だまし絵で世界中の人々を魅了するオランダの画家マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher)。
エッシャーは50歳過ぎてから版画家として有名になったのですが、それまでは両親に生活費を出し続けてもらっていたダメンズです。
しかし、そんな不遇の時代も献身的に支えていたのは妻のイエッタ・ウミカー。
今回は、エッシャーと妻イエッタのエピソードを見ていきましょう。
エッシャーの妻 イエッタ・ウミカー
イエッタ・ウミカー(Jetta Umiker)は、1897年12月ミラノで生まれエッシャーよりも六ヶ月年上です。
父親の関係で、イタリア、ロシア、フィンランド、スエーデンと様々な国に移り住まなければなりませんでした。
エッシャーとは、1923年3月にイタリアのラベロにあるホテルで出会います。
これはエッシャーが初めてのイタリア旅行中のときで、イエッタは家族と一緒に旅行していました。
エッシャーは彼女の第一印象を「ノースリーブをきた痩せこけた女の子」と表現して、友人に手紙を送っています。
エッシャーはよくフラれた
高校生の時、クラスメートの女の子のことが好きになって、勝手に婚約した気分になります。
しかし、彼女はエッシャーのことをよく知らないし、彼を傷つけないため「お友達でいましょう」とやんわり断りました。
大学でグラフィックデザインの勉強をしていた時は、モデルの女の子にやっとの思いで告白しますが、やっぱりフラれてしまいます。
エッシャーとイエッタの結婚
イタリア旅行で別れてからも、交友は続き、イエッタがチューリッヒに移ってからは、二人はあまり合うことができませんでした。
しかし、エッシャーは徐々にイエッタのことを好きになって、チューリッヒまで行って告白します。
イエッタは結婚の申込みを受け入れ、1924年6月にヴィアレッジオで結婚式をあげ、ローマに住みます。
この結婚式はエッシャーの父の日記によると、「極普通の結婚式」だったそうです。
生活費は親まかせ
エッシャーは裕福な家庭の5人兄弟の末っ子として育ったので、非常に可愛がられていました。
学費も遊学のイタリア旅行も結婚式の費用もエッシャーの両親やイエッタの両親に出してもらいました。
また結婚して翌年には長男が生まれますが、芸術家として認められ自分の作品で生活していけるようになる51歳の時まで、ずっと親から経済的な援助を受けていました。
それでも、エッシャーは、イエッタと様々な場所へ一緒に旅行に行き、二人の仲は睦まじ飼ったようです。
あまり知られていないのですが、エッシャーは写真撮影にも非常に熱心だった時期があって、妻イエッタの芸術的な写真も多く取っています。
イエッタの版画
イエッタ・ウミカーの肖像
エッシャーは1925年に妻をモデルとした版画を制作しています。
イエッタは大人しい性格で、エッシャーに献身的に尽くしたとききます。
エッシャーにとってイエッタは、可憐な永遠の少女であり、またの芸術的な才能を認めてくれ、いつも側にいてくれる聖母のような優しさも持った女性でした。
この木版画は中世のイタリアの宗教画をイメージさせ、光沢効果を出しために、彫刻刀やノミの種類を何度も変えています。
少し不自然とも思える細長い手は、エッシャーが友人に語っていたイエッタの手そのものであります。
繊細で敏感な内向的な女性の象徴としてもこの手は描かれ、2年前に制作された自身の肖像画と同じ技法を使っていながら、全く正反対の印象を受けます。
日本のエッシャー展
「生誕120年 イスラエル博物館所蔵ミラクル エッシャー展」が愛媛県立美術館でありました。
出品作品はすべて世界最大級のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品。エッシャーの代表的な構図の「メタモルフォーゼ」シリーズ。エッシャー自身による貴重な初版プリントの「メタモルフォーゼⅡ」も展示していました。
エッシャーの本
エッシャーの作品と説明を見るのなら、英語版の本をおすすめします。
The Magic Mirror of M.C. Escher
エッシャーの伝記、250点のイラスト、数学的な解読も含まれており、少し詳しくエッシャーを知りたい方におすすめです。