれませんが、藤牧に、厭世的な闇が巣食っていたと感じるのは、憶測にすぎないのでしょうか。
藤牧義夫の展覧会、美術館
2012年に、「藤牧義夫展 モダン都市の光と影」が神奈川県立美術館で開催されました。
東京国立近代美術館で、「赤陽」「朝霧」「やまやま」「鉄の橋」など多くの版画を見ることができます。
参考:
http://mmag.pref.gunma.jp/collection/honken/fujimaki_tsuki.htm https://yfujimaki.exblog.jp/i9/ http://www.moma.pref.kanagawa.jp/storage/jp/museum/exhibitions/2011/fujimaki/ https://anatema.hatenablog.com/entry/20180209