大正・昭和の陶芸家 河井寛次郎(かわい かんじろう)。
「民藝運動」に深く関わり陶芸品を「日用の美」と変えていった先駆者でありながら、現代美術要素も含んだ作品を制作しています。
本記事では、河井寛次郎氏のプロフィール、経歴、賞歴、作品、家族、記念館を紹介します。
また心に響く名言も見ていきましょう。
河井寛次郎の経歴、賞歴
生年:1890年8月24日
没年:1966年11月18日 享年76歳
出身地:島根県安来市
学歴:東京工業大学窯業科
河井寛次郎氏は大工の家に生まれ、空いた時間に陶器を作っている農家を見て、陶芸に興味を持ち始めます。
大学で教育を受けて陶工の世界に入ったのは河井氏が初めてで、窯業の科学的研究も行いました。
大学卒業後は、京都市陶磁器試験場で釉薬や中国陶器の研究を行い、陶芸家の技術顧問を務め、1920年 30歳の時、五条坂にあった窯を譲り受け、作品の制作を開始します。
この時代は、今までの師弟関係のみで芸術家を生みだすのではなく、学術的な科学的根拠を基として制作する、理系の芸術家(熊谷守一など)を輩出しています。
柳宗悦と濱田庄司との出会いで、民藝運動に参加します。
現代の製法と伝統的な日本とイギリスのデザインを組み合わせることを目指すようになり、近代陶芸の金字塔となります。
また陶芸に他に書家、彫刻家、作家そして哲学者でもありました。
賞歴
- 1937年 パリ万国博覧会でグランプリを受賞
- 1955年 文化勲章、人間国宝、芸術院会員などへ推挙されるが辞退
- 1957年 「ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展」でグランプリを受賞
河井寛次郎氏は、無位無冠の陶工としての道を選び、生涯において、あらゆる釉薬や造形を試し、その創作意欲が尽きることはありませんでした。
河井寛次郎の家族
大工を営む河井大三郎・ユキの次男として生まれます。
兄は家業を継ぎ大工になっており、京都の河井寛次郎宅(現在記念館)を建築するときには、わざわざ島根から来て河井氏の設計した家を建てました。
1920年、30歳の時、宮大工の娘 三上つねさんと結婚。
夫婦仲は睦まじく、お互いを尊敬しあっていた様子を娘が語っています。
一人娘は、河井須也子さん(1925−2012)。
箏曲、三弦を教え歌人でもあり河井寛次郎記念館の二代目館長。
父 寛次郎氏とのエピソードが著作「不忘の記 わすれじのき」で知ることができます。
<引用元:https://www.amazon.co.jp/>
也須子さんと結婚したのが、陶芸家の河井(荒川)博次(1919−1993)さん。
河井家の婿養子となり寛次郎氏と陶業しました。
孫の鷺珠江さん(1957−)は河井寛次郎記念館の学芸員で出版や講演活動をしています。
また陶芸家の河井創太さん(1973−)も寛次郎氏の孫で、京都精華大学陶科を卒業後、滋賀県信楽にて築房し、個展を開催するなどの活動をしています。
河井寛次郎の作品
河井寛次郎氏の作品をいくつか紹介します。
河井寛次郎記念館
河井寬次郎記念館
〒605-0875 京都市東山区五条坂鐘鋳町569
電話・FAX 075-561-3585
月曜休館 (祝日は開館、翌日休館、夏期・冬期休館あり)
10:00~17:00(入館受付16:30まで)
河井寬次郎氏の初期から晩年までの、さまざまな素材を用いて制作した作品を見ることができます。
この記念館は、河井寬次郎氏の住まい兼仕事場を公開したもので、建物、館内の家具や調度類も寬次郎のデザインによるもので、当時の生活、活動を体感できる空間になっています。
河井寛次郎の名言
あれは何ですか、あれはあれです、あなたのあれです。
あれはこうだと言ったなら それは私のものであなたのものではなくなる。
この世は観念で作られていること、この文章で物語っているようです。
存在する一つのものに対して、人の表現や解釈は様々で、全く同じ事はありえません。
一本のペンを見ても、私には「赤い細いペン」でも、あなたには「茶色の細くないペン」ということですね。
そして、存在するものは、自分がそれが何であるかを決定することによって、思考の中に入り込み、自分だけのものになるのです。
旅は帰る処が目的地
実に温かい言葉ですね。
何かを見るために、楽しみために、また捜すために旅にでますが、私達は出発した場所に戻ってきます。
帰る場所があるから、私達は旅ができます。
旅の目的は、途中にあるのではなく、今いるこの場に戻ることが行き着く先で、片道ではありません。
また自分の居場所を求めて旅している場合は、自分にピッタリの場所を見つけた時、「戻ってきた」と感じることでしょう。
そしてどこからか生まれて、死んだあとは生まれた場所に戻っていくの人生の旅。
この言葉は、人生でどんなに迷っても最終的には目指すところへ行けるのだと、安心させられます。
鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥
私達に起こる全ては、偶然ではないと言っているように思えます。
一羽の鳥が、羽を休めるために、緑茂る細い枝は沢山あるのに、何故その一本の枝を選んだのでしょうか。
それは、その枝がその鳥が休む場所として以前から決められていたかのようです。
この世に起こる偶然は、何故かすでに決まっている必然で、私達の意志に関係なく引き寄せられてしまう感覚になります。
こうして名言とともに、河井寛次郎氏の作品を見ていると、巨大なものでもインスタレーションでもないのに、宇宙の理を説いている気がします。