日本のファッションデザイナー 山本寛斎(やまもと かんさい、1944−2020)さん。
前衛的なデザインは、国内はもちろんのこと、パリやニューヨークなど国際的に高い評価と注目を集めました。そしてファッション界のみならず、デヴィッド・ボウイさんやスティーヴィー・ワンダーさんなど世界的ミュージシャンとも親交を深めていたことも有名です。
寛斎さんの経歴は波乱万丈で記するところがありますが、ここでは山本寛斎さんの家族、祖父母、両親、兄弟姉妹、妻、子供、孫など一族についてエピソードを交えてまとめてみました。
山本寛斎の祖父母
祖父 山本男寛(やまもと だんかん) 1895−1948 享年53歳
高知出身で和紙を機械ですく職人でした。製紙業に従事する間に、特許を得て財を成しました。戦争で紙の生産規制のため上京し、横浜に住みます。
祖母 山本友喜(やまもと ともき)
男寛より8歳年下の2番めの妻。前妻との子供2人と自分の子供2人(寛斎の父を含む)を一緒に育て上げました。
山本寛斎の両親
父 山本一男 1922−1993 享年71歳
腕のいい紳士服の仕立て職人でしたが、祖父 男寛さんが亡くなったあと暴君となってしまいます。酒に溺れ妻に暴力振るい、愛人を作り一方的に離婚をし、子どもたちを連れて、祖父の故郷の高知に移り住みます。
しかし、育児放棄をして、寛斎さんと兄弟は一時養護施設での生活を余儀なくされました。その後は、祖母に子どもたちを預け、自分は離婚と結婚を繰り返す家族を顧みない人でした。
母 津吹甲子 1922−
一男さんが軍事工場で働いているとき、通勤電車の中で出会った津吹甲子さんに一目惚れをして、1943年に結婚します。二人の間には3人息子が生まれますが、夫 一男さんからの強制離婚により、東京で洋裁教室を開いて、自立しました。いつか、息子たちが会いに来るだろうと考え、再婚しないで生計をたてていたそうです。
寛斎さんは大学進学のため東京にでてきたときに、再会できました。現在は寛斎さんの弟家族と穏やかに暮らしているそうです。
山本寛斎の妻
寛斎さん奥様は一般人のようで、公には顔を出さないようです。自分の父親が奔放だったので、暖かい子供を大事にする家庭を作りたいと思って結婚したそうです。
日本を代表する世界のファッションモデル 故 山口小夜子さんが愛人だっという噂もありますが、真相ははっきりしません。山口さんがデビューしたのは寛斎さんに見初められて、初めてショーにたてたわけですから、恩師という関係だったのではないでしょうか。また、寛斎さんはバイセクシャルで、デイヴィッド・ボウイとも恋仲だったとのも噂もありますが、単なるゴシップに過ぎないでしょう。
山本寛斎の兄弟
寛斎さんには弟が3人います。
山本斎彦 (やまもと よしひこ)
東京 世田谷にある「株式会社 寛斎スーパースタジオ」の社長。
伊勢谷友介 俳優 1976−
寛斎さんの異母兄弟。父 一男さんが53歳のときの息子ですが、数年で離婚しています。伊勢谷さんは大学時代からファッションモデルの仕事をしていましたから、30歳年上の兄が寛斎さんであることは知っていたでしょうが、異母弟として公表したのは、2012年になってからです。
寛斎さんの異母兄弟は、伊勢谷さんの他にもたくさんいると思われます。しかし、寛斎さん自身が父親と一緒に暮らした期間が短かったし、異母兄弟といわれても、家族としてのつながりはあまり感じられないのかもしれませんね。
山本寛斎の子供・孫
娘さんが二人いらっしゃいます。
次女は女優の山本未來(やまもとみらい)さん。
未來さんの元夫は俳優の椎名桔平さん。寛斎さんは未來さんの結婚式のために、ウエディングドレスをデザインしたほど、父娘の仲がいいです。
二人は16年間の結婚生活を経て、離婚。
2010年生まれの息子さんがひとりいます。
親権は未來さんがもち、桔平さんは今後もサポートしていくようです。